2025.04.01
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子どもの心の動きが「見える」ってどういうこと?  ~新たな出会いを機に,教師としての自己を成長させる~(8)

希望のふくらむ4月。入学式・始業式での子どもとの出会いは,いつも新鮮です。
学級担任を何回やっても「どんな子たちだろう?」と緊張し,子どもたちも「今度の担任の先生は?」と期待をもち登校するでしょう。
出会いを機に,教師は自分をどうつくり変え成長していくのか,かつて一緒の小学校に勤めた若い先生の体験から考えてみたいと思います。

静岡大学大学院教育学研究科特任教授 大村 高弘

「間違えずに呼名したい」でなく

4月,新規採用2年目のA先生は1年生の受け持ちと決まり忙しそうに,でも心愉しそうな様子で出会いの準備を進めていました。
入学式前夜はかなりの緊張があったようです。子どもたちの晴れ舞台を保護者や来賓,職員が見守る中,担任には「呼名」という役割がある。そのプレッシャーは大きなもの。
式を終えた後,A先生は振り返りを週案簿に書いています。

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33人の子どもたちとの1年がスタートしました。
入学式の前,「一人一人の呼名を間違えないようにしなくては」「礼をするのを忘れないようにしよう」そんな思いでいっぱいでした。
式が始まると,わずか6歳の小さな体の子どもたちが,辺りをキョロキョロと見渡しながら体育館に入ってきました。呼名の際,私が子どもの前に立つと,みんな不安そうな顔で緊張しながらこちらを見ていました。
そんな子どもたちを前にして,これから自分はこんなに小さくて,弱くて,未熟な子どもたちを守っていくんだと改めて実感しました。担任である自分が,小さなことで委縮していてはいけない,と感じました。次第に私は「間違えずに呼名したい」というよりも「この子たちが安心して返事ができるように名前を呼んであげたい」という気持ちになっていました……
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呼名はA先生にとって式が始まるまで「間違えてはいけない名前」。でも式場での子どもの姿・表情に表れた不安と緊張を見とり,教師としての使命感が体にわいたのでしょう。子どもに届ける体温のこもった呼びかけに変化しました。
子どもたちもきっと,A先生のまなざし,表情,しぐさから,温かな働きかけとして呼名を受け取ったはずです。

「他者」としての子どもに出会う

「他者性」という言葉があります。
「他者」は「他人」とは異なるものです。
「他者とは,ある個人にとって固有のかかわりをもつ,人格形成上意味のある個別存在のことです。身近な<実在の他者>とつながりながら,<内なる他者>を形成し,この二重性を生きることで自己を確立していくのです」
と折出氏は著書で述べています。

呼名する前A先生の中にあった「自分がどう見られるか」の意識と緊張は,どこかに吹き飛んでいました。一皮(ひとかわ)むけたのです。
「子どものために」と思えたら教師には自ずと力が湧きます。A先生は自分を成長させてくれる「他者としての子ども」に出会い,教師としての新たな「自己を確立」(折出氏)したのでしょう。

この変化のきっかけは具体的な一人ひとりを知覚し,A先生が子どもに「むかう」状況になれたこと。
小林秀雄は本居宣長の説を用いながら,「『むかふ』の『む』は『身』であり,『かふ』は『交ふ』である」とし「親身に交わること」としています。
子どもとの物理的な距離はあっても,そこには身体を通した相互作用(親身な交わり)があったのでしょう。A先生には,その関係をつくる感覚の豊かさがそなわっていました。

14年ぶりに

先日,A先生の授業を参観する機会がありました。
音楽室での2年生の子らの躍動するような活動,子どもと教師が一体になった授業に心ゆさぶられました。
教師の生きがいの源泉である「子どものために」を大切に自己を成長させてきたA先生だったのでしょう。

※本文中の週案簿の記述については、A先生の許可を得て引用しています。

参考資料

大村 高弘(おおむら たかひろ)

静岡大学大学院教育学研究科特任教授


教員不足の問題がいろんな機会に取り上げられています。
でも教職は実に愉しくやり甲斐ある仕事ではないでしょうか。
その魅力を読者の皆さんといっしょに考えていきたいと思います。

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