2025.04.17
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子どもの心の動きが「見える」ってどういうこと?  ~子どもとの関係づくりが,斜め後ろから見ることで進んだ~(9)

教卓の前に立つ授業者は,つねに空間全体を見渡す広い視野をもちます。オーケストラでタクトを振る指揮者のように、全員の子を身の内に入れる感覚です。
一方でティームティーチングのT2教師(サポートする教師),あるいは支援員の立場はあくまで補佐役。横や後ろから子どもを見て,授業を援助する仕事をしますから,子どもとの人間関係のつくり方も授業者と大きく異なります。だからこそ「見える」ものがあることを,経験した友人が教えてくれました。

静岡大学大学院教育学研究科特任教授 大村 高弘

「クソジジイ!」

私の友人は校長退職後に居住地の小学校に勤務。非常勤講師としてT2の立場で授業を支えています。その役割を続けていると「自分が授業していた頃と全く異なる感覚」が生まれてきたと言うのです。

当初に彼が感じたのは,どちらかと言えば「戸惑い」に近いものです。
T1教師(メインの教師)の授業の進め方(たとえば課題づくり・発問・板書など)は,自分が望ましいと考える方法と異なることがあります。でも基本的にどんなときも,それに合わせ授業を支えるのがT2教師の本務です。その時心に湧いてくる「違和感」。

二つめは子どもたちとの関係づくり。
担任の先生が毎日接するのと違い,関わりが持てるのは週に1~2時間。また成育歴や家庭環境もわからない。子どもとの意思疎通が図りにくく,個々の心に届く声かけは難しい。そこで感じてしまう「無力感」。
ここからは本人の了承を得て、彼が実際に書いている文を引用します。

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特にそれを実感するのが指導に配慮を要する子どもたちへの対応だった。離席したり,暴言を吐いたりしている子どもに近づくだけで「クソジジイ!」という言葉を投げかけられた時は,無力感さえ覚えた。こうした状況の中で,「学びの創造」など夢物語であり,自分の年齢を考えると(そろそろ潮時かな?)といった気持ちになることもしばしばだった。
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授業参観や研究授業などの機会に,子どもを後ろや横から見る機会は私たちにもあります。でも「クソジジイ!」は,まあないでしょう。その子の支援のために近づくのに。
でも友人は,「地元の子どものため自分ができることを」との志でこの仕事を始めています。そう簡単に投げ出したりはしません。

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そうした不安を払拭してくれる体験があった。それは斜め後ろからの声掛けがきっかけだった。ノートを取るのが苦手な子や問題を解くのに困っている子は,斜め後ろから見ると一目瞭然である。そっと横について,「一緒に考えよう」と声を掛けると,素直に耳を傾けてくれる。どこでつまずいているのか,子ども自身が気づくと,表情が明るくなり,サッとノートに向かうようになる。T2だからこそ,一人一人に応じた細やかな支援が可能なのだと実感する機会が増えてきた。
また,鉛筆の芯がすり減っており,文字を書くのに四苦八苦している子どもも多い。鉛筆削りを貸して,芯が出ると安心して問題に取り組むようになった。鉛筆が2本くらいしかない子もいる。よく見ると,同様の子が何人もいる。消しゴムがなくて間違いを訂正できない子,机の周りが乱雑で,ゴミや文房具が散乱している子もいる。担任は,授業を進めることでいっぱいで,そうしたことにまでとても手が回らないのが現状である。そういう子に一人一人に声掛けをしながらフォローを重ねていくと,子どもたちがすっきりした顔で授業に向かう姿を見ることができた。
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「すっきりした顔」を見られる役得が,T2教師にあるのですね。
T1教師には見えにくいしぐさや周囲の状況が,斜め後ろからは見えるようです。

オーケストラの指揮者は前からしか演奏者を見られません。仮に困っている様子が目に入ってもタクトは振り続けるでしょう。T1教師もそうせざるをえない場合が多いはず。「次どうするか」(授業の進行)に注意を集中しなければ,子どもたちは路頭に迷ってしまいます。
一方T2教師は即座のフォローが可能です。さらに言動の理由を子どもの身になって熟慮し,その子の困り感にピッタリ合った支援もできるでしょう。
では友人の言葉を続けます。

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以前「クソジジイ」と声を掛けてきた子どもが離席していた後,席に着いた時,授業とは関係ない九九の7の段を誦じているのが,聞こえてきた。思わず,「なぜ,一番難しい7の段が言えるの」と聞いたところ「お父さんにしごかれているんだ」と教えてくれた。「勉強の面倒を見てくれるなんていいお父さんだね」と言うと「俺は中学を卒業したらお父さんの会社で働くんだ。お父さんが九九は仕事でも必要だから,しっかり覚えろって言ってた」と語ってくれた。
それから,休み時間のうちに教室に行って,その児童と何気ない話題で話せる機会が持てるようになった。「クソジジイ」と言う言葉は,特性が強い子どもが警戒心を持っている時,近くに寄らないでほしいというサインなのだと分かってきた
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「自分を認めてくれた」との捉えがこの子の気持ちを変えました。
以前の「クソジジイ!」は,一定の人間関係があったからこそ発せられたのでしょう。関係づくりに心を砕き続け,この子の内面が表に出た“サイン”が「クソジジイ!」だと捉えるに至った柔らかさに,友人のもつ底力を感じました。

仕立て屋のような仕事

その子の身に合う服を仕立てるように,子ども一人ひとりに対応するのが“テーラーリング”。
かつて、教育学者の佐藤学氏は講演で「“テーラーリング”(個への対応)と“オーケストレーション”(協同の促進)を行うことによって,ダイナミックな学び合いが教室に実現する」と述べました。

私にはT2の経験が乏しく,“テーラーリング”の現実は十分わかりません。それぞれの役割のもつ価値とおもしろさを,身をもって知ることがまずは重要。友人はそれを,この1年の苦しくも愉しかった経験を振り返り教えてくれました。
文末の言葉です。

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そろそろ来年度の身の振り方を考える時期に来ている。せっかく気付いたこの魅力ある仕事を前に,“潮時”という言葉はもう少ししまっておこう。
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大村 高弘(おおむら たかひろ)

静岡大学大学院教育学研究科特任教授


教員不足の問題がいろんな機会に取り上げられています。
でも教職は実に愉しくやり甲斐ある仕事ではないでしょうか。
その魅力を読者の皆さんといっしょに考えていきたいと思います。

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