若い先生たちに伝えたいこと「学校教育や授業のあり方」(NO.9)
入学式や始業式が終わって1か月あまり。ゴールデンウィークでゆっくり休んで、「さあこれから!」という時期に入りました。
そこで、この時期だからこそ、改めて学校教育や授業のあり方について考えてみたいと思います。
特定非営利活動法人TISEC 理事 荒畑 美貴子
とある教室の風景
最初に、これから例として挙げる教師像は、特定の人物を指し示しているわけではないことをお断りしておきます。
さて、ある教師は事細かに子どもたちに指示を出し、自分の思い通りに学校生活を作り上げようとします。姿勢、声の出し方、話し方、ノートの提出の仕方、忘れ物をしたときの申告の仕方等々を、叱責を伴いながら教え込もうとします。子どもたちは教師の思いに応えようと、必死で行動します。
確かに、入学後に子どもたちが学校生活に慣れるためには、教師はこれらのことをひとつひとつ教えていく必要があります。2年生、3年生になっても、お便りなどのプリントを丁寧に畳めない子どもや、ファイルや袋に仕舞えない子どもを見ているので、基本的な生活の習慣を身に付けさせることは、学校教育のひとつの側面であると思います。しかし、叱責が怖いからという理由で子どもが動いた場合、それは教育といえるのでしょうか? また、効率がいいからと、知識を丸暗記させたり解き方のコツを教え込んだりすることが、教育といえるのでしょうか?
もうひとつの例です。その教師は授業中に自分が説明しているタイミングであっても、子どもが「消しゴムがない」と言うと丁寧に対応します。「この問題が分からない」と言うと、側にいって教えます。待たされている子どもたちは飽きてしまって騒ぎ始めます。
もちろん、子どもが困っていれば、教師は支援しなければなりません。しかし、個別指導の塾ではないので、教師は子どもたち全体の動きをコーディネートしていく必要があります。待たされる多くの子どもたちは、授業が中断されてしまうことで、身に付けるべき学力が十分な水準に達しないかもしれない危険性があるからです。
教師が悩まされる矛盾
この2人の例は、極端に描かれたものと思われるかもしれません。しかし、私たち教師の多くは、これらの例に表れている矛盾に、日ごろから悩まされているように思います。より良い教育を行おうと思ったとしても、短時間で多くの知識を教え込むには、強制や管理する力を全部取っ払うことは不可能だからです。また、発達に偏りがあったり困難さがあったりする子どもたちの場合、「ちょっと待っていてね」という声掛けが逆効果になることもあり得るからです。授業を中断することを避けたいと思っていても、対応を余儀なくされることもあるのです。
つまり私たち教師の多くは、この状況の中でバランスを取りながら学校教育と向き合っているのですが、その矛盾を小さくするコツはないのでしょうか。
より良い教育とは
最も重要なポイントは、言うまでもなく、子どもたちが自ら学ぼうとする力を活用することです。楽しい授業、ユーモアのセンスのある話し方をすることで、子どもたちは学ぶことに魅力を感じるようになります。その際、子どもが自分の思ったような道筋で考えていないとしても、それを認めていく余裕をもつことも大切です。自分も相手も同じ人間ではないのですから、全てを思い通りに支配しようとするなら、それは教育とは言えません。
子どもたち一人一人が、アイデンティティを確立し、自分の想像力や思考力を駆使して学ぼうとする姿勢を育てることができれば、上記の矛盾をごく小さいものにすることができるかもしれません。そして、教師自信が学び続けようとする気持ちを失わず、より良い教育とは何かを考え続けることが、道を開いてくれるのではないでしょうか。

荒畑 美貴子(あらはた みきこ)
特定非営利活動法人TISEC 理事
NPO法人を立ち上げ、若手教師の育成と、発達障害などを抱えている子どもたちの支援を行っています。http://www.tisec-yunagi.com
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