2024.03.09
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(連載)家族支援@学校~「リソース」と「コーディネート」 その1「リソース」(第十七回)

この連載では、保護者対応を家族支援と捉えなおし、カナダ/アメリカの家族支援の考え方を学校で活かす道を探ってきました。この後は、第二十回を一区切りとし、この連載を終える予定です。そこで今回と次回は、基本に立ち返って、支援の場でよく使われる言葉を丁寧に解説します。まずは「リソース」から。

東京都内公立学校教諭 林 真未

20年前は英語圏では当たり前でも日本では無名だった言葉

2000年~2003年に、カナダの大学の通信教育で「家族支援学」を学んだ時、「リソース」という単語は、最重要用語のひとつで、皆が当たり前に知っているという前提の上で、文献の中にふんだんに出てきました。しかもこれは「上位語」(つまり、「リンゴ」のように一つの種類を指すのではなく、「果物」のように多くのものを含む言葉)なので、汎用性が半端ない。
ところが、日本では、皆さん「リソース」という単語は知っていても、それを家族支援において英語圏と同じような使い方をする習慣はない(それ以前に、そもそも当時は家族支援という言葉すら、ほぼないも同然でした。……今もたいして一般的ではないですね。私が死ぬまでに”家族支援を日本に広める”という野望は、実現しそうにありません笑)。
とにかく、家族支援を説明するために、まずは「リソース」の内包するものをイメージしてもらい、そこから既存の発想とは違う「家族支援学」の考え方を解説し…という日々を、私は、教員になる前の2003年~2008年の5年間過ごしていました。

「リソース」ってそもそもなに?

「リソース」の辞書的意味は、「資源」です。
けれど家族支援における「リソース」の語義を、資源と表現してしまうと、全く意味が変わってしまいます。
私の意訳では「リソース」は、「そこにすでにあるもの」「活用しようと思えば活用できるもの」といったところ(この「もの」という言葉には、施設や人や予算などすべてを含みます)。
「家族支援学」では、家族はコミュニティと切っても切れない関係にあると考えます。また、自分たちの力で自分たちの持つ「リソース」を最大限活用するのが基本。その「リソース」を使って、効果的に家族メンバーにアプロ―チし、同時にコミュニティにも働きかけ、個と全体の双方から善くしていこう、と考えます。
だから、自分たちの「リソース」を自覚することは、家族支援を試みようと思ったら、まず最初にやることなのです。
「リソース」に着目するときには、たとえば、「保育園がある」「子ども家庭支援センターがある」というようなわかりやすいことだけではなく、当たり前だと思って見過ごされていることも、丁寧に発掘していくのがポイントです。
普段なにかと批判されがちな学校ですが、この視点で眺めれば、日本全国に張り巡らされた「子どもが毎日通うシステム」である学校の存在それ自体は、とてつもなく優れた「リソース」ということが見えてきます。
そしてそこには人的「リソース」も存在します。もちろん、よくお手本にされるヨーロッパの国々に比べれば、まだまだ人数は少ないし、個人的には、その少ない人的リソースも無駄遣いしている側面が大いにあるようには感じてはいますが…。
このほかにも、どのような地域住民が住んでいるのか、どこにどんな公的サービス、民間サービスがあるのかなど、家族支援は、そのスタート地点において、対象となる地域コミュニティを大変細やかに見ていきます。
それから、現代では、地理的な制約のない、SNSやインターネットサイト、バーチャルリアリティなどのコンピューターベースのコミュニティの存在感も見逃せません。このリソースにも目を配っていきます。

「地域リソース」の実態

子育て支援が叫ばれて久しい今では、各地方自治体に子育て支援センターがあり、教育センター、福祉センター、児童相談所、保健所、主任児童委員、保護司等、国には子ども家庭庁、民間では各NPOや様々なボランティア、と、一見豊かにリソースが整っているように見えます。
けれど、実際にこれらのリソースを使おうとした経験や、学校としてこれらと繋がろうとした経験がある人は、なんとなくもやもやとした思いを感じてはいませんか。
配布資料やインターネットサイトでは、どこも困ったときにはすぐに役に立つような説明がされているけれども、実際に使おうと思うと、その謳い文句のようにはいかないことが多い。
少なくとも私はそのように感じます。これでは有効なリソースと数えることはできません。
こうなってしまうのには、三つの理由があると私は分析しています。そしてきっと、本気で家族支援をするためには、これらは解消されなければなりません。
一つ目は、人的リソースの少なさ。学校同様、従事者の数が少なすぎては、充分な支援はできません。
二つ目は、申請主義。ほとんどの制度や相談は、家族当事者が自分から申請しなければ利用できません。自分が支援を受けるべきという判断がなかったり、あっても手続きするパワーがなかったり、そもそも情報が届いていなかったり、そんな家族は、せっかくあるリソースを活用できないのです。
三つ目。これが一番深刻な問題ですが、従事者が必ずしも家族支援の実力を持っているとは限らないことです。とくに公的リソースのスタッフや報酬を得ている専門家が、必要な支援をできていないケースがあるのは切ないことです。

学校は本来、子どもの教育の場ですから、家族支援が必要なケースを見つけたら、速やかに上記関係各機関に連絡し、従的に支援に当たるのが理想です。
けれど、これもなかなか理想通りにはいかない。そこには「コーディネート」の問題もあります。
そこで、次回はこれについて考えていきます。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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