2024.02.19
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単学級小学校での学級経営の1年~3月の卒業式に向けて大切にしたいこと(14)

新型コロナウイルス感染症が流行し始めたころに実施した卒業式は、練習を一度もすることなく、卒業生だけが参加する形で行われました。練習しなくても、意外にできるじゃないか・・・という話題が、学校の教職員の間ではちょっとした話題になったのではないでしょうか。

北海道公立小学校 教諭 深見 智一

卒業式で目指すものは…

学級担任としてではなく、教務主任として教頭先生と共に全体練習の進行を務めることがあります。個人的に大切にしたいと思うことは、

「卒業生が、等身大の自分の姿を見せられること」

だと思います。6年間で、知的にも、心も体も大きく成長したので、別に飾ることなくいつも通りの姿を見ていただくだけで、子どもの成長を在校生や保護者の方に感じていただけるのだと思います。

卒業式は、6年生が主役です。その6年生が緊張して、ガチガチになるような指導をしてしまうことがあります。例えば、この線で礼をしましょう、一歩前に出るときは左足(右足?)から、卒業証書は左手(右手?)からもらいましょう、階段を降りるときは、会場を見て3秒立ち止まりましょう…など、私自身もかつてそのような指導をしていました。もちろん、儀式的行事として、折り目正しい雰囲気や、その学校独自の伝統や文化があることを否定するつもりは全くありません。

でも、良かれと思っている指導が、実は、大人(ともすれば、教師)が考える「あるべき卒業式の姿」の体裁を整えるためになっていないでしょうか。主役である子どもたちを「助ける」ための指導が、かえって助けではなく、緊張の原因になって、いつもの等身大の姿を見せられなくなってしまうようであれば、それは何か違うのではないか?と私は考えます。

いつも通りやりましょう、の一言で終われる学級経営を目指したい

私はこういう考えなので、絶対にしませんが(したくありませんが)、卒業式練習が始まってから、「礼」の仕方をやたらとたくさん練習させたり、話の聞き方を指導したりするのは、私からすると「は?」という感じがします。日常的に教室で指導していれば、しっかりとできるはずなので、

「普段、教室でやっている通りやりましょう」

の一言で終了するはずだと思うのです。確認するぐらいなら分かりますが、卒業を間近にした6年生が、繰り返し礼の仕方を指導されているのは、それまでの指導に何か問題があったのかもしれない…という教師側の自戒が必要かもしれません(もちろん、そんな簡単にはいかない事情がある学校もあるかもしれません)。

「お話している方の目を見ましょう」「お話を心で聞きましょう」といったことを、その大切さを指導することもなく、形式的に指導している場面を見ると、私は、正直、倒れそうになります…。教師が「こうあるべき」と思っている「べき」が強すぎて、子どもの実態が無視されていないか、子どもに指導の意図が伝わっていないのではないか、もっとそもそも論で考えると、教師自身も「なぜそのように指導しなくてはいけないのか、合理的な理由を説明できるのか?」と思うのです。等身大のその子の姿を見せられる教育を、普段から行っていれば、とってつけたような指導はしなくて済むと思うのにな・・・と思うのです。

だからこそ、学校行事のない日常の学校生活を大切にして指導にあたらなくてはならないと強く自分に言い聞かせて、今年度のゴールを目指したいと思います。

深見 智一(ふかみ ともかず)

北海道公立小学校 教諭


書籍等で取り上げられることがあまり多くない1学年につき1学級の単学級の学級経営、複式学級の学級経営について、これまでの実践や量的調査の結果をもとに、効果的な実践例を発信していきたいと考えています。

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