道徳の授業に限ったことではありませんが、子ども達が文章を読み取れていなければ、先に進めることはできません。私はかつて、道徳の教材文というものは一回しか読まないものだと知ったとき、恥ずかしながらとても驚きました。というのは、私自身が読み取ることが苦手な子どもだったからです。
最近では発達障害などへの理解も深まり、障害とはいえないまでも、読みや聞き取りの苦手な子どもへの配慮が行き届くようになりました。しかし、私が子どものころは、なぜ自分が文字からの情報を得にくいのかということを、自分自身はもちろんのこと、親も先生も理解していなかったのだろうと思います。中学生のころ、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読んだときには、カタカナであるがゆえに、普段にも増して理解できなかったことを今でも覚えています。親が、簡単な物語や小説を読むように勧めてくれたおかげで、大人になってからはいくらかマシになりました。しかし、説明書などの日常からかけ離れた文章は、今でも苦手です。
きっと私のように、読み取りが苦手な子どもや、一度聞いただけでは内容を掴みきれない子どもはいると思います。また、イラストにこだわる子どもたちもいます。そんな子どもたちの一助となるように、読みを円滑にするコツをお伝えしたいと思います。
ひとつには、挿絵を上手に活用することです。その際に、「たかし君は、どの子どもなの?」のように、登場人物が、挿絵の中の人物と一致しているのかどうかにこだわる子どもがいるということも念頭に置いてください。大人であるならば、挿絵を「イメージの助けにはなるかな」と気楽に捉えることが多いかもしれませんが、絵で表現された世界にのめりこんでいく子どももいるのです。
以前、外国の民話を学んでいたときに、少年の絵が女の子のように見えたことがありました。服装も民族的な特徴があったので、一層女の子に見えたようです。そういうことがあると、「少年のはずなのに、女の子というのはおかしい」ということにばかり気を取られてしまい、文章の中身に興味がもてなくなってしまうこともあります。そのようなときには、「これは外国の古い話だから、あえてこのように描かれているのですよ」とはっきりと伝えることが有効だと思います。
また、挿絵からだけでは、登場人物の位置関係がわかりにくいことがあります。「かぼちゃのつる」(大倉宏之、「日本イソップ」小峰書店、道徳教科書にも掲載)を例にとってお話ししましょう。主人公のかぼちゃは、自分のつるをどんどん伸ばしていきます。自分の畑を越え、その先の道路を越えて、スイカの畑まで伸ばしてしまうのです。途中、ミツバチやチョウからアドバイスをされても聞く耳をもちません。それでとうとう、道路を走ってきたトラックに、ツルをひかれてしまうというお話です。このようにかいつまんでお話しすれば、位置関係もわかると思いますが、子ども向けのお話の中では、わかりにくい子どももいると思われます。そういったときには、俯瞰的に見るとどのような位置関係にあるのかを示すことによって、理解が深まります。
他に、「雨のバス停留所で」(成田國英、道徳教科書、光村図書出版その他)などもよい例になると思います。この教材文の場合、普段からバスを利用する機会があるのかどうかも、読み取りに関わってきます。公共交通機関をあまり利用しない地域では、バス停で待つことのイメージをもちにくいと思います。これは、電車内や電車の駅を舞台にした教材文でも同様です。経験の不足を補うための工夫を、考えてみてほしいと思います。
荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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