2017.02.13
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不登校の子どもたちと(NO.9 「でこぼこの成長曲線」)

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 これまで書いてきた「不登校の子どもたちと」のシリーズは、10年以上も前に出会った6年生との、1年間の思い出です。当時、2週間に1度くらいの割合でレポートを残していたのを読み返してみると、自分でもびっくりすることが書いてあります。そして、あのころはよくやっていたなと自分を褒める気持ちも湧いてきます。受け持ってから3か月が過ぎたころの様子を書いたものを、以下にご紹介します。

 「ここまでできるようになった」と喜んでみても、また絶不調に陥る。そのうち上り調子になるだろうと自分を励ますのだが、泣きたくなる気持ちになるのを抑えられずにいる。教師仲間は、「随分変わったのだから」とか、「4月に比べれば」とか、プラス思考で励ましてくれる。その気持ちは本当にありがたいのだが、不安を拭いきることができない。

 イベント的ワクワク・ドキドキ感が不足してくると、「もうやめていい?」とか「教室に戻っていい?」となり、授業が不成立となってしまうことも相変わらずだ。また逃げられるのではないか。そのことが頭から離れず、緊張が続く。この学校の教師は、誰もがこの現実と闘っているのかもしれない。

 前回にも触れましたが、そのころ授業を時間割通りに行うことができるようになってはいましたが、合間に遊ばせることはやめられずにいました。30分間くらい勉強をすると、プレイルームに連れて行って一人一人に対応して遊ぶことが、彼らの学校生活を支えていたのです。一日のほとんどを友達と一緒のペースで学校生活を送ることを、私たちは当たり前のように考えていますが、実は奇跡のようなことなのだと改めて考えさせられます。

 しかし、その遊びの中にも、少しずつ進展はありました。ある日、体育の授業でベースボール型のゲームをしたところ、それが成立したのです。もちろん、守備のほとんどを大人が担い、子どもたちはバットで打つことを楽しんだに過ぎなかったのですが、それでも卓球や鬼ごっこ以外の集団的活動を楽しむことができたのは新たな一歩でした。

 加えて、既製品を使って遊ぶのではなく、図工の授業で作ったもので遊ぶこともできるようになってきました。レポートには、「これって生活科だろうか」という言葉が残っています。まさに、生活科の「おもちゃで遊ぼう」のような授業だったからです。

 彼らの不登校歴は様々で、学校に行けなかった期間が1年間の子どももいれば、ほとんど登校したことのない子どももいました。何かを作って遊ぶことを経験したことがない子どもたちにとっては、それが低学年の学習内容だとしても、大きな意味があったのではないかと思います。

 そういえば、以前に低学年を受け持ったときには砂場遊びの経験が少ないからと、砂場セットを購入して遊ばせたことがあります。子どもたちにとって、泥だらけになって遊ぶことも必要なのだなと思ったものですが、きっと階段を上るようにひとつひとつの経験は意味があるのだろうと思われます。何かを飛び越えて、いきなりゴールさせることばかりを狙うような教育は、子どもたちにとって辛いことなのかもしれません。

 さて、遊びばかりではなく、学習面においても集団としての意識付けは大切です。わずかな授業時間であっても、全員が同じ課題を終わらせるように配慮しました。学習歴が異なっていても、同じ課題を時間内にクリアさせることを目標にさせたのです。

 例えば6年生にふさわしいと思われる文章を書き写させるとか、図形を描かせる、計算機を使ってできるような問題を工夫して解かせてみるなど、そんな内容であったと思います。それでも、全員が同じ課題に取り組む授業は、とても有効だったと思います。集団という意識を高めるには、個に応じた学習ばかりが好ましいとは言えないのです。

 あれから何年も経った今でも、算数を教えているとそのことに気づかされることがあります。同じ課題をみんなで教え合って解き終わると、子どもたちの満足感が上がっていると感じるのです。全員がやり遂げることで、みんなの満足感が増幅するような感じです。毎回、そのようなことができるわけではありませんが、集団としての意識はそんなところからも育っていくのかもしれません。

 以下は、再びレポートからの引用です。こんなときもあったのだなと嬉しくなります。

ある朝、黒板のスケジュール表が昨日のままであるのを見て、男子の一人が、「あらちゃん、ちゃんと消しておかなきゃだめでしょ」と言った。その日は体験講座の準備で家庭科室の掃除に追われ、始業ぎりぎりに教室に行ったことも、書き直しを遅らせていた。

 「昨日は、教室を掃除するのが精一杯で、すぐに会議があったんだよ。」と答えると、「だったら、日直が黒板を消してやるよ」と言う。放課後には、「掃除もしてやるよ」と言い出す。

 私たちスタッフ3人は、こんな日がこようとは期待していなかったので、とてもびっくりした。それまでは、子どもたちが帰った後、箒を持ち出して大人だけで掃除をしていたのである。思いもかけない提案だったにもかかわらず、他の子どもたちの反対もなく、週に一度の掃除が決まった。

 一歩も進んでいないのではないかという不安感や危機感は、親にも教師にも少なからず存在します。しかし、思いが通じるときは必ずやってきます。それを我慢強く待ちつつ、努力を続けていくことができるかどうか。子育てには忍耐力も必要なのだと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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