2018.04.03
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道徳一年生(NO.1「評価のために記録を残そう!」)

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 いよいよ道徳の授業が、特別の教科として本格的に始動します。教科書になってどのように変わっていくのか、新学習指導要領に示された改訂の意図をどのように汲み取って授業が行われていくのか、これから数年間は試行錯誤が続くと思います。

 そのような状況の中で、私自身も道徳の指導者の初心に帰って、新たな学びを始めたいと思っています。と申しますのも、私は道徳授業の専門家ではないからです。ある時期、道徳の大家と言われるような校長先生の元で仕事をする機会があり、授業公開に向けてどうしたらいいのだろうと悩んだ記憶があります。そのときに、隣のクラスの20歳も年下の同僚に、授業のやり方を手取り足取り教わり、板書の仕方や掲示物まで用意してもらって臨みました。また、道徳の分野では有名な大学の先生にお目にかかった際には、「私は道徳の専門家ではありません」と自己紹介したところ、「あなたはこれまで教師として何をしていたのですか」と叱られたことさえあります。

 子どものころに教えられた国語や算数などの教科については、授業のイメージをもちやすいものですが、生活科や総合的な学習の時間、外国語活動などは、教え方をはじめの一歩から学ばなければなりませんでした。同様に、道徳に対しても、指導法を模索し続けていたことは言うまでもありません。しかし、いじめなどの社会問題が深刻化する中、子どもの心を育てることは待った無しの状況です。未熟だとか、シロウトだとか、言い訳をしている暇はありません。

 そこで、今後はこのコーナーをお借りして、私が知り得た道徳に関する情報や教育技術を、できるだけわかりやすくお伝えしていこうと思っています。私が所属しておりますNPO法人TISECのホームペジにあるブログ(http://www.tisec-yunagi.com)にも書いていこうと考えています。また、授業実践リポートにおいて、道徳の授業にスキルトレーニングを入れるための手法や、「考え、議論する」授業への提案を掲載していますので、併せてご覧ください。

 さて、周囲の若手教師に話を聞くと、道徳の評価が一番気にかかると言います。もちろん、各学校で評価の仕方の指針が示されると思いますし、一教師の個人的な方法で評価をすべきではありません。そうであっても、最も大切なことは記録を残していくことだと思います。

 他の教科でさえ記録を残すのは至難の技ですから、教師が記録を取ることを第一に考える必要はありません。ワークシートでも振り返りカードでも、各学校の考え方に応じて、子どもの言葉で記録を残すことを考えていってほしいと思います。そして、時間にも体力気力にも余裕があるときに、気付いたことをメモ程度に残していきましょう。

 その際大切なのは、子どもの些細な気付きに教師が気付くことです。教師が意図した価値に気付かなかったからといって切り捨てるのではなく、子どものつぶやきに耳を傾けることが必要だと思っています。ひとつの教材を用いて授業をしたときに、そこから読み取ったり考えたりする価値は、必ずしもひとつではありません。

 加えて、教師よりも子どもの方が豊かな考えをもつことがあるのだということを、常に心に留めておくことも大切です。「教師は大人であるし経験も豊富だから、立派な考えをもっている。子どもは未熟だから教えてやらねばならない」といった姿勢をもつべきではないのです。子どもを一人の人間として尊重する眼差しがなければ、心を育てることなどできないと考えています。もちろん、他の教科においても同様です。

 具体的に、「黄色いベンチ」(千葉県道徳評価研究会作)という教材文を例に考えてみたいと思います。雨上がりのある日、二人の男の子が飛行機を飛ばそうと公園にやってきました。飛行機をもっと飛ばしたくて、公園のベンチに乗って飛ばしていたのですが、二人は自分たちの靴の泥でベンチが汚れたことに気付かずにいます。そこへやって来た小さな女の子が、ベンチに座ってしまい、洋服を汚してしまうというお話です。

 私はこの教材で授業をしたとき、ベンチは座るものであること、わざとではなくてもやってはいけないことがあるということを押えました。その後、この話の続きを考えさせました。ほとんどの子どもは、「勇気をもって謝る」という話を考えましたが、「女の子のそばにいたのがおばあさんであったから謝る」という条件をつけた子どももいました。怖そうな人であったら、気付かなかったフリをして逃げたかもしれないという思いがあったようです。

 授業が終わってから子どもたちのワークシートを読み返すと、「ベンチには立ってはいけないということがわかった」と書いていた子どもが数人いました。私は、自分の過ちに対してどのように対応すべきなのかを考えさせたいと欲張っていたので、この感想には物足りなさを感じました。でも、そういう教師の思い込みこそ避けるべきだと思い直したのです。話の続きを考えたり、友達が謝らなくてはいけないと発言したり、そういった授業の中で繰り広げられた全てを振り返って、「ベンチには立ってはいけない」という結論に達したのであれば、とても素晴らしいことだと思えてきました。

 子どもの気持ちを汲み取ったり、学びを読み取ったりすることは、簡単ではありません。記録を残しながらも、その記録を読み取る力を付けていかなければならないと思っています。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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