2023.12.03
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「君たちはどう生きるか」を問い続ける道徳教育~インスピレーションとイントゥイション~(NO.7)

R.シュタイナーは、講演録である「オックスフォード教育講座」の中で、教師にとって必要なのはイマジネーションとインスピレーション、イントゥイションであると述べています。シュタイナーの本を読んだことのある方は、少なからず言葉の壁にぶつかり、何を言いたいのかを捉えるために苦戦すると思うのですが、私も例に漏れず、とりわけインスピレーションとイントゥイションが何を意味するのかを理解するために四苦八苦しています。

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

インスピレーションとイントゥイション

その理由は、このふたつの言葉を調べると両者とも「直感」と訳されることが多く、目に見えない事象を表しているからです。目の前の「ノート」であるとか、今は視界に入っていなくても「コーヒー」といった名詞は相手に伝わりやすいものの、「直感」のような言葉の具体的な像を伝えるのは難しいことです。しかし、そうであっても、直感をいかすことができれば、判断するときや決断せねばならないときの大きな助けになると信じています。そして、これらは教師にとって必要だというだけではなく、誰であっても必要だと思っています。

そこで、道徳におけるインスピレーションとイントゥイションとは何かを、私なりに解釈してお伝えしたいと思います。前回までお話ししてきたイマジネーションに加えて、ふたつの直感を育てることは、道徳のみならず教育にあたる際に、非常に大切にしたいと考えるからです。 私が長年学んできたソーシャルスキルの合言葉に、「自分にもいい、相手にもいい」があります。イントゥイションは、「自分にもいいし、相手にも環境にもいい」という解決策の閃きだと思うのです。言い換えれば、その場面を俯瞰的に見たときに誰もが一定の満足感を得られる策を、直感として得ることだと思います。

「直感」とは

古いテレビアニメである「一休さん」では、困り事を解決するために集中して思考すると、チーンといった擬音と共に直感が降りてくるシーンが毎回登場しました。この例を出すまでもなく、自分が目の前にあることを解決しようと考えているとき、あるいは考えながら歩いているときなどに、ふと「そういうことだったのか」と心に浮かぶことがある経験をおもちだと思いますが、それを「直感」と呼ぶのだろうと思います。

ただ、何も考えもせずに、「棚からぼたもち」のように解決策が知らされるということはありません。どうにかしたいと真剣に考えているところに、ふっと解決の糸口が浮かぶのです。

ある人は、静かな環境に居ないと直感は得られないといいますから、直感を得るためには、落ち着いて考える環境も大切なのかもしれません。 私が長年学んできたソーシャルスキルの合言葉に、「自分にもいい、相手にもいい」があります。イントゥイションは、「自分にもいいし、相手にも環境にもいい」という解決策の閃きだと思うのです。言い換えれば、その場面を俯瞰的に見たときに誰もが一定の満足感を得られる策を、直感として得ることだと思います。

道徳におけるインスピレーションとは

これまでにもお話ししてきたように、道徳の授業では様々な場面を擬似体験し、その場面ではどのような言動を取ることがよかったのかを考えたり、登場人物の心情について推測したりします。そのときに、「こんなふうに接していれば、良かったのかもしれない」とか、「もしかしたら、こんな気持ちだったのかもしれない」といったことが心に浮かぶとしたら、それが道徳におけるインスピレーションではないでしょうか。

ところで、小学生の普段の生活を眺めていると、相手と関わるときに真剣に考えてから言葉を発するということはあまりありません。思いつくままに話しかけているのが日常であり、その軽さが子どもの魅力であると感じます。しかし、よく考えずに言葉を発するがゆえに、小さなトラブルもしょっちゅう起きます。そして、トラブルを経験する中で、一呼吸考えてから言葉を発することの大切さに気づくのです。

ですから、道徳の学習で、ある程度の時間をかけてその場面の解決策を考えることは大きな意味があると思います。そして、考えるなかで、ふと「こうかもしれない」といった直感を得ることがあり、その経験を繰り返すことが大切なのだろうと思っています。なぜなら、繰り返すことで、子ども自身でも直感を大切にすることができるようになっていくからです。

このように直感をいかすことができるようになるためには、教師の働きかけが重要です。子どもの直感は、心の声の漏れという形やつぶやきといった形で表現されることがありますので、それを大切に拾い上げることが必要なのです。つぶやきを発した子どもに対して、「意見があるなら、手を挙げてから答えましょう」と返していたのでは、直感はあっという間に消えて見えなくなってしまいますし、つぶやきを通して直感を表現することは悪いことだという間違った経験を積み上げてしまいます。

道徳におけるイントゥイションとは

上述したように、何かを考える時間をもち、インスピレーションを得ることには大きな意味があります。しかし、インスピレーションは、個人の考えという枠から出にくいという特徴があるのかもしれません。そこで、多面的・多角的に考えたり、考えを深めたり広げたりできるように、友達と対話をしたり、意見を交換したりすることが必要になってきます。

そしてその中から、最善と思う解決策や言動の取り方を模索していくのです。それは、「完璧な答え」といえるものではないかもしれません。しかし、その授業の中で、そのときの友達やクラスメイトで見つけ出した「最善策」なのです。子どもたちは成長と共に経験を重ね、さらに良い方法を探し当てるでしょう。そのときの最も良い方法を思いつくことが、イントゥイションであると考えます。

私が長年学んできたソーシャルスキルの合言葉に、「自分にもいい、相手にもいい」があります。イントゥイションは、「自分にもいいし、相手にも環境にもいい」という解決策の閃きだと思うのです。言い換えれば、その場面を俯瞰的に見たときに誰もが一定の満足感を得られる策を、直感として得ることだと思います。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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