2022.04.13
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教師の五感を磨く~『味覚』を磨く~新年度大切にしたいことの一つ (9)

「教師の五感を磨く」をテーマに、今期、新たな気持ちでスタートを切りたいと思います。五感の三つ目「味覚」(味わう)を取り上げます。教師が磨く『味覚』とは、何でしょうか。そして、その感覚を磨いていくにはどうしたらよいのでしょうか。新年度を迎え、新たな出会いにあたり、一緒に考えてみませんか。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

新年度を迎え、心地よい緊張感に学校が包まれていることと思います。教師も、子どもも、新しい教室も。

特に、4月の前半は、学級づくりで最も大切な時期とされています。教師にとっては、やりがいがあり、この一年への思いを膨らませる時期でもあります。そうした中、教師の論理で、「指導」や「ルールという名の『しつけ』」がなされがちです。しかし、学校の主人公、教室の主人公は、言うまでもなく子どもです。

子どもの語り、つぶやきを味わいながら受け止める、そんな時間を持てたらいいなと思うのです。忙しい、この時期にこそ、じっくりと子どもと向き合う時間を創ってみたいなと。

「味覚、味わう」とは?

では、「味わう」とは、どういうことでしょうか。五感で言えば、「味覚」が、味を感じる感覚であり、「味わう」ことですね。何を味わうかといえば、料理でいうならば、甘味、酸味、塩味、苦味と旨味の五味を感じ取ることです。舌には、それぞれの味を感じるところ、センサーが備わっていて、敏感にそれぞれの役割を担い、味の情報を感じ取っているのです。(話がそれますが、「味覚の授業」が全国の小学校でも実践され、子どもたちが体験的に味の基本を学んでいます。)

さて、Weblio辞書によれば、「味わう」には、こんな意味があるそうです。

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① 飲食物を口に入れて、そのうまみを十分に感じとる。味を楽しむ。
② 物事のおもしろみや含意を考えて、感じとる。玩味(がんみ)する。
③ 身にしみて経験する。体験する。
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ここで問題にしているのは、飲食物ではありません。ですから、「味わう」とは、②や③の意味です。したがって、学校で、教室で「味わう」と言えば、子どもの発言や考え・思い、そして、日々の授業を「味わう」ということで、話を進めたいと思います。

子どもの発言を「味わう」姿勢

具体的に考えてみましょう。
授業で子どもの発言を、どんな思いで聴いていますか?

① 授業者(私)が期待している発言だろうか。 発問に対応した応えになっているだろうか。
② その期待に対して(発問に対する応答として)、〇か×か。
③ この子どもの発言に対して、どういうふうに応えようか。
④ この後、どのように授業を進めようか。

いずれも私が若い頃、子どもが発言するときに考えていたことです。しかし、こういう聞き方(受け止め方)では、子どもの発言を「味わう」ことには、つながりません。むしろ、こうした教師の姿勢は、発言している子どもに伝わっていくものです。「先生、聞いてくれてないな」「受けて止めてくれてないな」と感じることでしょう。

教室でなくても、こういう話し手と聴き手の関係は、ありがちなことではないでしょうか。上司に自分の相談事をするとき、その上司が仕事の手を休めずに、目も自分に向けずに聞いたら、どんな思いを持つでしょうか。

「味わう」とは、その子どもの発言をじっくりと聴き入れる、正対し、時に並び身で、その声を受け止めることだと思うのです。その子どもがどんなことを感じ・思い・考えているのかを想像しながら、自分の内に入れていくことだと思うのです。そして、先入観を持たずに、まっさらな気持ちで、子どもの声に耳を傾けることだと思うのです。
ただ、これは、そう簡単なことではないのかもしれません。

ある授業の子どもの発言を「味わう」

ある年の6月。保幼小連絡会の日。1年生の算数の授業のことです。授業者のA先生が、子どもたちに投げ掛けます。

「先生のお手伝いをしてくれる人?」

たくさんの子どもたちの手が挙がります。A先生は、その中で、BさんとCさんを指名し、その2人がそれぞれ2個のバスケットボールをかごに入れるところから、授業が始まります。2人が持っているバスケットボールの数を合わせるとどうなるか、これが、始めの課題です。その場面をみんなで確かめると、A先生は、子どもたちに問い掛けました。

「みんな、『あわせる』ってどういうこと?」

私は、この問いを聞き、ドキッとしました。(難しいこと、言うなあ。合わせるって、まさに今目の前で見たそのものだ。それをどういうことって、どう子どもは、応えるのだろう。1年生になって間もない、子どもたちに応えられるのかなあ)そう思ったのです。
しかし、子どもたちは、こともなげにスッと手を挙げます。そしておもしろい発言がどんどんつらなっていきます。

Dさん  :「つながること」
Eさん   :「いっしょになるということです」
Fさん   :「くっつくこと」
Gさん  :「いっしょに入れると4こになること」
Hさん  :「2こと2こをたす」

さらに驚いたのは、Iさんの発言です。
Iさん:「前に行きます」

黒板の前に出てきました。そこで、言います。
「Jさん、ちょっと出てきてください」

Jさんが出てきて、二人が並びます。そして、Iさんは、Jさんと手をつなぎました。そして、
「これで、『合わせて』です」

「味わう」ために必要な教師の姿勢

予想外の子どもたちの発言の連続に、子どもってすごいなぁ、とあらためて思いました。
どの子にもそれぞれの思いがあり、よさがあり、表現があります。一つ一つの言葉を噛みしめながら受け止めていくと、そうしたその子らしさを「味わう」ことができます。時間を気にして、前へ前へと推し進めていく授業では味わえないことだと思います。

このやりとりの中で、A先生が、どのように子どもたちの発言を受け止めていたのかは、聞き取っておりませんが、こうした子どもたちの発言が自然な形で表出されてくるのは、普段から授業者A先生が子どもの受け止め、「味わう」ことができているからではないかと思います。

逆に、発言の連続の中で、教師が持つ授業プランに引っ張っていこうとしたり、子どもの発言に解説・解釈の言葉を加えたりすると、子どもの発言や思考は停滞するのではないかと思いました。教師がすべきは、子どもの発言を味わうことではないでしょうか。そして、さらに先に進むとすれば、子どもの発言と発言をつないでいくことではないでしょうか。例えば、この授業で言えば、一連の発言を受けて、聴き手である子どもたちが何をどう感じたかを問い掛けてみると、さらに深まりが出てくるのかもしれません。

まとめてみると、以下の3つが子どもの発言を「味わう」ために必要な教師の姿勢かなと考えています。

① 子どもに正対し、時に並び身で、その声を受け止める姿勢 (受け止めることに集中します)
② 先入観を持たずに、まっさらな気持ちで、子どもの声に耳を傾ける姿勢 (子どもに対する先入観は捨てましょう)
③ 教師の論理は、いったん捨てて、子どもの論理を優先する姿勢 (いったん、授業プランを傍らにおきます)

むすびに

「味わう」には、教師の「聴く」ことは、欠かせません。「聴く」ことの大切さは、これまでに述べてきたとおりですが、少し異なる表現をしてみると、「聴く」とは、子どもが投げ返してくるボールをうまく受け止めること(聴く)ことです。どんなボールを投げてくるのか、ある程度は、予想するんですが、その予想から外れてくることは当然としてあることです。幼稚園の先生は、どんなボールも受けようと拾いにいくと言われます。

私なら、ミットを構えたとき、どれくらいのボールなら、捕りにいけるでしょう。バックネットにぶつかるようなボールも捕りにいけるでしょうか。それとも、体勢を崩し、手を伸せばとどくところぐらいでしょうか。ストライクしか捕らないでは、よいキャッチャー、よい教師とは言えませんね。

キャッチャーがいいと、ピッチャーは、安心して、どんどんボールを投げ込んできます。

先に紹介したA先生は、子どもの発言を「味わう」教師であり、よきキャッチャーでもあると思います。よきキャッチャーがいて、ピッチャー(子どもたち)を育てていくと、味わい深いボール、発言が見られるようになるのではないかと思うのでした。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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