2017.06.07
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スキルトレーニングの極意(NO.4 「感情を言葉で表すことができるように」)

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 今年は5月から、30度を超える暑い日が続いたかと思うと涼しくなって、体調を整えるのに苦労しました。気温差が大きい日がこれからも続くと思います。健康には十分にお気を付けください。

 
 さて前回は、ソーシャルスキルであってもコミュニケーションスキルであっても、相手に自分の気持ちを上手く伝えることがポイントとなるので、そのための言語や表現の獲得が大切であるという話をしました。それでは私たちは、どのようにして感情を言葉で表現できるようになったのでしょう。自然と身につけてきたような気もしますが、決してそうではありません。

 私たちは赤ちゃんのころには、お腹が空けば泣き、オムツが濡れると泣くということを繰り返しました。また、あやしてもらえると笑うことも覚えました。人の感情というのは、不快感や快感が分化して複雑になっていくものですから、泣いたり笑ったりが感情の始まりといえるのです。そして、泣くときには不快なエネルギーが身体を貫き、笑うときにはあたたかなエネルギーに包まれる感じがするのは、私だけではないと思います。

 成長と共に、その不快感や快感が、「悲しい」や「悔しい」、「嬉しい」や「楽しい」、「幸せだなあ」のような感情へと分かれていきます。たとえ分化していったとしても、快感を味わっているときには高揚した気分を感じ、不快感を味わっているときには息苦しいような感じをもつことに変わりはありません。ですから、私たちが快感と不快感を分けることは、それほど難しいことではないのです。

 しかし、複雑な感情を言葉で表現していくことは、簡単にはいきません。例えば、「虚しい」という表現は、幼い子どもには通じないでしょう。大人であっても、「虚しい」という気持ちが、同等のものとして感じられているかどうかは、はっきりとはわからないのです。そんな複雑な相手の気持ちを理解するためには、想像力も働かせなければなりませんし、繰り返し感情を体験することによって経験として積み重ねていく必要もあるのだと思います。

 東京学芸大学の大河原美以先生によると、言葉によって感情を共有化することを、「感情の社会化」と呼ぶそうです。赤ちゃんが小学校に入ることまでに、感情を言葉で表現できるようになり、相手が共通した感情をもっているだろうと想像する力を身につけることは、とても大切なことです。それができないと、学習の中で感情を扱うときに、共通の言葉として役目を果たさないからです。

 
 私の苦労話を例に出して、さらに具体的なイメージをえがいてみましょう。私はコンピュータ用語をよく知りません。ですから、操作方法を電話で説明されても、問題を解決することが困難です。「あなたのパソコンには、最新のOSが搭載されていますか?」と聞かれたときに、「OS」は私と相手との共通語となっていないのです。仕方がないので、「私はOSが最新かどうかわからないので、確認の仕方を教えてください」と頼むことになります。

 実はこんなことが、子どもたちとの会話でもしょっちゅう起きています。「配り当番の斎藤さんが友達と喧嘩をして泣いているので、代わりにノートを配ってね」という具体的な話なら通じるものの、「斎藤さんが悔しい思いをしているので、思いやりのある行動をしてくださいね」と言っても通じないでしょう。もちろん、こんな不可解な表現をすることはないのですが、「悔しい」という表現が子どもと共通の言葉になっていなければ、この状況を理解できないのです。ですから、相手を思いやるとか、相手の気持ちを尊重するということもさることながら、自分の気持ちはどのような言葉で表現されるべきなのかを、子育ての中で培っていかなければならないのです。

 
 親や身近な大人として子どもにどのように関わるべきかを、大河原先生の著作「怒りをコントロールできない子の理解と援助」を参考にさせていただきながら考えてみたいと思います。例えば子どもが石につまずいて転んでしまい、泣いたとします。子どもは、転んだことで痛みを感じて泣いているのかもしれませんが、石に気づかなかった自分への悔しさも感じるかもしれません。また、なぜそこに石があったのかという怒りをもつかもしれません。

 大人はそれに対して共感をもち、「痛かったね」とか、「転んでしまって悔しかったね」と、子どもが感じているだろうと思われることを言葉にしていきます。そして感情が静まりかけたころを見計らって、「誰にでもあることなのだから、もう泣きやもうね」とか、「これからはよく見て歩こうね」と、感情が上向くように声をかけていきます。不快な出来事があったとしても、それは決して危険な感情ではなく、ちょっと時間を置いて冷静になりさえすれば、安心できることだと思うように仕向けることが大切だといいます。感情に名前をつけていくという働きかけを意図的に行なっていくことが、子どもたちと関わる大人の役割だということを忘れないでいたいものです。

 
 さて、この話の終わりに、「そうは言っても」という話も付け加えさせていただきます。先日、ある勉強会で、自閉スペクトラム症だと診断された青年と話をする機会がありました。「相手の気持ちがどうこうというのは問題ではなく、自分が不利益を被らないために、ソーシャルスキルを覚えた」という話には、なるほどと考えさせられました。

 「相手の気持ちを尊重することができるように育てる」というのが、教育の目標の一つであることに変わりないのですが、一人一人の個性を尊重することも大事なのです。「自分が謝らないために、いつまでも面倒なことに巻き込まれるのは嫌だったので、謝り方を覚える努力をした」という彼の気持ちも理解されなければなりません。それは、彼が自閉スペクトラム症だから特別扱いをするということではなく、誰に対しても個性を尊重し、気持ちを大切にして関わっていくことが、人付き合いのコツだからです。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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