2021.06.24
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不登校は解決すべき問題ですか?

不登校の子が教室復帰をすることが、喜ばしいゴールというイメージが、未だ抜きがたく学校業界にあるような気がします。いいえ、不登校の子を持つ保護者も、そして一般社会の人たちも、同じイメージに囚われているように思います。
......でも、ほんとうにそうなのでしょうか。

東京都内公立学校教諭 林 真未

国(文部科学省)の見解を確認すると……

文部科学省としては、「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日において、
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不登校児童生徒への支援は,「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく,児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて,社会的に自立することを目指す必要があること。
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と、学校復帰だけが目標ではないことを明記しています。

さらに、
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場合によっては,教育支援センターや不登校特例校,ICTを活用した学習支援,フリースクール,中学校夜間学級(以下,「夜間中学」という。)での受入れなど,様々な関係機関等を活用し社会的自立への支援を行うこと。
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とし、その場合は、校長の判断で一定の条件のもとで出席扱いにできる、ともしています。
つまり、現在、国としては、「教室復帰」だけがゴールではないと考え、学校以外での学びさえも認めているのです。

ただし一方で、「児童生徒が不登校にならない,魅力ある学校づくりを目指すことが重要であること」「児童生徒が学習内容を確実に身に付けることができるよう,指導方法や指導体制を工夫改善し,個に応じた指導の充実を図ることが望まれること」「初期段階からの組織的・計画的な支援が必要であること」などの文章も並んでいます。

そう言われてしまうと、自分のクラスに不登校の子がいたら、自分の力不足と感じてしまい、いくらそれを目指さなくていいと言われても、「教室復帰」をどうしても希求してしまいます。

「私がもっと楽しい授業をしていれば、日常的にもっと声かけをしてあげていたら、あの子は学校を面白く感じて、休むことなんてなかったんじゃないか」なんて反省して……。
毎年やってくる不登校調査も、「不登校=問題」というイメージ作りに役立っていると思います。
ただの調査なんだけれど、そこで、自分のクラスに不登校の子どもがいると申告するのは、なんとなく切ないんですよね。

保護者の気持ちをひもとくと……

不登校の子の保護者は、担任教師以上に、自分の子の「学校復帰」を望んでいるのではないでしょうか。
そこには、「人並み」から外れることへの怖さが横たわっているのではないかと思います。学校に行くのが当たり前の社会で、学校に行かないことは、マイノリティになるということ。日本では、マイノリティであることには強いネガティブイメージが伴います。
保護者の気持ちを深く掘り下げると、学校に行かないことよりも、この、マイノリティに陥ることへの不安が強いのではないでしょうか。おそらく、学校に行かない子がマジョリティなら、不登校はきっと気になりません。今は、学校に行かなくても学習するツールはたくさんあるのですから。

もうひとつ、学校の先生同様の痛みが、保護者を苦しめているのではないかと思います。
つまり、「自分がいい親じゃなかったから、子どもが不登校になったのではないか」という後悔です。

でも実際には、不登校の原因なんて、本人にもはっきりとはわからないそうです。
それに、もし親が原因の不登校だとしたら、むしろ、”いい親”し過ぎの場合が多いのです。

不登校の子になって考えてみる

普通に考えて、きっと、子どもだって、行けるものなら行くんじゃないのかな。
学校からも、親からも、無言のプレッシャーを毎日浴びつつ、それでも学校へ行けない子どもたち。
子どもが、大人よりも力ない存在であることを考えると、これは、かなりしんどいことではないのかなあ。

そういえば、私自身も遠い昔、友達関係のことで1週間くらい学校に行けない日々がありました。
あのときはつらかったな。
学校を休むのは後ろめたい、でも、学校に行くのはメンタルが耐えられない。
ゲームがまだない昭和の時代だから、マンガを読み耽って現実逃避をしていたような記憶があります。

じゃあ、どうすればいい?

多様性の時代、と言われてもうずいぶん経ちました。
でも、そんなこと言うまでもなく、人はそもそも、多様な性分を持つイキモノなのではないのでしょうか。
一方、一般的な学校は唯一のスタイルを大人数で一緒にやる場所です。
当然、多様な子どもたちの中には、このスタイルが性に合う子と合わない子がいるわけで。
私のように原因がはっきりとしたケースもありますが、シンプルに言い切ってしまえば、もしかしたら、不登校というのは、
「学校が性に合わない。」
たったそれだけのことかもしれません。

だったら、行かなければいい。
なんて、爽やかに言い切りましたけど、実は、自分の子が不登校になりかけた時(これは平成時代)、私は必死でした。毎日ネガティブな言葉をかけて、脅すようにして行かせていたなあ。
だって、そのまま行かなかったら、ひきこもって外に出なくなってしまうのでは? と心配で仕方ありませんでしたから。

でも、今から考えると、学校に行かないなら行かないで、一緒に長期の海外旅行に行ってしまうとか、やりたい共通の趣味を見つけて没頭するとか、母子でもっとポジティブに過ごせばよかった。

学校に囚われて鬱々として過ごしても、不登校であることを受け入れて別の生き方をしても、子どもの「今」はどんどん過ぎ去ってしまうのだから、どうせなら楽しく過ごせばよかった、と今では思います……。

でも、あのころその境地に辿り着くのは難しかったです。
せめて、この記事を読んだ人に、今、伝えたい。
不登校は解決すべき問題じゃない。
学校に行くか行かないかは、どっちでもいい。
子どもにとって、それよりずっと大切なのは、「自分は生きているだけで価値がある」という確信、「世の中は学校だけじゃない」という視野、そして、「いい人はたくさんいて、人生はなんとかなる」という楽観。

それをくり返し伝え続けることこそ、そばにいる大人がやることなのかな……と思います。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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