あけましておめでとうございます。
本年も昨年に引き続き、不登校の子どもたちと過ごした日々を思い出して、書いていこうと思っています。あの日々から10年以上が過ぎましたが、子どもへの対応の仕方で試行錯誤したことは、今でも役立っていいます。私の経験したことが、若い先生たちの一助となれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
4月に彼らと出会ってから数か月の間、私は彼らにある違和感を抱いていました。それが何なのかを、最初のうちは理解できずにいました。時間が経つにつれ、彼らが体験に裏付けられていない知識をよく知っており、何でもその知識の通りになると思い込んでいるのだということがわかってきました。
前回お話ししたような円錐の展開図も、空き箱を使って遊んだり、図工の時間に工作をしたりしたことがあれば、一度くらい見たことがあったろうと思われたのです。また、私が幼いころは、パラソルチョコレートをよく買ってもらっていたので、その包み紙を開くことが楽しみでした。もしかしたらそういった経験がないと、円錐の展開図もわからないのかもしれません。もちろん、今の子どもたちの立体に対する経験不足はさらに大きな課題となっているように思いますが。
さて、知識は豊富でも、それが生活に上手く活かされていないと感じたのは、学習に関することばかりではありません。友達との関わりでも、彼らがうまくやれるだろうと思い込んでいるのにできないことはたくさんありました。当時の記録の中に、子どもとの面白いやり取りを見つけたのでご紹介します。
理科の時間、水を沸騰させる実験をすることになりました。その際、沸騰するまでの水温を誰が測るかを決めるじゃんけんに負け、泣いてしまった子どもがいました。その子どもをA君としておきます。彼は以前にも、友だちとの些細なトラブルで大泣きし、2時間ほど感情のコントロールができなくなることがありました。その日も授業が終わって昼食になっても泣きやまず、隣の教室に行って心を落ち着かせる必要がありました。彼以外の子どもたちとお弁当を食べながら、私はB君と話をしました。
私「A君が泣いても、『そんなことで泣くの』と言わなかったんでしょ? えらかったね」
(いつもなら、そのように言っていたと思われる)
B君「心の中では、思ったよ」
私「思っても言葉に出さないというのは、いいことだね」
B君「そうなんだ」
私「ただ、じゃんけんで勝った人だけがやるのではなく、順番でやろうとか思わなかった?」
B君「そういう手もあるのか」
私「それに、A君は些細なことでも泣くことがあるから、譲ってあげることもできたんじゃないの?」
B君「なるほど、そう言われてみればそうだね。思いつかなかった」
私「相手のことをわかって対応できるといいね」
B君「心得ておこう」
今読み返しても、思わず吹き出しそうになります。まるでロボットを相手に話をしているように感じるからです。B君は、思いやりのある優しい子どもでした。わざと友達を泣かせようという気持ちはなかったのです。でも不器用さはあったのでしょう。普段から、こんな雰囲気でやり取りをしていました。彼らは本当に体験に乏しかったのだろうと思います。
不登校になってしまうきっかけは、実はこの辺りにあるのではないかと私は思っています。もちろん、学校に行くことだけがすべてだと申し上げるつもりはありません。学ぶ場所は学校だけではないからです。ただ、家に引きこもってしまうのはどうかなと思います。家族だけではなく、もっと多くの人と関わってほしいと思いますし、人と関わる中で体験することによって、思考に広がりが生まれるのではないでしょうか。
ところでもうひとつ、当時の様子をイメージしやすくするような出来事をご紹介しましょう。
その頃ある講演会で、私は詩人の工藤直子さんにお会いしました。以前からファンでしたが、お話を伺ってますます大好きになりました。工藤さんは、自分の詩を好きなように読んでくれていいのだとおっしゃいました。私だったら、自分の詩を静かに丁寧に読んでほしいと願うと思いますが、そういう制約はないのだと言うのです。そして、「会いたくて」という詩を、「あ、痛くて」と読み直した学生さんの例を教えてくださいました。その心の広さに驚きました。
国語の授業で、そのときの様子を、子どもたちに語って聞かせました。すると、「あらちゃんも、工夫して読んでみなよ」と一人の子どもが言いました。それで、私も挑戦してみることにしました。
「A君に会いたくて生まれてきた」「B君に会いたくて生まれてきた」「Cちゃんに会いたくて生まれてきた」・・・一人一人の名前を入れて読んでいきました。私は、すぐに「そんなのやめろ」といった声が聞かれるものと思っていました。思春期の子どもたちは、こんな表現を恥ずかしがるのが常だからです。でも、私の予想に反して、子どもたちは嬉しそうに自分の名前を呼ばれるのを待っていました。そして、満足げな顔をしていました。知識はあっても、幼い可愛らしい心をもっているのだと気付かされました。
きっと彼らは、大人からの、否、教師からの愛情に飢えていたのだろうと思います。親よりも長い時間過ごす学校生活は、子どもたちにとって学びの場であるだけではなく、生活の場であり、関わりの場でもあるのです。その場のお母さんのような存在の教師から愛情を受けることがなければ、長い時間の学習に耐えるのはとても難しいことなのではないでしょうか。
私は、不登校を引き起こしてしまう原因の全てが教師にあるとは思いません。当時は、そういった風潮を心苦しく思っていたのも事実です。しかし、あと一歩、子どもの心に近づき、子どもの個性を長所として見ようと努力すれば、子どもたちの学校生活がさらに楽しくなるのではないかと思っています。
何年続けていても、教師の仕事に「合格」といわれることはありません。だからこそやりがいのある仕事なのだと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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