感謝祭の週~雪嵐と停電と、子どもたちの「だいじょうぶ」~モンタナ州ボーズマンのモンテッソーリ保育園から
アメリカ・モンタナ州のボーズマンという町で、モンテッソーリ保育士として働くかたわら、大学院でも学びを深めています。ボーズマンにも、少しずつ雪が積もり始めました。
今回は、ボーズマン・モンテッソーリ保育園での感謝祭(11月最終木曜日。2025年は11月27日)の様子をつづります。
ボーズマン・モンテッソーリ保育士 城所 麻紀子
感謝祭がもうすぐ。教室のそわそわ
アメリカ・モンタナ州ボーズマンのモンテッソーリ保育園で働き始めてから、感謝祭の週が来るたびに、「ああ、今年もここまで来たんだな」と少ししみじみするようになりました。
そして、この週の教室は、いつもよりほんの少しだけ空気が弾んでいます。
「今日はおばあちゃんたちを迎えに空港に行くんだよ!」
「いとこが遊びに来てるんだ!」
と、冬休み前みたいなそわそわ感が、教室の空気の中にふわふわ混ざっています。
ギャザリング・タイムという特別な時間
ボーズマン・モンテッソーリの一日は、基本的にそれぞれの子どもが自分の仕事やレッスンを選び、自分のペースで集中して過ごす時間が中心です。
砂文字の教具に向き合う子、水彩画を描いている子、本棚の前のロッキングチェアでじっと絵本を読んでいる子、窓を拭いている子。同じ教室の中にいても、みんなで一斉に同じことをする場面は少ないです。
そんな中で、一日に一度、子どもたち全員が輪になって集まる時間があります。それがギャザリング・タイムです。
小さな手動オルゴールを1人の子どもが鳴らしながら教室を歩き始めると、それは教具を片付けて、ギャザリング・ラグに集合する時間が来た合図。だいたい毎日10時頃です。
教室の時計はアナログで、時間を読める子どもはほとんどいません。
(そういえば、今年は時計の読み方を学ぶ教具が教室に置かれていません。こうした教具の選択は主任の先生によるのです)
教具をばたばたと片づけて、先生と子どもたちが床にぐるりと座ると、それまでバラバラだった空気が、すうっと一つにまとまっていく感じがします。
今年の主任の先生は読み書きに重きを置いていて、まずはアルファベットを、カードを使いながら歌と踊りで学ぶ時間。そのあと、カレンダーで日にちや天気を確認したりします。
ふだんは「個」が主役の教室だからこそ、顔と顔を見合わせるこの45分ほどの時間が、ちいさな特別枠として大事にされています。
感謝を飾る小さな木
感謝祭の週のギャザリング・タイムでは、「だれに感謝を伝えたいか」を一人ずつ言っていき、先生がそれを書いて、小さな木に飾っていきました。順番がまわってくるたびに、小さな声で「ママとパパ」「ぼくの犬」「友だち」「学校」「先生たち」と、子どもたちがぽつぽつと言葉をつないでいきます。
特別な飾りつけも何もないけれど、子どもたちが笑顔で「ありがとう」をつづっている、その時間そのものが温かい。
わたしは、何に感謝するのか――ああ、すべての瞬間としか言いようがないなあと、しみじみと思えたこと自体が、なんて幸せなことだろうと感じました。
雪嵐と停電が教えてくれたこと
先週は、その感謝祭のそわそわとは別の意味で、衝撃的な出来事がありました。突然の雪嵐がやってきて、ちょうどお昼ご飯の時間に停電になってしまったのです。外は吹きすさぶ嵐で、あっという間に真っ白。保育園中がふっと暗くなりました。
大人たちは、「トイレが真っ暗!」「懐中電灯はどこ?!」と、内心どたばた。ところが子どもたちはというと、何事もないように席につき、いつも通り歌を歌って、ご飯を食べ始めました。薄暗い教室での、その全員の落ち着きぶりに、思わず笑ってしまいました。頼もしいですね。
お昼ご飯を片付け、ふだんなら外遊びの時間ですが、その日は誰もスキーパンツを持ってきていなかったので外には出られません。子どもたちは暗闇の中で、パズルや雨の日用の室内遊びにいそしみます。
1人の子が「電気つけていい?ちょっと暗い」と聞いてきたので、「停電なのよ。だから、しばらくは電気をつけられないの」と答えると、「そうか。じゃ、いいや、大丈夫」と、また遊びに戻っていきました。この順応性には、本当に助けられました。大きな騒ぎにならずにすんだのは、子どもたちのおかげです。
停電騒ぎのあと、私たち大人は「これを機会に、ちゃんとした大きな懐中電灯を買おう」と話し合いました。子どもたちは、そんな大人のあたふたをよそに、暗い教室でも、雪の園庭でも、自分の居場所をすぐに見つけ、いつものように今日を楽しむことに、すっと切り替えていきます。
その順応性とたくましさを見ていると、「感謝祭に、だれにありがとうを伝えたい?」と聞かれたとき、自分はまだまだ言葉にしきれていない「ありがとう」が、たくさんあるなあ、と静かに思います。
停電のあとに広がっていた、薄青い冬空の下の園庭の景色を見るたびに、その気持ちをもう一度思い出しています。
ボーズマンの冬と、なんども言葉にしたい「ありがとう」

雪がやんだあとの園庭
翌日、雪がやんだあとの園庭は、朝の冷えこみで一面薄い氷の膜が張ったように見えました。遊具にも岩山にも木の枝にも、うっすらと雪が残っていて、「ああ、ついに冬が訪れたなあ」と、吐く息の白さに感じました。
そんな中、子どもたちは楽しそうに雪を食べています。ボーズマン・モンテッソーリで働き始めて、最初は本当に驚いたのですが、この子たち、雪を食べるんです、もりもりと。確かに空気がきれいなおかげで、雪は真っ白でとてもきれいなんですけれど。
「おいしい、おいしい」「なんで食べないの?」
と聞かれるたびに、「ちょっとわたしには冷たすぎるから、いいわ。雪は」と、何度答えたことか。
雪国の子どもの寒さへの強さには、毎年ながら本当に驚かされます。
薄青い冬空と静かな園庭の写真を見返すと、暗い教室でいつも通りご飯を食べていた子どもたちの姿が、一緒によみがえってきます。
今年の感謝祭に伝えたい「ありがとう」は、そんな日々の一場面一場面と、このボーズマンの冬そのものに向けて。何度でも声に出して言いたい気持ちを、そっと心の中で言葉にしておこうと思います。

城所 麻紀子(きどころ まきこ)
ボーズマン・モンテッソーリ保育士、元サンディエゴ日本人向け補習校講師、モンタナ州立大学院家族消費者科学科 修士課程
2020年からアメリカのモンタナ州の人口5万人の町で、モンテッソーリ保育園の保育士をしています。
アメリカといっても、白人約90%、アジア人約2%(最近増えました!)という環境です。
あまり日本人の方に知られていない、アメリカの田舎での教育や生活の様子などを共有できたらいいなあと思っています。
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