愉しい授業を創る 教師と学生をつなぐ「目を合わせる」編
大学での授業冒頭の出欠確認。名前を呼び、応える。
たったそれだけのことなんですが、結構、大事にしたい場面です。
ちょっとしたことかもしれませんが、今回は、そこを考えてみたいと思います。
浜松学院大学地域共創学部地域子ども教育学科 教授 川島 隆
呼名することの意味
近ごろ、大学では出欠をとるのにも、 スマートフォンを使うようになりました。
授業の始めの時刻になるとコードを学生に知らせ、 スマートフォンに入力し、出席のボタンを 押せば完了となります。
それが大学のシステムにリンクしていて、 授業後に出席簿を改めて作成して、 提出する必要もなくなりました。
学生自身も必要に応じて出席状況を確認することができ、 その意味では大変便利です。
とっても便利なんですが、 私はその変化に抗って、あえて呼名によって出席確認をしています。
人数が80人の講義もあり時間はかかりますが、 一人ずつ名前を呼ぶようにしています。
最近の学生の名前は、どのように読むのか 難しいこともあります。
あらかじめ確かめておいて、 ふりがなもふっておきます。
それなしには読めない名前が結構あるのです。
苗字だけでなく、名前も含め呼ぶこともあります。
すると、何が起こるか
学生は、返事をしてくれます。
「はい」という返事です。
これは、当たり前かと思いきや、案外そうではありません。
手を挙げるだけの学生もいます。
呼名への反応は、個々の学生で異なるのです。
手を挙げる。 だけど、こちらは見ていない。
手を挙げて、こちらに視線を向けてくれる。
手を挙げて、返事をする。 でも、こちらは見ていない。
手を挙げて、返事をしながら、目を合わせてくれる。
手を挙げて、返事をして、さらに笑顔で、目を合わせてくれる。
こうすると、私も自然に笑顔になっていると思います。
笑顔で応えてくれるのは、 自然に出てくるものなのか、 あえて笑顔を創ってくれているのか。
それは、わかりません。
でも、名前を呼んだとき、 これら学生の反応に対して、 私自身にすべて一様な感情が生まれてくるかというと、 そうではありません。
たかが出欠をとるだけのことかもしれませんが、そこには「やりとり」「応答関係」が生まれているのですね。
これも一つの「対話」ですね。
例を挙げたように、一方通行に近いものもありますが、目を合わせるだけで、何か通じ合った感覚が生まれてきます。
学生と私の間が一つの見えない線でつながったように感じます。
単純な私は、うれしい気持ちになって、この後の授業も頑張ろうって、やる気も出てきちゃいます。
その一方で、考えてしまうこと
一方で、目を合わせない学生、表情一つ変わらない学生は、どんな心持ちでいるのだろうって。
気持ちを推し量ってみたりします。
「1時間目だから、まだ眠いのだろうか」
「私の授業がつまらない、魅力がないからだろうか」
「何か、思案することがあるのか」
直接話を聞かなければ分かるはずもありませんが、勝手な想像をしてしまいます。
こうしてつれづれ考えをめぐらしてみると、名前を呼ぶ、それに応えるという、たったこれだけの応答関係にも意味があるように思えてきました。
そう言えば、「目を見ること」「微笑むこと」とは、
さまざまなメディアでも活躍している齋藤孝氏は、その著書でこんなことを語っていました。
「他者からの働き掛けに対して、何らかの応答をする『レスポンスする力』は、コミュニケーションの重要な部分を占める」
そして、
「レスポンスを返してくれる人とは結果として、いいコミュニケーションが生まれるのに対し、反応が鈍い冷えた身体であれば、働き掛けをする側も疲れてしまい、やがて両者の関係は冷えていく」
と続けています。
反応してくれた学生とそうでない学生、背景にはいろいろあるかもしれませんが、応答する関係って大事だなとあらためて感じました。
そして、齋藤氏は会話における聞く側のマナーとして「きちんと聞いています」ということが、相手に伝わるための5つのポイントを挙げています。
その中でも特に印象的だったのは、「目を見る」こと、「微笑む」ことです。
「目と目が合ったときに、人と人の間に線がつながり、目と目の間に道が通じ、心が通じる感覚を生み出す」
と述べていますが、まさに私の実感が、これです。
また、「話している相手に対して軽く微笑むことは、相手を受け入れているというサインになる」
とも述べています。
私の単純にも「やる気を出しちゃう」という気持ちの高まりは、まさに私を受け入れてくれた学生への反応になっているのです。
なるほどと腑に落ちたのでした。
ちなみに、齋藤氏はこれに続いて「あいづち」「臍を向ける」「胸を開く」ことを挙げています。
今回取り上げたのは、会話ではなく、単に名前を呼ぶこと、それに対して応えることなのですが、会話と同じ重みを持っているとあらためて感じました。
むすびに
このように考えてくると、小学校で勤めていたときに、どれほどこうした応答関係に心を配ってきたのかと自責の念も生まれてきました。
子どもから掛けられた声に対して、目を合わせ、微笑んで応えてきただろうか。
どれほどによい関係を創れていただろうか。
子どもと教師のよい応答関係、コミュニケーションは、当然のことながら、子どもにとっての「愉しい授業」につながっていくのでは。そう考えます。
いかがでしょうか。
明日からの授業。
こちらも「目を合わせ」「微笑んで」を意識していきたいと思います。

川島 隆(かわしま たかし)
浜松学院大学地域共創学部地域子ども教育学科 教授
2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。
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