2021.11.30
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教師の五感を磨く~聴くことをどう指導するのか?~(前編)(2)

「聴く指導」が大切だと言うけれど、一体どんな指導をしていけばよいのでしょうか。どのように指導をされていますか?
私が考える「聴く指導」の要諦4つを、私が出会った授業とともにお伝えします。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

耳をきれいに

子どもが幼い頃の、私の子育て業務は、①お風呂に入れること②爪を切ること③耳掃除をすること……などでした。中でも、私が楽しみにしていたのは、③の耳掃除でした。私が愛用しているのは、ローションとセットになっている綿棒です。これを使うと耳がスキッと気持ちいいんですよ。
さて、「耳をきれいに」「耳を洗え」と言った人がいます。保健の先生ではありません(いや、保健の先生も言うと思います。ここでは話の流れで、)良寛です。
良寛の詩に、次のようなものがあります。
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道を聞くには 宜しく耳を洗うべし  不ずんば 道は委りがたし

耳を洗うこと、それ如何ぞや     見地を存することあるなかれ   『良寛詩集』入江義高著、講談社
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良寛は、「まず耳を洗え」「耳をきれいにしろ」と言っています。道について聞こう(学ぼう)とするならば、耳をきれいにしなさいというのです。耳をきれいにするというのは、耳を澄ますということです。耳を澄ますというのは、心を澄ますということです。人の話を聴くときの構え、ものごとを学ぶときの構えを諭しているように思います。
今も昔も、「耳をきれいに」は、大切です。もちろん教師にとっても大事ですね。

「聞く」指導と「聴く」指導

さて、さて、教室内でよくありがちな指導で、「聴く」指導、否、「聞く」指導というと、「手を膝の上に置いて、背中をピンと伸ばし、話す人の方を向いて、うなずきながら聞きます」なんてことを言われたりしますが、どうでしょう。確かにいい姿勢で聞いていれば、見かけはいいのかもしれませんが、子どもを鋳型にはめたようで、窮屈でなりません。子どもの側から見れば、強いられた「聞く」だと思うんですね。話の内容なんて関係なくなってしまいます。じゃあどうすればいいのって言われます。

そこで、私が考える「聴くことの指導」の要諦は、4つです。

(1)子どもたちに「聴くこと」の大切さを伝える

学ぶことは、聴くことから出発する。聴き上手こそが学び上手なのです。例えば、学級で30人の子どもがいても、その中で話し手はたった一人。他の29人は聴き手になるのです。よい学び手になるには、よい聴き手になることに他なりません。「聴く」ことで、自分の考えに広がりと深まりが生じたり、新たな問いが生まれたり、もしかしたら自分を成長させてくれるきっかけにもなったりします。一つの化学反応が起こるのです。そうした「聴くこと」のよさや大切さを、子どもが本当の意味で「分かる」ことが必要だと思うのです。「静かにしなさい」「話を聴きなさい」では、子どもには、「聴く」ことの本当の意味は、伝わらないでしょう。

子どもの発達段階に応じて、具体を示しながら、穏やかに語り、伝えていきたいものです。また、子どもたちに「『聴くこと』ってどうして大事なんだろう?どんなよさがある?」と問い掛け、子どもたち自身が考え、価値付ける場を創ってもよいのかもしれませんね。

(2)教師自らがよき聴き手となる

子どもの発言を背中で聞きながら板書していては、子どもの話を本当の意味で聴いたことにはなりません。教師自身が話す子どもに正対して、子どもの発言を受け止めること、目で聴くこと。この姿勢が発言する子どもにも、それを見ている子どもにも伝わると思うのです。
また、教師が聴き手に徹するということ、教師の発言量を最小限にすることにも心掛けたいと思います。授業参観で各教室を回っていくと、ついに子どもの発言を聴けなかったということがあります。教師が一生懸命話をして、ずっと子どもが聞いている。これじゃあ子どもが可哀そうだと思うこともありました。
まず、教師が、子どもの声を聴くことに意識を持ち続けること、そして、よい聴き手のロールモデルとなることが大切ではないかと思います。子どもはいつの間にか学級担任に似てくるっていいますよね。だから、教師の聴く姿勢も大事なんです。

私が出会った授業 先生の動き

この「聴くこと」に関して、私が出会った3年生の授業を紹介します。それは、こんな場面でした。国語「きつつきの商売」の一の場面を読み深めていく授業です。

教室一番前の席のAさんが、手を挙げ発言しようとしたときです。授業者のB先生は、さっと黒板の前から、教室の一番後ろに移動すると、かがみこんでAさんと同じ視線になりました。
そして、「こちらに届くように話すんだよ」と声を掛けたのです。ほんの数秒の出来事なのですが、そこに教師の構えの要諦があるようにも思いました。このB先生の動きによって、

  1. 話し手は、だれに伝えるのか、話すのか、具体的に聴き手を意識します。
  2. 同時に、聴き手である多くの子どもたちは、話し手を意識するようになります。
  3. 教師のこのフットワークは、子どもが見習うところとなります。

といった「効果」があるんじゃないかなと思います。

「上手な聴き手」を育てること、これは、授業づくり、学級づくりの礎になるとあらためて思いました。聴いてもらえないことを話すほど空しいことはありません。話し手である子どもが、「聴いてくれている」という実感がもてると、話す意欲も高まっていくと思います。Aさんが、ゆっくりと落ち着いて語れたのは言うまでもありません。

むすびにかえて

2回にわたって、「聴く」をキーワードに話を進めてきました。
前回は、つぶやきに耳を澄ませることが、深い学びを生み出したり、子どもの見えを豊かにしたりすることにつながることを。今回は、私が考える「聴くことの指導」のポイントを綴ってきました。残念ながら、ここで紙面の限りが近付いてきてしまいました。
「聴く指導」要諦の残り2つは、次回紙面に譲りたいと思います。
耳をスッキリときれいにして、爽やかにつれづれと語ってみたいと思います。
それでは、また。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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