2019.09.20
  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

Let's enjoy Social skills !~すべての違いを尊重しましょう!~(vol.9)

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

「少しは察してよ!」という言葉を飲み込むことは、よくあるのではないでしょうか。このように相手と自分の間に気持ちの行き違いがあったり、言葉に傷ついてイライラしたりしたときに、黄信号が点滅するような仕組みがあったとしたら、皆さんは使ってみたいと思いますか? 便利なようであっても、そういう仕組みの中で生きていたら、煩わしさを感じて話すことが嫌になってしまうかもしれませんね。ですから、自分の気持ちを素直に表現しようとすることや、相手の気持ちを察したり質問したりすることは、人間関係を良好に保つためには欠かすことができないのだろうと思います。それに関する実践について、前回お話ししました。

では、気持ちさえ理解しあえれば全てがうまくいくかというと、そうとばかりは言い切れないのではないでしょうか。漫画を見てください。これは、家族であったとしても、互いのペースは人それぞれであるということがわかる一例です。
私は以前、こんな経験もしたことがあります。友人とお茶を飲んだ後、公園を散歩しようということになったのです。私は体力に自信がないので、自分のペースであれば相手も疲れないと勝手に思い込んでいました。しかし別れ際、「もっとゆっくり歩いてほしかった」と言われました。正直いって、愕然としました。だったらなぜ、もっと早くに伝えてくれなかったんだろうと思いました。家族であっても友人であっても、ペースには違いがあるのです。私の方から、このペースでいいのかどうかを、途中で確認する必要があったのかもしれません。
人は、育った環境や習慣、文化などによって価値観を育てていきます。ですから、気持ちやペースなどの他にも、相手と異なる点をたくさん持っています。全てが一致することは、絶対にありません。加えて、これからの社会では、外国人と関わる機会が当たり前のようになっていきます。相違点を尊重し合うことがなければ、関係性を保つことはますます難しくなっていくでしょう。
先日、ウェブサイトで、難民を助ける仕事に従事されている方の話を読みました。「それぞれに人生があり、それぞれに事情がある。たとえ難民といわれる人であっても、同じ人間なのだ。私たちはそれを尊重したい」といったコメントに心を打たれました。人として尊重し合うこと、その第一歩が大きな意味をもつのだと、改めて考えさせられました。
アサーティブな表現をするというのは、修行のようなものです。自分の表現に磨きをかけていくことも大切ですが、そういう生き方を周囲に伝えていくことも大切なのだろうと思います。勝ち誇ったような表現をして相手に威圧感を与えていないか、自分さえ我慢していれば時間が過ぎていくと思っていないか、私も自身を振り返りながら頑張っていこうと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

同じテーマの執筆者
  • 松井 恵子

    兵庫県公立小学校勤務

  • 松森 靖行

    大阪府公立小学校教諭

  • 鈴木 邦明

    帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師

  • 川村幸久

    大阪市立堀江小学校 主幹教諭
    (大阪教育大学大学院 教育学研究科 保健体育 修士課程 2年)

  • 髙橋 三郎

    福生市立福生第七小学校 ことばの教室 主任教諭 博士(教育学)公認心理師 臨床発達心理士

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

この記事に関連するおススメ記事

i
pagetop