記号接地の問題について考える ~国語科の視点から~(2)
通勤時の服装に上着を1枚重ねることが増えてきました。急に変化する気温に身体が追い付いておりません。
さて、今回も前回同様「記号接地」の問題について考えてみたいと思います。
明石市立鳥羽小学校 教諭 友弘 敬之
前回の話題を振り返っていると、改めて「記号接地」問題を自分自身が捉えきれているかな、ということを課題と感じました。
特に、体育科という視点で記号接地をとらえることの難しさを実感しております。
そこで、今回は、一度国語科でもとらえなおしてみたいと思います。
今後、私自身の理解と実践が深まってきた折にもう一度体育科での話題に挑戦させていただきます。
国語科における記号接地問題
国語科における「記号接地問題」は難しいというのが本音です。
例えば、AIが「リンゴ」を理解するためには、実際にそのものを手に取り、香りをかぎ、口に入れた時の舌触りや触感を感じる必要があるとします。しかし、「ことば」を扱う国語科においてすべてのテクストを実体験を伴って読み進めていくことは不可能に近いでしょう。それどころか、「ことば」から受ける印象やイメージの形成において、すべてを実物から得てしまうことに抵抗がある方もいらっしゃるかもしれません。
例えば、いくつかの教科書に掲載されている教材に『モチモチの木』というものがあります。この教材には題名にもなっている「トチノキ」が登場します。トチノキというのは、公園の街路樹として身近にも生えている木です。この木が落とす実は、加工するとトチ餅ができ、食料として重宝されてきました。ある教室の中で、この実を実際に採取してきて、物語の進行と同時に教室に提示したり、実際にトチ餅も食したりするという実践を拝見させていただいたことがあります。子どもたちにとって、物語に登場する象徴的な「トチノキの実」や「トチ餅」の味が初めて理解できたことでしょう。つまり、「トチ餅」ということが記号接地したといえるわけです。
しかし、ここでいくつか疑問が浮かびます。「トチ餅」が理解できたことで、豆太がどういった思いで「トチ餅」を食していたかが理解できることはもちろんイコールではないですし、祖父との生活の様子が実感できるということともイコールではないということです。では、国語科において、登場する人物の様子や行動が「記号接地」することはあり得るのでしょうか?そもそも、登場人物の様子や行動が「記号接地」するという概念自体があるのかどうかから問う必要はあるでしょうが、いったん話題を進めてみます。
国語科において記号が接地する可能性を探る
AIのリンゴに対する理解を例とすると、その「言葉」を「言語」からだけでしか情報を得ずに、身体とはつながっていない「記号としてのリンゴ」では本当に理解することはできないというのが、記号接地問題の前提となっていることは前回も述べてきました。しかし、国語科においては、物語文であれ説明文であれ、身体とのつながりを多く含む内容は少ないでしょう。例えば、2年生の教材で『おにごっこ』という教材文があります。これは、数種類のおにごっこをそれぞれの特徴ごとに並列に説明した説明的文章です。この教材の特徴は、なんといっても子どもが実際に体験して遊んだことのある内容ということでしょう。仮にまだ体験していなくても、その日の休み時間中に実際に体験することができます。しかし、こういった内容の教材は稀でしょう。では、国語科の読むことの学習において、子どもが記号を接地させることは可能なのでしょうか?
4年生との対話の中で
上記のような課題意識の中で実践を振り返ると、思い出す場面があります。それは、前年度担当した4年生との国語科の学習のある場面です。当時、国語科では『ごんぎつね』という教材を扱っていました。本教材の内容は割愛させていただきます。ある場面で、兵十という人物が「はちまき」をして水があふれる川の中にウナギを取りに行くという描写があります。この描写に対して、ある児童が「何でここではちまきしとるん?」と問いを発しました。それに対して、別の児童が「別に意味はないんじゃない?」と、その場は過ぎていきました。しかし、物語が進行し、その人物の母親がなくなってしまうという場面が来た時に話題が戻ってきます。以下、その時の対話の内容を記述します。
A「兵十のお母さん亡くなったんや」
B[兵十はお母さんの看病しとったんかな…?」
A「ひとりでご飯作ったりして大変やったやろうな…」
B「あっ、だから兵十はウナギを取りに川に出てたんやな!」
A「お母さんにおいしいもの食べさせたかったんやろうなあ」
B「気合い入れてウナギ取りに行ったんやな!」
A「わかった!!だから、はちまきしたんや。だって、私たちも運動会のときとか気合い入れるためにはちまきするやん!絶対に捕まえるっていう気持ちがこもってるんや!」
この場面を想起したとき、この「Aさん」は兵十という人物がはちまきをするという描写の意味が身体に接地したように感じました。つまり、「腑に落ちた」のでしょう。
まとめ
ここに、国語科として「記号接地問題」を考える大切なポイントがあるように感じました。つまり、子どもたちは文章として書かれた「言葉」を自分の経験や体験をもとに対話することを通して、意味を知っている語同士が補い合い理解を手助けしてくれていると考えることができるでしょう。「あっ!そうか!だから…」と、子供たち一人一人の経験したことと「言葉」がつながっていくことで、少しずつ「ことば」として身体に接地していくのではないでしょうか。そういった読みをともに創っていける学習デザインを今後も追い求めたいと、本文の記述を通して改めて感じました。
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友弘 敬之(ともひろ たかゆき)
明石市立鳥羽小学校 教諭
「単元学習」をテーマに学び続けてきました。その中で、「学習デザイン」「実の場」「問い」と、興味を広げてきました。今は「そもそも学びってなんだろう?」という問いと向き合っています。それは、子どもの学びだけではなく、教師としての、また大人としての学びも含みます。この学びの場を通して、私の問いを解決していきたいです。
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