2021.12.17
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教師の五感を磨く~聴くことをどう指導するのか?~(後編)(3)

「聴くことの指導をどうするか?」
前号より考えてきましたが、今回は、指導の要諦の後半2つをつれづれに綴ってみたいと思います。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

「カラオケ型発表」で聴く?

以前(コロナよりずっと前)、何年ぶりぐらいに友達と3人で飲む機会がありました。
その一人が曰く、「カラオケにも行きにくくなった」と。
「なぜ?」と問うと、「一人じゃ1時間しか入れてくれないんだよ」とのこと。
私、カラオケというところは、酒席であること、そして、複数の人と行くことが当然のように考えていたので、「でも、なんで一人で行くんだよ?」と尋ねました。

彼の話によると。彼は、中学時代から吹奏楽をやっていて、もっぱらその練習にカラオケを使うんだそうです。楽器の練習じゃ、飲んだり食べたりしない。売り上げには全くつながらない客なんですね。
それじゃあ、お店の人も迷惑に感じるわけだ。と納得しました。
しかし、カラオケで「飲まずに、昼間から、一人で」なんて、私には信じがたい話でした。

さて、授業の中で「カラオケ型発表」っていうのがあります。どんな発表か想像できますか?
子どもが黒板(あるいは、先生)に向かって話をしていて、聞き手である子どもに入ってないっていう発表ですね。もう少し言うと「カラオケ型」というのは、次に自分が歌おうとしているから、今歌っている人の歌は聞いてないというやつです。それで、終わったら拍手だけしてね。そういう発表、よくあるような気がします。

静かにして黙っているけど、聞いていない。発言する子どもも「さあ、僕が言っていることがみんなにどう入っていくかな」と思いながら発言すればいいんだけど、黒板ならまだしも、ノートばかりを見ていて、周りは関係ないって感じで話している子ども。そんな様子を見かけません?
特に、ノートやワークシートに書いた後で、発言させたりすると、そんな発表になるような気がします。これじゃあ、聴くことに繋がりませんよね。聴き手も話し手も育ちませんよね。学び合いっていうものにはならないと思うのです。

さて、さて、今回のメインテーマは、前号に続き「聴くことの指導をどうするか?」です。「指導の要諦4つ」のうち後半2つを、前回よりも掘り下げつつ、紹介したいと思いますので、お付き合いください。

(3)「聴く」ための仕掛けをする

子どもが「聴く」世界に入っていくための仕掛けを創ることも大切です。その仕掛けを3つ挙げてみたいと思います。

その1 教師の語りの仕掛け

「大きな声の先生は、いい先生だ」なんて時代錯誤なことを言う方は、もういないと思うのですが、子どもが自然に耳を傾けるような、注目するような話し方をすることです。そっとささやくような小声で話したり、話のトーンに変化を付けたり、聴かせる工夫が必要なのです。モノトーンにならないようにしましょう。

その2 子どもへの声掛け

授業の中で、子どもたちに発言を求めるとき、話合いに入るとき、どんな声掛けをしていますか?
「分かった人、発表しましょう」
「自分が考えたことを話し合いましょう」
これらは、いずれも「話す」ことが意識されていますね。これを、以下のように変換してみてはどうでしょうか。
「どんな考えがあるか、みんなで聴いていきましょう」
「友達の考えを聴く時間にしますね」
「話す」ことから「聴く」ことを中心にした時間を創っていけると思うのです。少なくとも子どもに「聴く」という言葉が入り、「聴く」という行為が意識されると思うのですが、いかがでしょうか。

その3 具体物を示すこと。「show & tell」

つまりは、「show & tell」という手法を用いることです。話術だけでひきつけられればよいのですが、なかなか難しい場合があります。そんな時は、具体物を示します。自然に子どもの視線が集まります。耳も自然に話し手に向かいます。大人だって同じですよね。登場のさせ方も、袋から焦らすように出したり、途中まで見せて止めたり、ちょっとした工夫でぐっと子どもの心をつかむことができます。この技を磨けば、「次は何だろう?」と、子どもが身を乗り出して聴いてくれるようになると思います。

(4)聴くことのよさを実感させる・自覚化させる

こうして、聴くことの指導を重ね、育ちがあれば、きっと「聴くこと」のよさが子どもの内に生まれていると思います。

「なるほど、よく分かるよ」(共感)
「へえー、知らなかったよ。そういう考えあるんだ」(気付き・広がり)
「どういうこと?分からない??」(疑問)
「そう考えていくと、どんなことが言えるのかなあ」(深まり)
「私の考えと合わせるとどうなるんだろう」(深まり)
「私が考えていたことは、こういうことなんだ」(メタ認知)

大事なことは、こうした聴くことのよさを子どもが実感していくことです。無自覚な場合には、自覚化させることです。

「聴いてみて、どうだった?」と問い掛けてみるだけでも、子どもたちからは、様々な声が聴かれるんじゃないかと思います。それを板書したり、カードに書いたり、発言をつないでいったりしていけば、学級全体の「聴くことのよさ」の実感が見える化できるかもしれません。

そうすれば、「聞きなさい」という教師の言葉は、いらなくなるんじゃないのかなと思います。

育むべきは、「よく聴く子ども」「よく聴き合う教室」

育むべきは「よく発言する子」「よく発言する教室」ではなく、「よく聴く子ども」「よく聴き合う教室」であり、そうした子どもたちが「真の学び合い」を可能にしていくんじゃないでしょうか。教師が、すぐに目には見えてこない、とらえにくい「聴く」ということの指導を大切にすることこそが、授業づくりの要諦であると思います。

よく話を聴いている子どもを認め、ほめ、聴くことのよさを実感させていきましょう。また、話を聴かない子どもがいたら、子どもを注意する前に、自分自身の有り様を振り返ってみることもしてみたいと思います。

コロナ禍が続く中、いくら規制が緩和されたといっても、忘年会シーズンになったといっても、私は、もう少しカラオケに行くのは、控えておこうと思います。もし行けるようになったら、まず聴くことから始めようと思います。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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