2019.10.29
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言葉のちからを育てる国語教育 ―「なんとなく」で終わらせないー(No.2)

前回は新井紀子さんの著書『AI vs 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社,2018)『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社,2019)の中で書かれていたことを紹介しながら、なぜRSTの問題正答率が低いのかという点について考えてみました。今回は、文章中の表現にいかに目を向けさせていくかという授業の取り組みについてご紹介したいと思います。

小平市立小平第五中学校 主幹教諭 熊井 直子

前回、リーディングスキルテストの問題正答率が低いのはなぜかを考えてみましたが、それを通して私が言いたかったのは、「あの問題はできなくても仕方ない」ということではありません。文章を正確に読む力を身につけつつ、授業に生徒を主体的に取り組ませるためには、今までと同じようなことをやっていてはだめだ、ということです。今回は、どのようなことを意識して国語の授業を行っていく必要があるのかについて考えてみたいと思います。

「なんとなく」わかっていることを「明確に」言葉で表現すること

今までやっていたことを変えていくための第一歩は「なんとなくわかっていることを明確に言葉で表現すること」をもっと徹底することだと考えます。
例えば、中3の漢詩の単元で杜甫の「絶句」を扱った時のことです。

【書き下し文】

江は碧にして鳥は逾よ白く
山は青くして花は燃えんと欲す
今春看す又過ぐ
何れの日か是れ帰る年ぞ

【現代語訳】

川のみどりに鳥の白さはいっそうきわだち
山の木々の緑に花は燃えるように赤い
今年の春も過ぎ去ってしまう
いつ故郷に帰れるのだろうか

この漢詩の後半で表されている作者の心情を考えるときに「期待」と答えた生徒がいました。おそらく4行目の「いつ故郷に帰れるのだろうか」を「いつか故郷に帰れるだろう」と読んだのではないかと思います。
これに対して「悲しみ」と答えた生徒が多くいたので、この詩のどこから「悲しみ」と読み取れるかを聞きました。すると、こんなやりとりになりました。(T:教員 S:生徒)

T「この詩のどこから『悲しみ』という心情が読み取れるの?」
S「最後の1文が『いつ帰れるだろうか』と疑問になっているところ」
T「他の人はどうかな?」
S「『いつ帰れるだろうか』と疑問になっているということは、今は帰れないということがわかる」
T「なるほど、みんな4行目のところから『悲しみ』ということを感じたんだね。先生は3行目からも『悲しみ』を読み取れるなぁと思ったんだけど、どうかな」
S「『過ぎ去ってしまう』っていう言葉が悲しそう」
T「『過ぎ去ってしまう』の特にどこ?」
S「『しまう』」
T「そうだね。『しまう』っていうのは補助動詞で、『不本意である、困ったことになった』などの気持ちを添える働きを持っているから、確かに前向きな気持ちではないということが読み取れるね。他にはどうかな?」
S「『も』」
T「『も』?『も』ってどういうこと?」
S「『今年の春も』って言っているっていうことは、去年も帰れなかったってことだから」
T「ということは、来年の春も帰れるかどうかは……?」
S「わからない」
T「つまり、3行目から読み取れるのはどういうこと?」
S「『過ぎ去ってしまう』と『しまう』がついていることで、今のこの状態に対して嫌だな、とか悲しいな、という気持ちを持っていることがわかるし、『も』という言葉が、ただ今年の春が過ぎていくということだけではなくてこれまでもずっと帰れないまま春が過ぎていったということを強調しているから、「悲しい」という気持ちもさらに強まる感じがする」

「どこから『悲しみ』が読み取れるか」と質問をすると、概ねこのようなやりとりがどのクラスでも展開されました。
このやりとりで重要なのは、「なんとなく『悲しみ』な気がする」という「ただの感覚」を言葉の細かい表現に着目しながら「明確に説明させる」というトレーニングをすることだと考えています。なぜなら、自分で言葉にすることによって、その「考え方」や「着眼点の置き方」が、より定着するからです。だから、最後の部分を発言ではなく書かせる活動にすると、その定着の度合いを見取ることができます。
また、このやりとりで着目すべきは、ほぼすべてのクラスで生徒の答える順番が、「いつ帰れるだろうか」→「しまう」→「も」になったということです。このことから、今回の題材において、「心情を生徒が考えやすかったのは、「心情表現を含む文」→「文末表現」→「助詞などの細かい部分」であると言えるのではないかと思います。この着眼点を教師が把握しているだけでも、発問の仕方や生徒から答えが出たときの返し方がかわってくるのではないでしょうか。

おわりに

今回は、漢詩の鑑賞を題材に、単語レベルの読み取りのさせ方についてご紹介しました。もちろん、毎回このような一問一答形式の授業では生徒は飽きてしまうので、活動のさせ方には工夫が必要ですが、言葉に対する感度を上げるために、時には必要なやりとりであると私は考えています。

熊井 直子(くまい なおこ)

小平市立小平第五中学校 主幹教諭
英語もできる国語の先生を目指しています。2016年度に1年間フィンランドの高校で国語の授業を研究していました。英語教育に力の入る今だからこそ母国語教育のあり方を今一度よく考える必要があるのではないかと考えています。

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