2018.07.20
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道徳一年生(NO.7「『君たちはどう生きるか』に寄せて」)

特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子

 先日、久しぶりに連絡をした先輩教師に近況を報告し、私が道徳に関する仕事をしていると伝えたところ、怪訝な表情を返されました。20歳近くも年上の教師にとって、道徳には苦い思い出があったのだろうと想像しました。「今の道徳は昔と違うのですよ」、そういった思いを口にすることも憚られました。私自身も、子どものころの道徳に関しては、全く記憶がありません。もしかしたら、名ばかりの授業だったのかもしれないと思います。加えて、長い教師生活を送ってきた中で、積極的に道徳に関わってきたのは、ここ10年くらいです。しかも、道徳の研究会などに所属することもなく、異端児のような形で関わることを始めました。では、なぜ道徳に心惹かれ、道徳を学ぶ必要性があると考えるようになったのでしょうか。今回は、そんな思いを書いてみようと思います。

 ひとつには、子どもたちを観察する中で、人との関わり方が上手くいかない場面を、数多く目にするようになったことです。また、保護者が私たち教師に接するときのやり方も、大きく変化してきたように感じます。今でも忘れられない思い出が、いくつかあります。

 若い頃、とても気難しい担任に受け持たれている6年生と話をすることがありました。「先生との関わりの中で、苦労することはないのですか」と聞くと、「大丈夫です、私たちは上手くやっていますから」と笑顔で即答されました。今の子どもたちであれば、ああだこうだと苦情を伝えてくるかもしれないと思います。人との関わり方のスキルも、教師に対する気持ちも、大きく変わってきたのだなと感じずにはいられません。

 保護者の方との思い出もたくさんあります。私が若くて未熟であっても、「半分いいところがあるなら合格」というような、おおらかな気持ちで見守ってくれたということです。心配なことがあったとしても、「こういうことがあったのですが、先生はどう考えたのですか」というように、質問の形で話される方が多かったように思います。また、授業参観や運動会などの行事の翌日には、感謝の手紙を何通もいただきました。残念なことに、最近は批評のような内容を多く目にします。

 このような例を書くまでもなく、人との関わり方や善悪の判断などに関して、このままでいいのだろうかと思うのは、私だけではないと思います。しかし、時代の変化を感じ、現場に疑問をもちながらも、自ら道徳に関わろうとする気持ちは、なかなか生まれてきませんでした。

 私の気持ちが大きく変化したのは、道徳がよりよく生きるために必要だとわかったからです。子ども達が、長い人生を自分らしく幸せに生きていくことができるような土台を作ることができるというなら、もっと積極的に道徳に関わろうと思ったのです。そして、今の社会を、少しでも良くしていく子どもを育てることができるのなら、勉強を続けようと思いました。

 学校という場は、国語や算数などの教科を学ぶだけではなく、人としての生き方を学ぶところでもあります。保護者の多くがテストの点数ばかりに目がいき、我が子が人と上手く関わっているのかとか、きちんとした判断をしていくことができる人間に育とうとしているかということに価値観を置かなくなったとしても、学校教育は軸をブレさせてはならないのです。

 そのような中で、ここ何ヶ月もの間、多くの本屋さんの店頭で、「君たちはどう生きるか」(初版 新潮社 1937年)という本が目につく場所に並んでいることに気付きました。聞くと、古い本が漫画として再販されたので、注目を集めているということでした。しかし長い時間、それを手に取ることはありませんでした。売れるとわかると、こうやって様々な出版社が出版するのだなと、いらぬ勘ぐりをしていたのです。ところが、同僚から借りるチャンスが巡ってきて、やっと自分でも手にすることができました。そして、読んでみて、とても驚かされました。

 

 私が最も心惹かれた部分を引用します。引用にあたっては、岩波文庫を使用しています。コペルくんは15歳で、彼の若いおじさんが思いをノートに記載して、コペル君に話して聞かせる形というをとっています。

 「君は、小学校以来、学校の修身で、もうたくさんのことを学んで来ているね。人間としてどういうことを守らねばならないか、ということについてなら、君だって、ずいぶん多くの知識をもっている。(中略)

 もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれた通りに行動し、教えられた通りに生きてゆこうとするならば、ーコペル君、いいか、ー それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。子供のうちはそれでいい。しかし、もう君の年になると、それだけじゃあダメなんだ。肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断をしてゆくときにも、また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、いつでも、君の胸からわき出て来るいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。」

 道徳が特別の教科となり、その改革が叫ばれているのは、道徳的価値観を自分の気持ちに沿って育んでいかなければならないことを重視しているからだと思います。善悪を教え込むのではなく、またスキルをパターンやマニュアルとして教えるだけではなく、その先に自分の心と向き合いつつ自分で判断して行動していくことこそが大切なのだろうと思います。

 最後になりましたが、ひとことお礼申し上げます。今月で教育つれづれ日誌のご担当が変更になるということを知りました。私は、自分の文章の一番の理解者であり、一番に読んでもらうことのできる担当の方が変わると聞き、とても驚くと共に、残念な気持ちでいっぱいです。長きに渡ってこのコーナーに投稿し続けてこられたのも、ご担当の愛情あふれる感想を寄せていただいたことが大きかったと思っています。大変お世話になり、ありがとうございました。私自身も、今後のことを考えていかねばならないと思いますが、人生の許す限り、子どもたちのために情報を配信していきたいと思っています。ありがとうございました。

 

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)

特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com

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