私は震災当時亡くなった母を介護していたころに、ゲームを初めてやりました。当時は、携帯用ゲーム機を使ったものが主流でした。母以外の人とかかわることが難しい中で、長い時間を潰すのにゲームは絶好のお供になってくれました。そして、その技術に驚かされました。学生時代にインベーダーゲームが流行っていたときには、人のやっているところを見ながら、楽しそうだなと思ったことを思い出しました。でも、あのイメージではなかったのです。あまりの進化にびっくりしました。そんなことを言うと、若い人たちには笑われそうです。
その後ゲームから離れていたのですが、ここ数ヶ月、アプリを使った簡単なゲームをしています。音も穏やかな音楽です。お金を使うことはないので、なかなかクリアできません。しかし、時間をかけてクリアすると嬉しいものです。
とても単純なゲームなのですが、続けていると学ぶことも多いことに気付きました。まず、コツを覚えるということです。最初は無我夢中で操作していたものが、ちょっと先を読めるようになりました。こうやったら上手くいくだろうという予想がつき始めたのです。
また、そのゲームは、いつも同じ画面が出るわけではないので、ステージごとの攻略法はありません。クリアできたときには、プログラミングがそうなっていたのだなとわかるようになってきました。「クリアできておめでとう」のような言葉が表示されても、自分の力だけで攻略できたわけではないということがわかってきたのです。
課金しないので、数回ゲームをして失敗すると、一定の時間を空けなければなりません。そうして、また挑戦するといった感じです。ですから、ひとつのステージをクリアするのに、数日かかることもあります。でも、何度も繰り返しているうちに、必ずクリアできるようになります。その瞬間がやってくると、「ヤッター!」とガッツポーズをとりたくなります。
私は、この一連の流れは、人生にも当てはまることだなと、最近考えるようになってきました。目標に向かってチャレンジするときには、何度も繰り返すしかない。そのうちにコツがわかり、どうやればいいかといった見通しもできてくる。自分の力だけではなく、他者の力を借りることも必要だ。だからといって、お金がなくてもできることがある。お金があればもっと早く到達できることがあるかもしれないが、そればかりが楽しさではない。自己満足のような分析ではありますが、そんなことを考えながらやっていると、ゲームがより楽しくなります。
ところで先日、娘から突然質問を受けました。「お母さんのいいところはどこ?」彼女は人生の分岐点にいて、自己分析をしたいと思っていたようです。それでまず、私のことを聞いてきたようでした。
「私には取り立てて得意なことはないよ。数学は少しできたけど、語学はからっきしだったからね。でも、こんな私であっても、ひとつだけ自慢できるとすれば、続ける力があるということかな。休日でも、朝は必ず文章を書く。それを何年も続けている。そうすれば、何かが拓けていくかもしれないね」
体力的にも精神的にも、決して丈夫な質ではなかった私は、子どもの頃から生きにくさを感じてきました。他人と比べるのはナンセンスですが、それでも弱い自分を恨めしく思ったことはあります。だから、できることといえば、短い時間を毎日続けることでしかなかったのだろうと思います。この考え方は、ゲームの話と同じです。
育ちゆく子どもたちは、私よりも能力が高く、体力的にも充実していると思います。それぞれの体質や気質などの特性や目標に合わせて、自分らしい人生を歩んでいってほしいと思います。人生とは、能力で決まるのではなく、続ける力に左右されることを知ってほしいと思います。そして、どんなときも、自信をもって夢を追い続けてほしいと思っています。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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