どうも、今村です。
昨年度の3月、6年生を小学校から送り出しました。
教員の3月から4月というのは、余韻に浸る間もなく怒涛のように時が流れていく印象があります。そんな慌ただしい中でも、卒業生たちの新しい学校での入学式に参加させていただいたり、小学校へ少し顔を見せに来てくれたりすると、確かにその子の中で時間が積み重なっていて前に進んでいるんだなということ、その時間の中の一点として、自分も数えてもらえたんだな、ということを実感し、「1年間ありがとうございます」という気持ちが改めて湧いてきます。
一転、今年度の4月からは1年生を小学校へ迎え入れました。ここから、どんな時間を一緒に積み重ねていけるのか、とてもわくわくどきどきしています。自分が彼らの時間の中のどんな一点となれるのか…日々の関わりの中で探っていこうと思います。
久々に読んだ「北風と太陽」
最近読んだ泉谷閑示の『「普通がいい」という病』という本の中で「北風と太陽」の話が出てきました。「北風と太陽」の話は何度も聞いたり読んだりしてきたのですが、改めてこの話って面白いな、と思ったので考えたことを書いてみます。
岩波文庫の『イソップ童話集』では以下のようにあります。
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北風と太陽が彼らの力について言い争っていました。そこで彼らのうちどちらでも、旅人を裸にさせたものの方が勝ちだと、いうことにしました。そして北風からまず始めて烈しく吹きつけました。その旅人は着物をしっかり押えましたので、北風はいっそう強く吹きつけました。しかし旅人はなおいっそう寒さに弱らされて、さらに余計な着物まで着込みました。とうとう北風は疲れ切って彼を太陽に譲り渡しました。太陽は最初はほどよい加減に照りつけました。その人は余分な着物をぬぎましたので、太陽はもっと強く暑さを増しました。とうとう彼は暑さに堪えることができないで、着物をぬぎ捨てて、水を浴びるために傍を流れている河にはいりました。
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旅人の服を脱がせるときに、激しい北風と暖かな太陽、どちらが効果的かということから、教育のあり方などにも広く用いられる話です。泉谷閑示は『「普通がいい」という病』の中で、頭と心を分けて解説していますが、北風はまさに頭によるコントロールであり、それが多くの問題を引き起こしているのではないかと述べます。そして「北風方式は、対象を捻じ曲げたり破壊してしまったりするのに対し、太陽方式は対象に真の変化をもたらします」と述べています。教室で出会った子どもたちや、今までの自分の関わり方を想起しながら読んでいました。
そこから考えてみたこと
私がこの話を改めて読んで考えたことは、
①もしどちらも服を脱がせることができていたとしたら
②北風と太陽の順番について
という2点です。
まず①もしどちらも服を脱がせることができていたとしたら、についてです。
北風は、この話のなかでは結局旅人の服を脱がせることができません。北風が吹き付けることで、旅人は着物をしっかりおさえ、さらに強く吹き付けると余計な着物まで着込んでいってしまう。「服を脱がせる」という目標から遠のいていってしまっています。ただ、仮に北風が吹き付けて、旅人がそれに抗うことなく、服を脱がされていたとしたら。寒い風の中で真っ裸になって、旅人は風邪をひいてしまうでしょう。「服を脱がせる」という目標は達成したとしても、泉谷の言う通り、対象を破壊してしまいます。北風方式では、たとえ目標が達成したとしても、対象は心身ともにボロボロになってしまいます。教師や親のコントロールによって一見目標は達成されたけどボロボロ…という状況の子どもの表情を、私たちは容易に想像することができます。
一方、太陽は暖かくすることによって旅人の着物を脱がせます。暑くなって着物を自ら脱いで、河に入る。これは、多分すごく気持ちよかったし、心身ともに充実感があったんじゃないかと思うんですね。想像するに、北風方式で目標達成してボロボロになった子どもの表情と、太陽方式で目標達成して充実感を得た子どもの表情では、同じ目標達成の後でも全く違うはずです。
次に②北風と太陽の順番についてです。
この話ではまず北風からはじめ北風が疲れて太陽の番になります。太陽はまず北風方式で旅人が着込まざるを得なかった「余計な着物」を脱がせなければなりません。北風方式が前にあることで、太陽方式にしても目標達成のために余計な時間がかかるようになっている。何もしないでいてくれればもっと簡単だったはずが、余計な時間がかかるようになっている。「自分では気づかなかったけれど、自分の後にバトンを引き継いでくれる人に余計な手間を掛けさせていた」ということが確かにあったと、過去を振り返ってハッとします。
また、もし太陽が先で、北風が後だったとしたら。一度服を脱いで河に入り気持ちよく過ごしていた旅人に、北風が吹き付け何枚も着物を着込む。それは旅人にとって、かなり辛い経験になるのではないかと思います。そういうことも、確かに自分がしてきてしまったのだろうな、と思います。
自分の関わり方が、北風方式になっているのか、太陽方式になっているのか見極めようとすること。今、どんな状態なのか相手を見ようとすること。自分の関わりが相手にどんな意味をもたらすのか仮説を立てて実行すること。今年度、一つ一つやっていきます。

今村 行(いまむら すすむ)
東京学芸大学附属大泉小学校 教諭
東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、
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