師走に入りました。あっという間の一年だなとしみじみ思います。いい年を迎えられるように、あと少し頑張ろうと思っています。
前回は、人間関係の出発点が親子関係にあるならば、幼い子どもを育てる親たちを支えることが必要ではないかという話をさせていただきました。親の不安感や緊張感を和らげることができるならば、子どもにも親しい人間関係は心地よく、安心であり安全なのだという感覚を育てることができると考えたからです。核家族化は社会の進展にとって必要不可欠なものだったのかもしれません。しかし、その歪みを少しでも解消しようと思うならば、血縁ではなく地縁関係にある大家族という構想もあっていいと思っています。
ところで、人が安心できるというのは、どのようなときなのでしょうか。例えば、ありのままの自分を受け入れてくれる相手と出会ったとき、心を開いて話すことができるときなどが考えられると思います。それは、ソーシャルスキルの根底にある、「相手を尊重する」という考え方に繋がっています。今回は、具体例を紹介しながら、具体的にどのような接し方が理想であるのかについて一緒に考えていきたいと思います。
初めにご紹介するのは、私自身の経験談です。先日、以前に勤務していた学校の運動会に行ってきました。そこで、久しぶりに子どもたちと再会しました。すると、ある男の子が、「先生は俺のお母ちゃんだから」といきなり声をかけてきました。ツンデレの彼に関わった昨年は、苦労がなかったわけではなかったのですが、離れていても親しみを感じてくれることに涙が溢れそうになりました。ちなみにツンデレという表現を若い人がよく使う言葉なのかもしれません。本当はベタベタしたいのに、表向きは反抗的な態度を取ってしまうことです。
6年生の祖母という年齢には見られたくないものの、母親というには年がいっていると思った私は、「お母ちゃんと思ってくれるなら、私ももっと若作りをしないといけないな」とつぶやきました。ところがその子どもは、「そのままでいいよ」と返してくれたのです。驚くやら嬉しいやらで、またまた涙が溢れそうになってしまいました。そのままでいい、ありのままでいいというのは、人に喜びや優しさを与えてくれるものだと改めて感じました。
そんなことがあった後、今度は高齢の方に会う機会がありました。お二人とも気難しいところがあって、周囲から距離を置かれてしまうことがあるように見受けられました。
お一人の方は、父と同い年の大正生まれの女性です。その頃に生まれた方には珍しく、漢字一文字のお名前でした。それで、「そのお名前は誰がつけてくれたものですか」と伺うと、名付け親は祖母に当たる方で、その方はずいぶんと地域に貢献されていたというお話をしてくれました。父と同じ年のあなたと話せてよかったと伝えると、とても嬉しそうな表情を見せてくれました。別れるときには、手がちぎれてしまうと心配になるくらい、いつまでも手を振ってくれました。
もう一人は80代の方ですが、高校卒業後に地元を離れ、大学に通われたそうです。「その時代を切り開いたのですね」と私の思いを伝えると、急ににこやかになられ、手取り足取りといろいろなことを教えてくれました。気難しいというのは周囲の者の思い込みであり、接し方の問題かもしれないし、声をかけてもらえない孤独の裏返しではないかと考えさせられました。
私はソーシャルスキルの話を通して、相手を尊重することの大切さについて幾度となく語ってきました。しかし、相手の何を尊重するのかと聞かれると、単に「相手の気持ち」と答えてしまいそうな自分がいました。確かに、気持ちを大切にするのは最も優先されなければならないと思います。相手が不愉快な思いをしているのに、自分は尊重しているのだから大丈夫だと考える人はいないでしょう。
しかし、尊重の対象が「相手の気持ち」としかイメージできないのは、未熟であると思い始めています。日本にいると、差別問題は遠いことのように感じてしまいがちですが、性や身分、外的特徴のすべて、その人の生きてきた時代や背景、抱えている問題など、全てにおいて尊重しなければならないのです。相手がイライラをぶつけてくるその気持ちにさえ、尊重すべきなのではないかと思います。
私の住む地域でも、外国の方の姿を頻繁に目にするようになりました。子どもたちと関わっていると、保護者の中に外国の方が締める割合も年々増えてきています。様々な個性の中で生きていくということは、その個性を知った上で尊重するということでもあります。
先日、私の通う手話の勉強会に講師の先生が来られて、聾者の差別を取り除くために長い間運動をしてこなければならなかったという話をしてくれました。例えば、自転車でさえも乗ることが禁止されていたそうです。そして、昨年4月に障害者差別解消法が施行され、やっとここまできたという感はあっても、まだまだ完璧に差別がないとは言えないとおっしゃっていました。今一度、自分の心の中を見直すと共に、常に自分の中に差別意識がないのかどうかを振り返りながら生活していかなければならないと、気が引き締まる思いがしました。
ある本に、何かを想像する力というのは、好感から生まれるということが書いてありました。安心感の中でいろいろなことに興味をもち、主体的に学んでいくからこそ想像力が身につくのだとすれば、教育はとても大切だと思います。相手の全てを尊重し、心を開いて関わる力を身につけることができれば、社会はもっと穏やかで暮らしやすくなるのかもしれません。
荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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