2022.01.11
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「教師の五感を磨く 見えないところを見ようとする 」 (4)

「教師の五感を磨く」。
前回までの「聴く」ことに続き、今回は「見る」ことについて、具体的な授業場面をもとに、その意味をつれづれに綴ってみたいと思います。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

見えないところを見ようとする

私の好きな本に『じめんのうえとじめんのした』という絵本があります。
自分の子どもが幼い頃、絵本探しをしていて、出会った一冊です。今も、小学校の読み聞かせでは、必ず教室に持って行って、子どもたちに紹介しています。絵本ですから、いろいろな植物の例を挙げながら、地面より上の部分や下の部分が、それぞれどんな様子なのかを絵で示し、分かりやすく解説してくれる本です。

この世界に生きている植物には、目に見える地面の上の部分と目に見えない地面の下の部分があり、それぞれの機能をもって密接につながりあって生きているというものです。
地面より下の部分って、あまり興味がなくてどうなっているのか知らない植物が結構あります。このことは、子どもも、いや人間も、同じなのかなって思います。つまり、誰でも、地面の上、目に見える部分と、地面の下、目に見えない部分がありますよね。

とかく人は、目に見えるところにどうしても注目しがちですが、目に見えないところとも一体となっているのですから、むしろ目に見えない「地面の下の部分」こそ大事にしないといけないのかもしれません。むしろ、そこを見ようとしなくてはいけないだろうなと思います。
そういう意味で、教師の、子どもの見えない部分を見ようとする姿勢が必要なんだろうなあと思うのです。

さて、クイズです。

「はっぱは、さわるとパリパリのところとフワフワのところがあります。はっぱのにおいは、おちゃっぱみたいです。はっぱの中に白くてほそい線が入っていて、形はおさらみたいです。わたしはだれでしょう?」

小学校2年生のあるクラスの国語科の授業で、Aさんが作った野菜名人になるためのクイズです。どんな野菜か分かりますか?五感をフルに働かせて作ったクイズ。生活科を中心に、これまでどんなふうに野菜とかかわってきたかが伝わってくる内容です。
では、もう一題。

「はっぱの色は、みどりです。なえの高さは、18センチです。はっぱの数は63まいです。はっぱは、4センチ2ミリです。一ばん大きいはっぱは、けしごむよりちょっと小さいです。さて、わたしは、だれでしょう?」

これは、Bさんが作ったクイズです。数字にこだわって記録をしています。具体的に野菜の姿をイメージすることができますね。どんな野菜か分かりますか? 
こうした授業を、参観すること、自分の目で見ることは、私にとって、とっても幸せな時間です。今回は、教師の五感を磨く「みる」について、とりわけ授業を「見る」、子どもの学びを「見る」ことにフォーカスして、綴っていきたいと思います。

AさんとBさん、それぞれの「見える」ところ

Aさんは、導入で、授業者の先生の問い掛けに素直に耳を傾けています。
「野菜名人になれたかなあ?詳しくなった?」の問いに、すぐさま「なってない」と応えます。そして、例示となるクイズの説明になると、じっと自分のワークシートを読み返していきます。ところどころに波線が引かれています。そこは、クイズづくりのヒントとなるようです。どんな部分に線が引かれているかに注目しながら、読んでいるようです。

そして、いよいよクイズづくり。カードにクイズを書き始めて数分。多くの子がまだ書いている途中でしたが、すっと手を挙げ、クイズを作り終えたことを先生に伝えます。
ワークシートに書かれたクイズは、先の通りです。
目だけでなく五感を働かせた、これまでの観察が生かされたものです。しかも、Aさんの野菜へのこだわりが感じられます。

一方、Bさん。Bさんは、クイズのカードが配られると、説明も質問も聴かずに、すぐさまクイズづくりに入ります。先生の話など耳に入っていないようです。クイズのポイントの説明も、友達の質問や先生の受け答えも頭の上を通過しているようです。
そして、まだ他の子どもがクイズを書き始めようかというところで「先生、できました」と手を挙げます。

友達のクイズが紹介されるときには、「大きな耳で聞いてやる!」と、つぶやき、クイズを出題する先生に注目します。そして、一つ目のクイズが終わると、「先生、俺のにして!」と大きな声でアピールします。
この一時間のBさんの意欲は、すごい!の一言でした。何がこの意欲を引き出しているのでしょうか。

これらは、二人の子どもの表れの一部にすぎません。言わば、目に見える部分、「地面の上の部分」の一部です。それでも、子どもを見取るというのは、容易なことではありません。

「地面の下の部分」を見ようとすることの意味

AさんのこだわりやBさんの意欲は、一体、何処から来たのでしょうか。それを見ようとするのが、「地面の下の部分」を見ていくことにつながります。それが、彼らの学びを明らかにすることになります。つまり、言い換えると、子どもの表れ(見える部分)を、どのように「意味付ける」のかということです。

そして、それは、教師がどれだけ「見える目」を持っているかにかかっているのです。さらに、その「見え(とらえかた)」が、授業者のその子どもへのかかわり方を決め、その子どもの学び、その子どもの振る舞いにも大きく影響していくことになります。子どもの見えが平板であったり、深まりがなかったりすれば、その教師の対応は、その場当たり的なものに終始していくのではないでしょうか。
だからこそ、子どもの行為の一つ一つを、その背景になる思いや出来事とつなげて見ていくこと、見えていない部分を見ようとすることを大事にしていかなくてはならないのですね。見えないところを見ようとする姿勢も。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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