朝夕の冷え込みを感じる季節になりました。日の暮れも早まっており、ちょっとセンチメンタルになってしまう季節なのかもしれません。暖かい部屋で、楽しいおしゃべりなどをして、寒い季節を乗り切っていきたいですね。
さて、私たちは人と関わるときに、「相手の気持ちを尊重しよう」とか、「場の空気を読もう」といったことに気をつけて、人間関係を円滑なものにしようと努力しています。しかし、それぞれの人生の中で培われてきた考え方や好み、習慣などを理解するためには時間もかかるのです。相手をわかったようなつもりになったとしても、最初のうちは互いに気を遣って折り合いをつけているだけかもしれません。時間と共に本来の姿を見せ合うことによって作る人間関係とは、その質も深さも比べ物にならないのだろうと思います。そんな思いから、前回は「大切な相手に出会ったなら、それが親子であったとしても、時間をかけて人間関係を醸造していく覚悟が必要なのではないか」といったことをお話しさせていただきました。
実は時間の重要性に気づいたのは自分の苦い経験によるものなのです。そして、この時間に気付いたことで、人間関係を築いていく上での問題は全て解決するのではないかと、たかをくくっていました。ところが、「そもそもどうして人は、なぜ相手との関係をよくしなければならないのか」という肝腎な問題について考えることは避けて通れないと思いうようになりました。別の言い方をすれば、ハラスメントやいじめのような問題が起きるのは、なぜなのだろうということなのです。相手に不快な思いをさせる人は、人間関係をよくしようとは思っていないのでしょうか。
そこでこれから数回に渡り、「人がよい関係を築こうと思う背景には、何があるのか」について探ってみようと思っています。そして今回は、最初の切り口として、親子関係に焦点を当てて考えていこうと思います。
先日、同世代の友達と話をしていたとき、「今の親は100点を取ることにしか目がいっていなくて、ダメなあなたでも大好きだよというメッセージがないのではないか」といったことが話題に上りました。私が子育てをしていたころは、どんなことがあったとしても可愛がっていると感じさせる保護者が多かったと思います。核家族化が進み、育児書通りに育っていないことへの不安もめばえていたものの、近所の人や先輩の母親からアドバイスをもらうことが、大きな力になっていたのかもしれません。
しかし今は、保護者が安心感をもって子育てをしていないのではないかと思わせるような姿を、頻繁に目にします。我が子と隣の子どもを見比べて、同じであるかどうかにばかり目が向いてしまっているように感じます。絵が上手だとほめても、「算数の点数が悪いのでダメな子どもです」と言い切る保護者に出会ったこともあります。親子の間に親密な人間関係を築くことができなくなってきていて、愛情のある関係が心地よいという経験が、とても少なくなってきているのではないでしょうか。
なぜ、親子関係に注目したかと申しますと、それは言うまでもなく人間関係の最初の一歩であり、それが人生にとっての土台になるからです。子ども時代に十分に可愛がられた経験のある人は、大人になってからも相手に愛情を注ぐことができるということが、多くの研究で明確になってきています。逆に、十分な愛情が注がれることなく育った子どもは、何らかの問題を抱えることもわかってきています。アダルトチルドレンや虐待などを描いたドラマや映画などによって、多くの人にその問題が認識されてきているのです。
私は心理学者ではないので、子どもの心理発達などについて詳説することはできません。しかし、親子関係の良し悪しが一生を左右するというならば、身近な子どもたちとの関係を見直していくことや、親子関係を円滑なものになるよう支援することも大事だと思うようになりました。パワハラやいじめを防ぐ一助として、親密な人間関係が安全で安心なものであり幸せな気分にさせるのだということを、子ども時代に体感させていかなければならないのだと考えたからです。もちろん、私一人の力でできることには限界がありますが、これからは若いお母さんたちにも、積極的に声をかけていこうと思っています。
そんな思いから、若いお母さんたちと触れ合ったときのお話をしたいと思います。ついこの間、2歳の子どもたちが遊んでいるところを通りかかりました。その中の一人のお母さんが、「最近は、私の真似ばかりして嫌になるんです」と訴えてきました。確かに何でも真似をする年頃なので、自分の振る舞いを見張られているような気分になったのでしょう。私が、「子どもというのは真似て学習するのだから、真似る力があるというのは素晴らしいことですよ」と伝えると、ホッとしたような表情を見せてくれました。
もう一人は、1歳の子どもを育てているお母さんです。その子どもは人見知りが治らずによく泣くし、最近では手当たり次第に物を投げてしまうので困っているという話でした。人見知りをするのは、自分の母親と他人を見分ける力がついている証拠ですし、物を投げるというのも成長の一コマにすぎません。投げそうになったら親が両手を差し出して、「投げると危ないから、お母さんにちょうだい」と言って手のひらに乗せるように教えていけばいいかもしれないと伝えました。
大家族で子どもが育っていた時代には、おじいちゃんやおばあちゃんが緩衝材のような役割を果たしてくれたり、経験から安心感を与えてくれたりしていたのだと思います。しかし、仕事で帰りが遅い夫をあてにできず、一人で子育てをしているお母さんたちは、とても不安感や緊張感が高くなってしまい、それが子どもの心にも影響を与えているのかもしれません。孤軍奮闘で、心もちょっと疲れ気味のお母さんを支え、子どもたちによりよい人間関係の基礎を作っていくために、多くの人たちが関わってくれたら嬉しいです。それが、ソーシャルスキルの第一歩であることを、私も忘れずにいたいと思います。
荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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