今年度最後の日となりました。一年を振り返ると、感慨も一入です。「よくやったな」と自分を褒め、少しのんびりする時間をもちたいと思います。
さて、不登校の子どもたちと過ごした日々を振り返りながらレポートしてきたシリーズも、今回で終わりにしようと思っています。もっと書いてみたいような気もしますが、時間の経過と共に忘れてしまっていることも多いので、また機会があればお伝えしますね。今回は、私が不登校の子どもたちから何を教えられ、何を学んだかについてまとめてみたいと思います。
私が子どもたちと関わった結果から申し上げますと、教師の熱意があれば子どもが学校に来てくれるようになる可能性が高まるということでした。でも、100%とはいきませんでした。いくら頑張ったとしても、家庭の事情や本人の課題の大きさを支えきれなかったこともあったのです。そこには、学校教育の限界があったかもしれません。しかし、子どもたちとの関係を築き、子どもたちの求めているような授業を展開することができれば、学校が楽しいと感じてもらえるということはわかりました。子どもの求めるというのは、発達にふさわしい、教育的ニーズに沿ったという意味です。
あのときから長い月日が流れ、最近では、様々な専門機関の方たちが子どもたちを支えるシステムが整えられてきました。ですから、私一人では力が及ばなかったところに、手が届くようになってきていると思います。でも、教師が子どもの様子を観察し、その時々に合わせた授業をしていく努力をすべきであると思います。
もちろん、学校教育がすべてであると主張するつもりはありません。学校以外で学ぶことを否定しているわけでもないのです。でも、子どもには仲間が必要であり、人との関わり方を学ぶことがいかに大事なことであるかについては、何度繰り返し申し上げても語りつくせないと思っています。
では、授業を通して学力を身に付けさせるべき力とはどのようなものなのでしょうか。学習指導要領にも示されているように、読み書きそろばんのような基礎的・基本的な学力の他に、思考力や判断力・決断力・表現力などの力はもちろんのこと、継続する力、処理する力、ある程度の時間を集中する力などをあげることができます。そのためには、身体作りも必要になってくるでしょう。身体がしっかりしてくれば、長い時間、学習に向かう体力もついてくるからです。
私が彼らと出会ったときには、毎日鬼ごっこをしました。当時の私は、これが自分の仕事なのかと疑問に思うこともありましたが、結果として子どもたちのためになったのだということが今ではよくわかります。それは、体力作りにも仲間作りにも役立ったからです。
子どもの発達を促すためには、抜かしたり飛び越えたりしてはいけないことがあるのだと思います。焦るあまりに、同じ年代の子どもたちと同等のことを求めてしまうと、土台のないところに建物を建てることになってしまう恐れがあります。階段を一段一段上るように、子どもにも一歩一歩進ませなければなりません。もし、やりそびれていたことがあるなら、そこに戻ることも必要なのです。
それから、こういった教育的成果を上げるために最も大事なことは、教師が心を開くことです。それによって信頼関係を築くことでもあります。「この大人になら、なんでも言える」と子どもに思ってもらうことです。「この人と一緒なら、勉強してもいいかな」と思ってもらえるようになることです。そのためには、教師にも知識と体力、そしてユーモアが必要だと思います。同僚とよく話をして、課題が見えたときには、共に解決していこうという気持ちをもつことも必要です。
知識というのは、個性を認めるための土台となります。例えば発達障害について詳しく知っていることによって、ある子どもが人とうまく関われないことを理解しやすくなります。個性を理解するためには、子どもをよく観察すべきだということを知っている必要もあるのです。
加えて体力も必要です。マラソンをするような体力ということではありません。キャパシティを大きくするための体力です。身体がしっかりしていれば、子どもたちのやんちゃな言動にもおおらかに関わることができます。しかし、キャパシティが小さければ、子どもの行動を制限しないと、対応しきれなくなってしまうのです。
私自身、キャパシティが大きい方ではなく、体力も自慢できるようなタイプではなかったので、若いころは自分の子育てとのバランスを取るのに苦労しました。教師としてイライラすることがないように努めてきたとは思いますが、常におおらかに対応できていたかという点については自信がありません。子育てが一段落してからの方が、自分らしく子どもたちと関わってこられたのかもしれないと思っています。
それから私の若いころは、発達障害などの知識にも乏しく、誰もが試行錯誤していた時代でした。そのころから比べると、今の若い先生たちは、子どもたちの個性を見極める力もついてきていると感じます。学校の中に、子どもの個性を大事にして、個に応じた教育をしていこうという考え方が根付いてきているのだと思います。同僚と情報交換をし、子どもへの対応の仕方を工夫していく雰囲気が出来上がっていけば、今後も大きな教育的成果を上げることができると思っています。
何年か前に、20歳になった子どもたちと再会する機会がありました。8年ぶりに会った彼らは、ちょっと大人びて見えました。中には大学に進学した者、留学した者もいました。専門学校に通いながら、アルバイトをしているという話を、意気揚々と報告してくれる者もいました。あのとき、「引きこもらなかったから、今がある」と、口々に話している様子が、強く印象に残りました。
あの学校に勤務していた当時、先輩の先生や専門家から、「子どもたちを引きこもらせてはいけない」というアドバイスを受けました。でも、そのときにはピンとこなかったのです。そういうものなのかと、ぼんやりとしか受けとめられなかった自分がいました。しかし、自分の力で生きていこうとしている彼らを見たときに、どんな形であっても登校させることができて、本当によかったと思うことができました。
最後に、少し私の話をさせてください。私は約30年に渡る教師生活に、本日ピリオドを打つことにしました。これまでも同僚の若手のために、できる限りの支援をしてきましたが、これからはもっと広い範囲の先生たちを支えていくことができればと思ったのです。ひとつの学校に縛られることなく、フレキシブルな活動をしたいと思いました。
このところ力を入れて研究をしてきたのは、ソーシャルスキルトレーニング(SST)や、アサーショントレーニングの手法を用いたスキル教育です。人との関わりが重要視されているにもかかわらず、人づきあいの苦手な子どもたちが増えてきていますので、スキル教育は今後ますます必要になるのではないかと考えています。もし、お役に立てることがあれば、NPO法人TISEC(ティセック)のホームページからお問い合わせください。よろしくお願いいたします。
また、新年度からは、趣向を変えてこのつれづれ日誌を続けさせていただきます。併せてよろしくお願いいたします。
荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
同じテーマの執筆者
関連記事
- 不登校の子どもたちと[NO.11 「キャリア教育への挑戦」]
- 不登校の子どもたちと[NO.10 「修学旅行 珍道中」]
- 不登校の子どもたちと[NO.9 「でこぼこの成長曲線」]
- 不登校の子どもたちと[NO.8「子どもたちとの喧嘩」]
- 不登校の子どもたちと[NO.7「体験に裏付けられていない知識」]
- 不登校の子どもたちと[NO.6「心を開くことを通して」]
- 不登校の子どもたちと[NO.5「身体作り、仲間作り」]
- 不登校の子どもたちと[NO.4 「授業の始まり その2」]
- 不登校の子どもたちと[NO.3 「授業をどのように始めたのか」]
- 不登校の子どもたちと[NO.2 「緊張と不安」]
- 不登校の子どもたちと [NO.1 「出会い」]
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)
この記事に関連するおススメ記事

「教育エッセイ」の最新記事
