2022.11.08
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先生にとっての 『何だかとても大切なもの』教育相談の種 子どもは家でも学校の話をするのかなということ(10)

今回は 長く先生をしているとくり返し追体験があり、「なんだか子どもの頃のわたしと同じだなあ」と内心ほっこりしてしまうような表れの話です。それは家庭でその子が何の話をするとかということ。普段はあまり意識をしないのですが、時々改めて気づかされる大切なことがここにもありそうです。

静岡市立中島小学校教諭・公認心理師 渡邊 満昭

「家で学校の話をしますか」と聞くことの意味

私たちが、保護者の方々と子どもの話をするとき、「家で学校の話をしますか」とつい聞いてしまうことがあります。そのときも、「この子が家に帰ったときも、明るくすごしているのか」をちょっと聞いてみようということだったと思います。静かにしていることが多かったその子の表れが最近変わり、学校では積極性が出てきたので、家でもそのことを話してくれたらいいなという思いからでした。

ところで私は、基本的には家の状況をあれこれ聞くことはありません。家族のあり方は家庭ごとにそれぞれで、定型ではないものと思っているところもありますし。それでも家での様子を聞くときは、家族の前での姿からその子をこれからも支えていくヒントが見つかるといいなと思って話すことにしています。

お茶の間の話題になる先生のこと

ところで、実はこのまえも ある子が家で話す「学校のはなし」が話題になりました。

「先生、うちの子が学校のことを話すんですよ」
「そうなんですか。勉強のことですか」
「それがね、先生のことなんですよ」
「えっ、どんなことを話すんですか」
「先生の失敗話を楽しそうに話すんです」

あれれ、似たような話をたしか前にも聞いたなあと思いました。

教職とはかなり短期記憶(メモリー)の多さが試されるもので、はっと思いついたら物事の優先順位を即決し、できるところからどんどん進めておかないと目の前の現象に対応できません。その日も何か大切なことをしようとしていたのですが、途中で別の対応となり、夢中になるあまり肝心のことを忘れてしまったことがありました。それも私の人となりなのだと思って子どもたちにはちょっとユーモアを添えて(教訓として)伝えることもあるのですが、どうやらそれが心に残ってくれたようでした。


自分(先生として)の人間味は伝わるのか伝えるのか

先生に威厳や正確さや頼りがいを求めるのか親しみやすさを求めるのかは、子どもの年代やタイプにもよると思います。ただ、子どもに何が伝わっているのかは別の次元のことの時もありますね。大人になったかつての子どもたちがよく言うのは、先生はどんな授業をしていたのかは覚えていないけど、どんな人だったのかはよく覚えているということです。(これもやはり年代によって違うのでしょうが)

つまり、こちらは学習を教えているつもりだけど、望もうが望むまいが人となりというか人間味も併せて伝えているのだということになります。

「先生、あれからよく学校のはなしをしてくれるようになったんですよ。こんなことは今までなかったんですよ」
と話は続きます。

遠い昔、私もまた担任の先生の失敗談やそのとき話している先生の笑顔を家で話したことがあったかもしれません。(そのときのイメージを思い出すことができるので)

ということは少々恥ずかしいですが、どうせ伝わるのなら学校での自分のあり方を人となりの一つの例として伝えるという考えも、あってもいいのかなと私は思っているのです。



渡邊 満昭(わたなべ みつあき)

静岡市立中島小学校教諭・公認心理師・学校心理士・環境教育インタープリター・森林セラピスト


いつの間にか、小中学校全学年+特別支援学級+特別支援学校+通級指導教室での担任を経験し、生徒指導主任+特別支援教育コーディネーター+教育相談担当経験も10年を超えていました。すると担任を離れたとたんに何かを忘れてしまって、担任に戻ってみると忘れていたことに気がつくということがたびたびありました。それはうまく言えないけど何だかとても大切なもの。先生を続けていくための糧のようなもの。
その大切なものについて、自分の実践と合わせお伝えしていこうと思います。

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