2022.03.09
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教師の五感を磨く 『見る目』を磨きたい~社会科「水産業のさかんな地域」の授業で実感したこと~前編~(7)

「教師の五感を磨く」 
ベテラン教師は、ここが違うということを実感するときがあります。若い頃、「こんなところを見ていたのか」「ここまで掘り下げて見ていたのか」と、あこがれの気持ちを持って授業研究や職員会議で話を聴くことも少なくありませんでした。
今回は、その「見る目」を磨くことについて、「授業の振り返り(授業記録)」をもとに、考えていきたいと思います。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

参観会の授業でイカの登場

「見ること」を考える上で、まず参観会で5年生社会科「水産業のさかんな地域」の授業を行ったことを取り上げてみたいと思います。

単元第1次(導入)の授業。
「今日の授業で使う大切なものを持ってきます。20秒待っていてください」
と話して、教師机の後ろに置いてあった発泡スチロールの大きな箱を取り出す。

子どもたちは、「………3、2、1」とカウントダウン。
「この中には、何が入っているでしょう」
「魚」「タコ」「イカ」

そして、子どもたちの席の近くにいって箱を見せた。においをかいだ子どもは、
「魚だ」と言う。
「じゃあ、見せるよ。見えるところまで出ておいで」

箱を開けると、見るよりも早く、さわる子どももいた。
イカであることを確かめさせると、席に着くように指示した。

「このイカは、どこでとれたと思う?」と発問した。
「駿河湾」と答える子どもがいた。
「駿河湾ね。どこだろう。地図帳で調べてみよう」

地図帳を調べる子どもの様子を見て、見つけた子どもの人数を確認した。そして、日本地図全体からどの位置かを見ることができるページを指示し、○印をつけさせた。

そして、「でも、残念。駿河湾じゃあないんだよ」と、話す。
黒板に「八戸」と板書。そして、「なんて読むか分かる?」と投げ掛けた。口々に読み方を言うが、正しくは読めない。「『はちのへ』っていうんだよ」と教え、どこにあるかを地図帳で探すように指示した。

「どうやって調べればいい?」「索引があった」「そうだった」とつぶやきがあって、地図帳で「八戸」の位置を調べた。「あった」「あった」「見つけた」などの声が聞かれる。その中には「青森だ」という声も聞かれた。「分かった人?」と調べることができた子どもを確かめ、まだ確認できていない子どもに教えてあげるように指示をした。

続いて、「では、『八戸』ってどんなところ?」と問うた。
「600M以下のところにある」答えた子どもがいた。
何のことか分からないような他の子どもたちがいるなと判断したので、「わかる?緑色だよね」と私は言った。
すると、「平地のことだ」という声が聞かれた。
「海の近くにある」という声も聞かれた。

一枚の写真から考える

「イカはね、その八戸でたくさんとれるんだよ。この写真を見てください」と言いながら、教科書に掲載されている「イカつりの漁船の写真」(拡大版)を1枚、黒板に提示した。
すると、私は何も言ってないのに、子どもたちから「夜だ」「船の上だ」という発言があった。

「そうだね。暗いね」と応答してから、「では、この写真からどんなことが分かるかなあ」「この写真だけじゃあ見にくいから、みんなに一枚ずつ用意しました」と話した。
そして、「まず、問題を書こう。ノートを用意して」と本時の問題を確認し、私は黒板に、子どもはノートに、「この写真からどんなことが分かるだろうか?」と書いた。

そして、一人1枚ずつの写真を配り、一人学びに入っていった。
(ここまでは、子どもたちがイカという素材、写真資料ともに、興味をもってかかわっているな。単元の出会いとしては、まずまずよかったかなという感触をもっていました。)

授業者の思いと異なる子どもの反応

一人学びの時間は、結構長い時間をとったように感じた。
「では、分かったことを紹介しましょう」と伝え合う時間に入った。
しかし、それまでの子どもたちの様子とは違って、反応は、少なかった。手を挙げたのは、4、5人だった。

予想外。いつもの授業だと何人か発言すると、その後に続いていくこともあったので、とりあえず手を挙げている子どもを指名していった。

「そんなにつれていない」
「糸を巻き取る機械がある」
「糸じゃなくてあみだよ」
「発泡スチロールの箱にイカをつめている」
「イカを洗っている」

(なかなか発表する子どもが広まっていかない。一部の子どもだけの発言だけで進んでいくようだった。そこで、少し待ちの時間もとってみたが、だめだった。不十分と思いながら、疑問点を発表させることにした。)

「何人の人が働いているだろうか?」
「どうして発泡スチロールの箱に入れ替えているのか」

しかし、この、わずか2点が発表されたにすぎなかった。ここで、授業は終わりの時間となった。
「次の時間は、疑問点を中心に話し合いましょう」そう言って、授業を終えた。

授業後に振り返ったこと

懇談会を終えた教室で、一人考えた。

どうして、一人学びから学び合いに至るところで、授業は停滞したのだろうか?
子どもたちのノートを見る限りもっと多くの発見や疑問が出されるはずであった。その原因が分からなかった。問題と思われることを書き出してみた。
もはや終わった授業の振り返り。
しかし、私に「見る目」があれば、この授業は変わったものになったのではないかと今更ながらに思います。

私の授業には、どんな問題があったのでしょうか。
私には、どんな「見る目」が必要だったのでしょうか。どう考えますか?

この続きは、次号でお伝えしていきます。イカと違って、生ものじゃありませんから、時間がたっても大丈夫ですよね。
そんなことイカん。なんて言わないでください。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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