2022.01.28
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教師の五感を磨く~ものはあるから見えるのではない 週案簿より(5)

「教師の五感を磨く」ものが見えるということは、見ようとして見るからである。今回は、その「見る」ことについて、「週案簿」をもとに、考えていきたいと思います。たかが「週案簿」、されど「週案簿」。自分の「見ること」の歩みとして、大切にしていきたいものです。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

「見る」とは、どんなことでしょうか?

「見る」ことは、目を開けていれば、自然にいろいろなものが視界に飛び込んできます。特に考えなくてもいいんじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。
「見ること」、「子どもを見ること」について、ちょっと違った角度から考えてみたいと思います。

週案簿を振り返る

どの学校にも、呼称は違いがあるかも知れませんが、「週案簿」というものがありますね。週の授業計画を立て、授業時数を整え、管理していくものです。そして、「反省」の欄があって、1週間あるいは、1学期の振り返りを記入するものです。皆さんは、どのように使われているでしょうか。
学校によっては、都道府県によっては、丁寧に管理されているところもあるように聞きますし、働き方改革のもとに形式的に扱われているところもあるようです。
さて、私の部屋の片隅には、二十数冊の「週案簿」が並んでいます。その一冊を振り返ってみます。

教師が見ていない子どもの姿

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2000年2月某日 参観会で縄跳び大会を行った。
1組と2組の運動能力を見ると、優勝するチームは2組からは出ないんだろうと思っていた。
結果は、予想通りであった。
ただ私の目の前で跳んでいたチームは、これまでのチーム記録87回を大きく更新し、128回を記録した。
これにはグループの皆が満足したようだった。
Y先生の話によると、
Tさんが縄の回し方を、丁寧に教えていたそうだ。
「特にAさんが跳ぶときには、後半をこうやって早く回すんだよ」と言って、やって見せながら。
私がいないところで、子どもたちはいろいろ考えて動いているものだ。
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この記述に、校長先生はこんなコメントを記してくれました。
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Aさん、嬉しかったでしょうね。上手に跳べるようになって!
子どもたちの心を育ててゆけば、子どもは自然にいろいろな活動を開始します。
昼休みに子どもと一緒に縄跳びをしている担任の姿から、子どもたちはいろんなことを学んでいますよ。
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同僚の目から子どもを知る

教師が、常々子どもを見るということは大切なことです。
しかし、子どもの学校での活動を全て見ることはできません。
そこで、同僚の目から、子どもたちの思いや考え、動きを知るのです。
「うちのクラスの子ども、どうでしたか?」「Aさんは、大丈夫でした?」
と同僚に声を掛けることで、子どもの情報は集まるものです。
これも見えていない子どもの姿を見ようとする教師の大切な姿勢かなと思うのです。

そして、その後の子どもを見ることにつながっていきますし、当然子どもへの理解を深めることにもなります。
「そんなこと当たり前でしょ」という声も聴かれそうですが、教師の人間関係がうまくいっていなかったり、周りの教師の見えが浅かったりすると、そういったこともなかなかできない現実もあります。
だからこそ、常々、同僚との関係づくりを大切にするし、お互いの見える目を磨き合うことも大事にしなくちゃってあらためて思いました。

総合的な学習の授業を振り返る

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2000年1月某日 3年生の総合的な学習の授業の振り返り。
単元構想の段階では、本時は、1時間の計画であったが、ここまで学習を進めてきてみると、それが無理であることがはっきりしてきた。
つまり、子どもがこれまでの授業を振り返り、自分の課題を設定することは、3年生という発達段階や経験のなさを考慮すると難しいということだ。また、課題を追究する過程のことを考えると、1人で追究し得るかという疑問も感じた。
そこで、当初1時間という学習計画を立てる過程を、「課題を持つ、整理する、見通しを持つ」というように細分化し、授業構想を修正することとした。
第8次:   一斉、個々で、これまでの出会いの授業を振り返り、課題を作ってみる。
第9次:  その課題をみんなで整理してみる。
第10次:  整理した課題をもとにグルーピングし、学習の見通しを持つ。

子どもの課題が多様化する中で、教師が一度に支援する人数には限りがある。
普段から友達に頼ったり、何をやれば良いか分からない状態があったり、そんな子どもの実態が事前に分かっていれば声掛けもできるだろうが、いったん動き出してしまうと、本当にその子に合った支援とは難しいものである。
それがあらためて分かった今、修正は当然である。
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私自身が経験して改めて学んだことだった。

子どもの姿を見ることは、よりよい授業を創ること

2002年の総合的な学習の本格実施前、各学校で様々な試行実践がなされていました。
そうした中で、教師は子どもを丁寧に見ていくことが求められていました。
そして、子どもが見えるようになることがもちろん大切ですが、授業デザインの先も眺めていかなくてはいけません。今の子どもの姿は、目標に対してどうなのか。学んでいる内容はどんなか。方法は適切なのか。子どもを見ながら思考・判断していかねばなりません。
私の、この「振り返り」は、当初のデザインがあまりに粗削りであり、子どもの現実にそぐわないものであることを記しています。
もっと言えば、子どもがきちんと見えていないという事実を自覚するものでした。
でも、そのことに気付いたおかげで、授業は、当初のデザインを大きく修正し、少しでも子どもの学びに即したものになったと思います。子どもにとって、少しでもよい授業に近づいたのではないかと思います。

ものはあるから見えるのではない

ものはあるから見えるのではないのです。
目の前に子どもがいなくても、子どもを見ようとする姿勢が大事なのです。
そして、子どもの姿を見るということは、今ある授業を、そして、これからの授業を修正し、子どもにとってよりよい授業を創っていくことになるのです。翻って言えば、よりよい授業を求める心が、ものが見えるようにするのではないでしょうか。

茶色く古びた「週案簿」のページをめくりながら、そんなことをあらためて考えました。

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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