2学期が始まりました。勤務校では運動会の練習や展覧会の準備が既に始まっており、忙しい幕開けとなりました。健康を第一に、心身共にリラックスを心がけてやっていこうと思っています。
さて、最近のテレビニュース等で、不登校の子どもたちのためにフリースクールが大切な役割を果たしていること、一方で、フリースクールに対する行政の支援が不十分なために、経営にはご苦労が多いという話をしばしば耳にするようになりました。
そんな中、夏休みに特別支援教育に関する研修会に参加し、そこで少人数指導による教育の成果について話を聞くことができました。特別な配慮を要する児童に対して、個別指導でも少人数活動でもなく、少人数指導が大きな成果を上げるというのです。少人数活動とは、偶然に出会った少人数の友達と活動をすることであり、少人数指導とは、特定の少人数のメンバーが継続して学ぶことです。
私は話を伺っていて、これは特別支援教育に限ることではないなと思いました。少人数であるかどうかは別として、学校教育というのは集団の力を上手く活用して子どもたちを教育しているからです。毎日同じメンバーとの生活を通じて、学び合いが起きているのです。
それに加え、この指導法は、不登校の子どもたちに対しても大きな効果をもたらすのではないかと思いました。それは、以前、不登校の子どもたちとかかわった経験から感じていることでもあります。私はこの研修後、その経験を伝えていかなければならないのではないかと思いました。
もちろん、不登校の傾向のある子どもたちは一人一人異なった理由や原因、課題を抱えているのだろうと推察します。ですから、ひとくくりに何かを申し上げることは不適切かもしれません。
しかし、私が不登校の子どもたちと過ごしてから10年以上経った今でも、一向に不登校の児童・生徒の数を減らすことはできないでいるのです。教師生活の中で体感したことを私見として申し上げるならば、発達障害に関する指導法は浸透してきているものの、不登校の子どもたちに対しての理解は決して深まってきているとは言えません。それも、このテーマについて筆をとろうと思うきっかけになっています。
さて、不登校の問題を長年に渡り研究されてきている東京学芸大学の小林正幸教授は、ずいぶん前から「学校が子どもたちに合わない場所になってきている」とおっしゃっています。私にも教師としてのプライドがありますから、教師の力量不足を指摘されたようで戸惑った記憶がありますが、実際のところ、このご指摘はもっともであると思います。
私がそう感じる例を、ご紹介しましょう。若い頃に6年生を担任していたときのことです。6年生の子どもたちは、休み時間でも委員会活動などがあり、とても忙しいのです。ですから、体操着から普段着に着替える時間が、思うように取れない実態があります。暑い時季、汗臭い格好で長い時間を過ごさせるのもかわいそうに思い、給食後のわずかな時間を使って着替えてもいいと話したことがあります。その際、給食を食べている教室で着替えさせるのは不適切なので、男子には近くの空き教室を使わせ、女子には日常的に使っている教室を使うように言いました。
ところが、たまたまその様子を他の教師に見つかってしまい、私が叱られる結果になりました。学校全体からすると少しの問題はあるかもしれません。多くのクラスでは、そんな時間帯に着替えをさせることはないからです。しかし、大きな問題ではないのです。それを、まるで鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てる姿を見て、学校は私自身にとっても過ごしにくい場だとつくづく思いました。
このような例は、枚挙に暇がありません。融通の利かないことは山のようにあります。ちょっとでも例外を作ると、そこから保護者や地域の学校不審が始まるとか、教師としての自分の足下を脅かされるとでも思っているかのようです。教師の不安感が高く、全ての子どもたちに、全く同じことを強要しようという様子も当たり前のように見られます。子どもが学校を窮屈な場所だと感じるのは当然なのではないかと思わずにはいられません。
ちょうど小林先生と出会った頃、私は不登校の子どもたちの学校に赴任しました。そこへ異動希望を出すにあたって、当時勤務していた学校の校長先生から、励ましの言葉をいただきました。「通常学級に何か足りないところがあるから、不登校になってしまう子どもがいるのかもしれない。そこを検証してみてください」
私はその言葉を胸に意気揚々と異動したのですが、当時は検証できるような力をもちあわせていませんでした。でも、あれから時間が経ち、不登校の子どもたちのために、少しでも参考になるような情報を発信できればと思うようになりました。私の経験から知り得た、全く個人的な見解に過ぎないと思いますが、少しずつ話を進めていきたいと思います。
さて、私がその学校で出会ったのは、10名に満たない6年生と数名の4・5年生でした。私は6年生を受け持ちました。広い範囲の異なった地域から集まってきた子どもたちは、その学校で初めて顔を合わせました。
4月の始業式、私も彼らと初めて出会いました。そのときのことは、一生忘れられないでしょう。始業式からそわそわした様子の子どもたちでしたが、式が終わって教室に戻ると、各々が自分勝手な言葉を発してきました。例えば教師が自己紹介を始めようとすると、始業式で聞いたのだから再度行う必要はないとか、そういう表情はビビっているのではないかなどです。いくら少人数とはいえ、ほぼ全員が勝手なことを言うのですから、私も他の教師もたじろいでしまいました。不登校の子どもたちに、自分なら何かをしてやれるかもしれないという生温い考えでは、とても務まらないだろうと思い知らされました。まだ11時だというのに、一部の子どもがお弁当を食べようと言ったかと思うと、勝手に食べ始めてしまうので、仕方なくそれに従うことにしました。
この描写は、教師という私の立場から見たものです。しかし、子どもたちの視線から見たら、この状況の描き方は違ってくるでしょう。
○どうせこの学校も、以前通っていた学校と同じだよな。
○教師はいつも上から目線で物を言ってくる。
○規則とか何とか、うるさいんだよ。
もしかしたら、そんな心のつぶやきがあったかもしれません。しかし、私には彼らの心を思いやる余裕は、ほとんどありませんでした。何を言っても通じないという実態を前に、泣きそうになっていたからです。こうして私と彼らとの凸凹な毎日が始まりました。
予めお話ししておきますが、彼らの中には大学に進学した者もおりますし、専門学校に進学して自分の夢を叶えた者もいます。留学したと知らせてくれた者もいます。何が彼らを変えたのか、そのきっかけとなったことを次回からお伝えできればと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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