2022.02.17
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教師の五感を磨く~『みる』のあれこれ 多様な見方をできる教師でありたい~(6)

「教師の五感を磨く」 
一言に『みる』と言っても様々な見るがあります。
今回は、多様な「見る」ことについて、実践事例をもとに考えていきたいと思います。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

「みる」という言葉の意味

「みる」という言葉は、多様な意味を持っています。見る人の心の状態を映し出していると言ってもよいのかも知れません。漢字にしてみると、「見る」が一般的に使われていますが、これ以外に「診る」「看る」「視る」「観る」などがあります。それぞれに以下のような意味を持っています。

「診る」:「脈を診る」「医者に診てもらう」のように、医者が患者の健康状態や病状を調べる、判断する。
「看る」:「看病」「看護」のように、温かな気持ちで、世話をする。
「視る」:「注視」「視察」のように、よく気を付けて見る。
「観る」:楽しみながら、じっくり見る。見学、見物する。
「監る」:監視する、どこかに落ち度がないか捜しながら見る。

といった具合です。

子どもの学びを見る、授業を見るときには、どんな「みる」を意識されているのでしょうか。現実には、なかなか難しいこともありますが、子どもも、授業も、温かな気持ちで、楽しむ気持ちも忘れずに、じっくりと見ていきたいと思うのです。
私が、初めて2年生の担任をした時の生活科の授業を紹介します。

私は、一体彼の何を見てきたのか

20XX年5月1日(月)の生活科の時間。学年の子どもたち全員が、展示ホールに集まりました。野菜づくり名人Aさんにおいでいただき、野菜の上手な作り方について、お話を伺うのです。野菜を育てていくには、その種類によって、どんなところに気を付けなければいけないのか、どんな特徴があるのかを丁寧に教えていただきました。野菜の苗や種といった具体物を目の前にして、子どもたちは、全体としては、熱心にその話を聞き、これから始まる野菜づくりへの気持ちを高めていたように思いました。
しかし、私が担任する2年1組は、どうかというと、やはり集中して話が聞けない子どもが目立ちます。せっかくの機会なのに、どれだけこの時間が生かされるだろうと不安に思いました。一方で、「まだ2年生だから、話を聞くといってもこんなものか」という思いもありました。

翌2日(火)には、鉢の土入れをし、野菜の苗の植え付けや種まきを行うことになっていました。クラス単位の活動であったので、1組では、はじめに、前日の振り返りから入っていきました。つまり、Aさんが、どんなことを教えてくれたのかを、子どもたちに順序立てて発表させていきました。 
その中で、Bさんという男の子が手を挙げました。普段は、活発と言えば活発ですが、話を聞く態度はよいとは言えず、たびたび私が注意するような子どもでした。すきさえあれば自分の席を出て、友達と話をしている子どものように私の目には映っていました。要するに、私からすると、要注意人物の一人であったのです。もちろん、昨日の話も決して集中して話を聞いているようには見えませんでした。

しかし、その子が手を挙げるのですから、どんなことを発言するのか聞いてみたいと思いました。どんなお話をしてくれるかと楽しみにしつつ、「Bさん」と彼の名前を呼びました。
すると、驚き。苗の植え方を、身振り手振りを交えて細かく説明してくれたのです。昨日の名人Aさんの話をきちんと聞いていなければ言えるものではありません。自分の彼に対する見方は、一体何だったのかと思いました。私は、一体彼の何を見てきたのか。彼のうわべの行動だけで判断していたのかも知れないと思いました。

家庭訪問をしてみると

その日の午後。家庭訪問で彼の家を訪れました。話は勿論、野菜づくりのことに及びました。母親からは、こんな話が聞かれたのです。

「実は、家でも、野菜を育てているんですよ。学校で聞いてきた話をよくしてくれます。この前は、家で育てている野菜につぼみがついたんですが、『早くついたものはとってしまったほうがいいんだよ』と言いながら、自分でとっていたんですよ」

その話は、まさに、野菜づくり名人Aさんが話してくれたことでした。

前日の話を聞いている彼の姿をしっかりと見ていなかった私は、先入観で彼の行動を決めつけてしまっていました。というよりも、私が如何に子どもの表れを見取っていなかったか、先入観で子どもを見ていたのか、子ども理解が足らなかったのか、思い知らされたのでした。家庭訪問での母親の言葉が、そんなことに気付かせてくれました。
そして、子どもを見ることの意味を新たにしたのでした。同時に、こんな見え方しかしていない自分が担任であることを、子どもたちに申し訳なく思いました。

多様な見方と子どもを見よう・分かろうとする努力

人間は、一つの出来事や行動で、相手を決めつけてみたりするところがあります。人のことなど、そんなに簡単に分かるものではないのに。
Bさんに注目しつつ、授業をすることが何度かありました。だからといって、Bさんのことが分かったというのではありません。「観る」「診る」「視る」といった多様な見方でBさんを見て、もっともっとかかわり持っていかなくてはならないでしょう。その子どもの何を見ようとしたいのか、問題意識を持って見ないといけなのでしょう。

たった一人の子どものことも見えないで、クラスの子どものことがわかるなんて言えませんから。
子どもを見よう、子どものことを分かろうと努力する教師でありたいと思いました。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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