2022.08.02
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先生にとっての 『何だかとても大切なもの』教育相談のたね 先生は、その子のクラスでの物語(エピソード)を紡ぐ(つむぐ)のだということ(6)

今回は、先生は自分の人としての偏りは認めつつも、ぜひ教室の子どもたちをもれなく見守ってほしいなというのが主旨です。それはどうすればできるのかを、自分なりに考えてみたいと思います。

静岡市立中島小学校教諭・公認心理師 渡邊 満昭

クラスの子の子の表れをあなたは思い出せますか?

担任の先生には、一人で30人前後の子どもたちと約1年ほぼ毎日顔を合わせて、6時間超も行動を共にするという特性(特に小学校)がありますね。

ここでまた質問です。毎日指導記録をつけている方もいらっしゃるでしょう。また学期末に子どもの表れを記述することもあるでしょう。そのとき、メモ無しでクラスみんなの表れが浮かんできますか? 家族以上の時を一緒に過ごしているのに、思い出せない子はいませんか?

だから、思い出せない子にもっと注目しようと考えるのが一つの案。これはみなさん日々努力されているところだと思います

では、思い出せない子が出てくるのは何でだろうと考えるのがもう一つの案。今日の話は後者です。

転機になった自分の子ども観の変化

かつての自分は苦戦していました。前回お話しした通り、思い出せるのは自分が良く関わった、もしくは関わってくれた子だけでした。出来事を思い出して記録をとるのも一苦労していました。記録は簡単・明瞭・客観的に書きなさいと指導を受けることもあるでしょう。それは必要なことなのだけど、私の場合は、記憶の上乗せにはなりませんでした。

ただ、家族を持ち、歳を重ね、子どもの育ちというものに自分なりの考えを持つようになるにつれ、クラスのどの子にもそれぞれの意志があり、過ごしてきた世界があると強く思うようになりました。

するといままで素通りしていたその子の日記や絵、わずかなしぐさや表現などが、その子のあり方を物語っているように思えてきました。動く活溌な子だけではなく。どの子に対してもです。

自分の感じたものを糸口に子どもの表れを物語(エピソード)としてとらえ直す

その時感じたものを糸口に、「もしかして○○好きかな?」とこちらからアプローチをかけると、あたっても当たらなくてもその子とのエピソードが生まれます。
また「最近、先生と呼んでくれる」など、どんな些細なことでもエピソードとしてとらえられれば、記憶はそれほど難しくはありません。
そのときの状況や自分の気持ちなど雑多なことも合わせて記憶し、それを元にこちらからその子に関わることが、実はクラス経営のほころびを埋め、潤いを増すために、大切なことなのではと思います。また何気ない表れに意味や価値を見いだし、その子にフィードバックすることも、私たちの大切な役目なのです。

個々の思いを大切にし、主体性を伸ばすことが求められる現在の学級経営ですが、同時に先生も、一人ひとりの子それぞれに「こうなってほしいな」と願いを持つことを忘れてはならないと思います。すると思い出せない子はいつの間にかいなくなるでしょう。 

こうして新たな認識で、目の前の子どもの表れを物語(エピソード)としてとらえ直すことで、クラスは「かけがえのない場所」になっていくのだと思います。

渡邊 満昭(わたなべ みつあき)

静岡市立中島小学校教諭・公認心理師・学校心理士・環境教育インタープリター・森林セラピスト


いつの間にか、小中学校全学年+特別支援学級+特別支援学校+通級指導教室での担任を経験し、生徒指導主任+特別支援教育コーディネーター+教育相談担当経験も10年を超えていました。すると担任を離れたとたんに何かを忘れてしまって、担任に戻ってみると忘れていたことに気がつくということがたびたびありました。それはうまく言えないけど何だかとても大切なもの。先生を続けていくための糧のようなもの。
その大切なものについて、自分の実践と合わせお伝えしていこうと思います。

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