2016.12.20
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不登校の子どもたちと(NO.6「心を開くことを通して」)

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 登校を促す最も大きなエネルギーとなるのは、何だと思いますか。それは、仲間の存在です。友達です。教師がどんなに心を砕いて配慮しても、熱意をもって対応しても、友達に敵うものはありません。

 私が受け持った10名に満たない子どもたちは、最初のうちは連続して登校することはできませんでしたが、仲間意識ができてくるにつれ、登校の頻度が増すようになってきました。欠席すれば仲間が悲しんだり、寂しく思ったりすることが理解できるようになってきたからだと思います。

 このようにどんなクラスを受け持ったとしても、教師がすべき仕事は、仲間作りをさせることです。ただ、そう簡単にできることではありません。子どもたちの中に、個性があることを認めさせること、自分自身も個性のある一人なのだと自覚させることが大切なのだろうと思います。いいところも、未熟なところもあってこその友達なのです。そして、個性を出させるためには、心を開かせていかなければなりません。自分をさらけ出してもいいのだという気持ちをもたせることなしに、個性の認め合いは起きないからです。

 
 4月〜5月の子どもたちの様子は、誰に対しても警戒心が強く、緊張と不安の高いものであったことは、以前にもお話しした通りです。その彼らの心を開かせるためにやったことは、私自身が心を開くことでした。これまでに出会った子どもたちのエピソード、家族のこと、今まさに悩んでいることなどを思いつくままに話しました。自分の息子や娘にすら話したことのない内容も、含まれるようになってきました。心が丸裸であるようにも感じました。

 人にはあまり言いたくないような事柄というのは、個人情報に関わることだけではありません。自分の苦手とするところ、助けてほしいと思うところなども含みます。そうして、私がすべてをさらけ出したとき、彼らの心も次第に開かれていったのではないかと思い出されます。人に弱いところを見せてもいいのだ、そうしても誰も冷やかしたりバカにしたりしないのだということを、私がまず見本のようにやってみせたのが功を奏したのだと思うのです。

 人は誰であっても、人と関わるときには相手に応じて心を開きます。初めて会った相手に、最初からすべてをさらけ出すことはありません。時間とともに、心の開き具合を探っていくのだと思います。そして、「この人にはこの話はできるけど、それ以上に突っ込んだ話はやめておこう」「この人には何でも気兼ねなく話すことができる」大人であっても、そんな尺度をもって関わっているのではないでしょうか。

 子どもたちは人との関わりを通して、次第に友達との関係を深めたり、距離を置いたりすることを学んでいくのですが、最初のうちは不器用な対応しかできずに失敗も多くなりがちです。不登校になった子どもたちは、その失敗に深く傷ついたことがあったのかもしれません。心を開くことは難しいけれど、心を閉じることは一瞬の出来事であると思います。そして、一度閉ざしてしまった心を開くのは、さらに難しいものとなってしまいます。

 
 さて、前回、卓球大会をきっかけに仲間意識が生まれてきたという話をしましたが、イベントや遊びの場面だけではなく、学習の中で心を開かせていくことにも挑戦を続けていました。まず、ノートに日記を書いてもらおうと考えました。ところが、彼らの中には文章で表現することに抵抗がある者もいました。マンガのような絵で、適当に行間を埋める者もいました。文章で書いていた者も、出来事を羅列したようなものばかりでした。気持ちを表現するようなことは、滅多になかったのです。それでも私は、その日記に返事を書きました。ところが、ある保護者会で、そのノートを保護者に見せたときに、「これは子どもと先生の秘密のやり取りなのだから、親に見せるのは問題だ」という指摘を受けました。私はこの反応に大きなショックを受け、日記にコメントを書く気力すらなくしてしまいました。

 今思うと、保護者も不登校になった我が子に、とても気を遣っていたのでしょう。思わぬきっかけで学校に行かないと言われたらどうしようという不安が、いつも心を埋めていたのだと思います。でも、当時の私は、保護者の気持ちを思いやることができませんでした。むしろ、何かというと批判されるような雰囲気に、心が折れそうだったのです。

 昨年度受け持った6年生には、数行の日記を書いてくることを宿題に出していました。強制ではないので、たまにしか書かない子どももいましたが、たいていはその日の出来事や思いを綴ってきていました。しかも、保護者の多くもその日記を読んでいました。6年生にもなって日記を親に見せるのはおかしいと思われるかもしれません。ですからもちろん、見せない子どももいました。それがわかっていても、私が口出しすることはありませんでした。ただ言えることは、子どもと私、そして保護者の三人で日記を埋めたことが多々あったということです。それによって多感な年頃の子どもたちと、日記だけでは繋がることができていたのです。保護者の考えていることがわかったり、私との連絡に日記を使ってくれたりして、有効な対話の場であったと思います。

 
 さて、日記はうまくいきませんでしたが、算数で図形の勉強をしたときに、大きな転機が訪れました。円錐の展開図をかくように指示を出したときのことです。(現在この内容は、中学校で扱います)

いつもの彼らなら、私の一方的な説明を聞いたり、プリントで練習問題を解いたりするのが精一杯であったのに、その日は黒板に展開図をかいてみようということになりました。一人がかくと、引き続いて全員が黒板に展開図をかきました。底面を円でかくことはできましたが、側面は長方形や三角形になっていました。誰も正解をかくことはできなかったのです。

 私が円錐を切り開いてみせると、子どもたちは一様にびっくりしていました。側面が扇形であることを、誰も想像できなかったからです。でも、みんなが黒板に自分の考えをかいてみることに、学習することの面白さを感じたようでした。その日から、間違ってもいいので何かをかいてみよう、あるいは発表してみようという雰囲気ができてきました。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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