ところで、私はここ数ヶ月、地元の社会福祉法人が開催している地域食堂のボランティアに行っています。子ども食堂というよりは、地域のお年寄りや若いお母さんと子どもたちの居場所になりつつあるのかなと感じます。
先日もその食堂が開かれました。地域の農家からご提供いただいた野菜を使って、カレーライスを作りました。熟したトマトをたっぷり使ったカレーは、大好評でした。今回は、そのときの親子関係から考えさせられたことをお伝えしたいと思います。
まずメニューの説明をさせていただきます。カレーライスにはひき肉とトマト、玉ねぎしか入れておらず、ナスとピーマンの素揚げをトッピングして提供することになりました。過保護だとは思ったのですが、小さな子どもたちはピーマンが嫌いだろうから入れないという話になったので、致し方なく同意しました。
ボランティアと法人のスタッフが汗を流しながら作っている側で、出来上がりを待ちながら、子どもとお母さんたちは遊んでいました。そして、いよいよ盛り付けをして食べることになりました。私は、幼い女の子に、「カレーができたから、食べようか」と声をかけました。すると、「カレーなんか食べない」と激しい口調で返されました。初対面の子どもなのでそんなものだろうと、そのときは気にしなかったのです。
しかし、いよいよ配膳が始まって、その女の子の母親がカレーライスを受け取りに来たときに、考えさせられることが起きました。上述したように、カレーライスにはナスとピーマンをトッピングするのですが、私たち作り手がいちいち聞き取って、それらを皿に乗せて配膳していたのです。繰り返しになって恐縮ですが、野菜は地域の農家さんからの提供ですから、十分な量があるわけではありません。ナスはたくさんあったのですが、ピーマンはナスの3分の1くらいしかなかったのです。それなのに、その母親は、「ピーマンは大好きだから、もっとたくさん入れてほしい」と言ったのです。50人分くらい作っていたので、ピーマンは一人分2〜3切れだろうなと、大人なら見てわかりそうなものなのにびっくりしました。その一件だけが原因ではなかったと思いますが、みなさんに配膳した後にスタッフが食べようとしたころには、ピーマンはなくなっていました。
当日は、カレーの他にもボテトのバターソテーと冷やしきゅうり、麦茶が供されました。食後にはかき氷も食べることができました。それで一人分300円です。幼い子どもからは食費をいただいていません。それでも、あれがほしい、これがほしいと言えるのだなと驚いたのです。女の子がふてくされた口調で「カレーなんて」と言ったのも、無理はないのかなと思いました。
もうひと組、心に残った親子がいました。その男の子は配膳を待っているときに、「どのくらい食べるかな、これくらいかな?」などと声をかけてくれるスタッフに上手く返事ができませんでした。後ろに立っていた母親が、これくらいお願いしますといって、手で大きさを示しました。極端に申し上げますと、卓球の球くらいの大きさでした。そこにいた大人は、みな驚いた表情を隠し切れませんでした。「美味しかったらおかわりしていいんだよ」と声をかけ、ほんのちょっとのご飯にカレーをかけてあげました。
ところが、ほどなくしてその男の子が、お代わりにやってきたのです。周囲の大人たちは、「美味しかったんだね、大きくなるね」などと声をかけて歓迎しました。そうしたら、またお代わりにやってきたのです。美味しかったのだろうとは思いましたが、教師の経験のない大人たちも、ちょっと困った顔をしていました。きっと母親の緊張が高く、男の子は普段はあまり食べることが好きではないのではないかと話題になったのです。本当のところはわかりませんが、そういうこともあるだろうと私も思いました。
食べることは、関わることでもあると思います。相手を思いやって同じ釜の飯を食べるのです。給食を誰に対しても公平に配膳することは、社会と関わる第一歩です。1年生は不慣れな手つきで、一生懸命に配膳します。特に、人気メニューになれば、配膳を見守る大人も気を遣います。例えば、フルーツポンチのようなメニューは大人気なので、大きな差が出ることは避けたいところです。そうやって、経験を積みながら学んでいくのです。
おそらく若い母親たちであっても、学校生活でそういったことは学んできていると思います。しかし、自分の好きなものだけ食べようとしたり、我が子の食欲に気付かなかったりというのは、ちょっと残念です。
今、地域に居場所を作ろうという取り組みが積極的に行われています。もちろん地域の差はありますが、子ども食堂に限らず居場所を提供しようとしているのです。それはいいことだなと、素直に思います。
子どもが大家族の中で多くの大人に囲まれて育てられた時代と異なり、子育てはこれでいいのだろうかという不安を抱えた母親一人の手に任せきりになるのは、難しさがあると思うからです。子どもは、多くの大人に見守られて育つものだとも思います。
しかし、居場所作りに際しては、ボランティアで行っているという現状があります。社会に必要とされる仕事がボランティア活動に頼らざるを得ないというのは、いかがなものでしょうか。子どものために必死で働くひとたちは、他で収入を得ねばなりません。私は、きちんとした収入を得られるような仕事のひとつとして、居場所作りが行われるようにと願っています。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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