子どもの心の動きが「見える」ってどういうこと?~「おやっ?」と感じたその子らしさを、授業のなかで活かす~(5)
初任から数年を経た頃「すごい授業する人がいるよ!」と噂が耳に入りました。築地久子先生(当時・静岡市立安東小学校)。
そのころの自分は、学級づくりに少し自信がもてるように。
でも国語・算数など座学の授業になると、子どもたちはどうも受け身になってしまう。
「本気になって学んでくれる授業ができないかなぁ」と願う毎日でした。
11月の末、安東小の公開研が開催されると聞いたので、仲間と一緒にわくわくして学校へ向かいました。
静岡大学大学院教育学研究科特任教授 大村 高弘
こんな授業、見たことないよ
築地先生の教室(2年生)に向かうと、既にたくさんの参観者が廊下までいっぱい。ぎゅうぎゅう詰めのなか、子どもの顔がなんとかのぞける隙間が見つかりました。
授業は社会科(当時、生活科はまだ無かった)、バスの運転士さんの仕事です。
授業の始まりのあいさつ。と、直後に大勢の子の手があがります。
「わたしは、運転士さんのたいへんな仕事を………」
教室のみんなに訴えたいという強い気持ちが、口調と体に表れています。
「でも、でも」
他の子たちがつぶやきます。
「ぼくはちがうと思います……」
- えっ、なにこれ? こんなに強い思いの発言が -
話し合いが続くなか、席を離れて歩き出す子がいます。
- この子、どこへ行くの? -
行き先は築地先生のところ。自分の考えを先生に伝えるため。また隣の子とひそひそ話をしている子の姿もちらほら見えます。なんと前の黒板の所では、自分の考えを板書している子が3~4人。
- なんかこの教室って、カオスだ ー
そんななかでもメインの話し合いは進み、発言は、他の活動をする子の耳にも届いているようです。
自分の授業スタイルとはまったく違います。度肝をぬかれたという感じ。
わたしは、一斉・個別・グループの違いは意識していたけれど、それは教師が主導するもので表面的な形。でもこの教室では、各々の学び方でありながら、皆が同じ課題に向かっています。
築地先生は自分のところに来た子と対話したり手元の紙にメモを取ったり。なのにメインの討論内容をしっかりつかんでいます。問題になっていることを時々板書し、また話し合いが行き詰まると内容を要約し子どもに問いかけます。
- こんな授業ってあるの? 築地先生って、神様みたいな人だ -
ひとりひとりを授業で生かす
今思うと「個別最適な学び」と「協働的な学び」がまさに一体となった授業。しかも、子どもたちの追究意欲は並はずれたもの。
当時、安東小がめざしていたのは「ひとりひとりを生かす授業」。二十数年にわたり上田薫教授を招聘し授業研究を重ねていました。
上田教授の教育思想には、
「子どももひとりひとり生きた人間だ。とすれば生きた対応をするためには、教師はどの子をも深い人間理解でつかまえていなくてはならぬ」
がありました。あたりまえ、といえばそのとおりの理念。でも、これを実践するのは容易なことではありません。「どの子をも深い人間理解でつかまえ」る手だての一つは「カルテ」といわれるメモでした。
日常のくらしや授業の中で、子どもの表われに「あれっ?」とか「おやっ?」とかを感じたとき教師はメモをとります。時々それをつなげて読みつつ解釈し、その子についての考察を深めていくのです。
築地先生の授業で見ていきましょう。下は本時の抽出児A子についてのカルテの一部です。
9/27 班員と会話をせず、隣の班で会食をしている教師ばかりに話しかける。「班の人とお話してごらん」と言うと「だってぇ~。この人達、暗いんだもん。先生お話ししよう~」
10/8 授業中、〇〇に小声で「発表をしな」と言って、始めて班長らしい指導をする
10/13 自分の図工の片付けや給食の準備はていねいにしているが、班の給食当番の机をそのままにしている。………末っ子で甘えん坊であるが情感豊か。班長になってもいばることがないかわりに、友達や班が困っていたり問題を抱えていたりしても、機転をはたらかせて動くことも少ない。
気づきのメモを重ねることで、その子の性格や行動の傾向がしだいに見えてくるのでしょう。すると、A子は「こうした意見に対して、こんな気持ちをもつのでは」「この場面では、こんな反応をするのではないかな?」と動きのイメージがふくらんでいくようです。
築地先生が授業案の冒頭に記した目標は、
……A子の筋道立った考えの裏に潜む「働くのは、お金をもうけるため」「学校に来るのは、自分がいい子になるため」だけの考えでいいのかを、「静鉄バスの公共性」「安全運転」を通して学ばせてみたい。また、運転手の仕事だけでなく、停留所に設置されているベンチや空き缶は、誰が、何のために置いたのかも調べさせ、見過ごしてしまうような物の中にも、人と人との温もりがあることを感じ取らせてやりたい。
先生の強い思いが目標に位置づけられています。しかもそれは社会科でねらう資質・能力を越えたもの。A子のものの見方、人間としてのあり方に迫り、成長を促そうとするものです。
A子は自分のいいところも悪いところもひっくるめ、すべてを先生に受け容れられていると感じているのでしょう。だから「わたしはわたしであっていい」と、ありのままの自分を出す。築地学級の子らが自分らしく表現できるのは、先生への強い信頼感があるからだと思います。
それを支えたのは、その子の「見え」を先生が深めてきたこと。
「あれっ?」とか「おやっ?」は、それまでの捉え方では矛盾する「ずれ」が生じたことの現れです。「ずれ」に光を当て意味を掘り下げることで、その子理解はより豊かなものになるのでしょう。
子どもの個性の伸長への願いを教科の内容に重ねつつ授業を構想。その継続によって、独自性の発揮される学び合いが実現したのではないか、と今思います。
築地先生は神様じゃなかった
「もっと学んでみたい」と願いがふくらみ、その年の冬、築地先生も会員だと聞く研究集会に参加しました。分科会の協議を凛とした姿で進行する様子に、実践を通しつくられた高い教育理念を感じました。
夜の懇親会で先生の姿が見えたので、思い切ってビールを持って注ぎにいきました。お話のなかに先生のお人柄も見えてきました。
- 自分たちと同じ人間だ -
でも、ある意味あたりまえの理念「ひとりひとりを生かす」ことを、実際の教室で実現できた築地先生は、やっぱりすごい人。
参考資料
- 『実践・個を育てる力:静岡市立安東小・築地学級の授業』藤岡信勝編著(1988)明治図書
- 『安東小学校の実践に学ぶ:カルテと座席表の22年』武藤文夫著(1989)黎明書房
- 『個の育つ学校』上田薫・静岡市立安東小学校著(1982)明治図書
- 『子どもも人間であることを保証せよ:個に迫る座席表授業案』上田薫・静岡市立安東小学校著(1988)明治図書

大村 高弘(おおむら たかひろ)
静岡大学大学院教育学研究科特任教授
教員不足の問題がいろんな機会に取り上げられています。
でも教職は実に愉しくやり甲斐ある仕事ではないでしょうか。
その魅力を読者の皆さんといっしょに考えていきたいと思います。
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