2020.05.13
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「主体的・対話的で深い学び」を支える言語スキル―円滑な対話は下準備が全て―(No.3)

前回の記事では、学校で起こる様々な課題を他の先生たちと協力しながら乗り越えていくための「大人の対話力」について本を紹介しながらお話しました。その際、対話を円滑に進めるためには、相手がもっている常識と自分がもっている常識は違うことに気づきそれを理解すること、つまり「他者理解」が必要であるということを再確認しました。
今回は、この「他者理解」を私がどのようなことを考えながら行っているのかについてお話していきたいと思います。

小平市立小平第五中学校 主幹教諭 熊井 直子

「相手の存在意義をどれだけ認め、尊重しているか」が第一段階

前回ご紹介した宇田川元一さんの『他者と働く』では、他者と協力してものごとにあたることができる関係性を築くために、以下の4段階を挙げていました。

①準備「溝に気づく」
相手を問題のある存在ではなく、別のナラティブ(文脈)の中で意味のある存在 として認める。

②観察「溝の向こうを眺める」
関わる相手の背後にある課題が何かをよく知る。

③解釈「溝を渡り橋を設計する」
相手にとって意味のある取り組みは何かを考える。

④介入「溝に橋を架ける」
相手の見えていない問題に取り組み、かゆいところに手が届く存在になる。

この「①準備」にもあるように、相手を問題のある存在ではなく、意味のある存在として認めることができるかどうかが他者との協力関係を築く上で本当に大切なことだと思います。私はこのことを「相手を尊重する」という言葉で表現することが好きです。ここで注意したいのが、「相手を尊重する」というのは、相手の意見を手放しで肯定することではありません。相手の意見を肯定したり否定したりといった、何かの価値判断をするのではなく、相手がそこに「存在している」ということをまるごと受け入れる、ということです。

例えば、自分にだけ厳しいことを言ってくる(ように感じられる)先輩や、何度も同じ失敗ばかりを繰り返す後輩を誰か思い浮かべてみてください(きっとちょっとマイナスな気持ちになるはずです)。そして、その人の両親や兄弟、子供、友達になったつもりでその人のことを考えてみてください(私は親の視点に立つと一番うまくいきます)。さらに、その視点に立ったまま、その人がもし亡くなってしまったらどういう気持ちになるかを考えてみてください。職場では、ひょっとしたら何か問題を抱えている存在かもしれませんが、その人が生きていることを大切に思っている人たちがいることに改めて気づくはずです(たとえ自分が心からそうは思えなかったとしても)。

「相手がそこに『存在している』ということをまるごと受け入れる=相手を尊重する」というのはそういうことです。

このように、自分とは異なる他者と働くときの第一段階は、どんな相手のことも尊重することができているかどうかをまず確認することです。私は、自分が関わる相手全員に対してこの気持ちをもつことができているかどうかを、時々確認します。これができていないと、どんなに他者理解を進めよう、他者と協力しようと思っても、どこかに相手を見下す気持ちが生まれてしまい、うまく進みません。

みなさんは、「相手を尊重する」ことが本当にできていますか?

自分の感覚や感情に敏感になることが、他者理解へつながる

「自分は相手を尊重することができているのだろうか」と考えていると、「尊重している」という答えを簡単に導ける相手と、少し時間がかかる相手、ひょっとすると「尊重している」といえない相手が出てくるかもしれません。

他者理解への次の段階は、自分の感情的な部分と向き合うことです。例えば次のような問いを立てます。

・私はなぜこの相手に対して時間がかかったのだろうか

・なぜ『尊重している』といえないのだろうか

・簡単に言える相手と言えない相手の違いはなぜ生まれるのだろうか

このような問いに対する答えは、思考ではなく感覚や感情と結びついていることが多いと思っています。その感覚や感情に気づいたら、さらに考えます。

「私は、なぜ嫌だと感じるのだろうか」

ひょっとすると、自分にできないことが相手にはできてうらやましいと思っているのかもしれません。または、自分が言ったことを相手に認めてもらえないのが悔しいと思っているのかもしれません。それが悔しいのは、どこかにコンプレックスがあったり、自分を認めてほしいという思いがあったりするからかもしれません。感情の源泉が何かを探ってみるのです。

この作業は面倒かもしれませんし、あまりやりたくないことかもしれません。でも、自分の感情の源泉を時々探ってみることを私はおすすめします。なぜなら、他者と接するということは、必ずどこかで自分の感覚や感情に触れる場面があるからです。頭で相手を「尊重している」と思っていても、どこかで自分の感情が鬱屈していると、いつか出てきてしまいます。その時のためにも、「自分は『どんなことを』『なぜ』嫌だとかんがえているのだろうか」と考えてみるのです。

全てにつながる「国語の力」

「私はこの人に対してどのような気持ちを感じているのだろうか」
「なぜ私は嫌だと感じるのだろうか」

このような問いはどこかで見たことがありませんか?

「主人公は友達に対してどのような思いをもっているでしょう」
「なぜ主人公は友達の行動を見て『つまらないな』と思ったのでしょう」

文学的文章の授業でこのような課題を出しませんか?

先程の自己分析は、国語の授業の中で行っていることと同じなのです。特に大切なことは、根拠を「文章中=自分のこれまでの行動や経験」と結びつけて考えるということです。

また、自分のことについて考えるためには、対象とまっすぐ向き合って言葉で表現していく「書く」という行為が必要です。今回は詳しくご紹介しませんが、近藤勝重さんの「つらいことから書いてみようか」(幻冬舎)という本が非常に参考になります。

このように、他者と対話をするための下準備には、相手を尊重し、自分の感情と向き合うことが必要です。その下準備に必要なのが、「読むこと」や「書くこと」といった「国語の力」なのです。今回の連載の本筋とはやや離れますが、これまでに授業で教えてきたことがいかに有機的に結びつき、実生活につながっていくのかということを、国語教師としては常に意識していきたいと考えています。

おわりに

今回は対話を始める下準備として、「相手を尊重しているか」「自分の感情の源泉にあるのは何か」をよく考えてみると良いということをご紹介しました。時々時間をとって、自分の気持ちを振り返ってみてはいかがでしょうか。次回は、次の「相手を観察する」段階についての私の考えと方法についてご紹介したいと思います。

熊井 直子(くまい なおこ)

小平市立小平第五中学校 主幹教諭
英語もできる国語の先生を目指しています。2016年度に1年間フィンランドの高校で国語の授業を研究していました。英語教育に力の入る今だからこそ母国語教育のあり方を今一度よく考える必要があるのではないかと考えています。

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