2020.02.18
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本質は何か?を考えて ~陰に陽に 及ばず乍ら助太刀を~(第8回)

私の連載もあと2回となりました。今回は先輩の先生との会話から。

ちょっとしたボヤキなのですが、その中には考えなければならないポイントがいっぱいありました。

苦言になるかもしれませんが、みなさんも教材研究をする上で、考えるヒントになればと思います。

熊本市立龍田小学校 教諭 笹原 信二

問題点はどこに?

先輩がお孫さんの授業参観に行かれたそうです。お孫さんは小学校1年生。
私は授業を見ていませんし、内容も詳しくわからないので、聞いた話だけですが、概略としては以下のような内容でした。

「グループに1台タブレットが配られていた。1グループは4人。内容は、教室の外にある自然(花等)を撮影してくる学習。1人がタブレットで撮影している間、他の3人はほかのことをしていた。次の子どもが撮影するときも同様。トラブルはなかった。教室に帰って、4枚の写真をもとにして、話し合いが始まった」

この授業についての先輩のボヤキはどんなことでしょうか?
これを、若い先生方との学習会の話題にしました。いくつかの問題点が出ました(「自然を撮影するという指示が明確ではない」も出ましたが、本来は明確な指示があったものと推察します)。

いくつかの問題点をペアで考えた後「一番大きな問題は?」とたずねてみました。大きく2つにわかれました。

タブレットは有効なアウトプットの手段です

1つはタブレットの問題です。そこにある花ならば、タブレットで撮影するのではなく、その場で、においをかぐ、さわることができるものならさわってみる、話題にするなど、その場で話し合いをすれば、というものです。

タブレットは大変有効なアウトプットの手段だと思います。一気に様々な、入手困難な情報を得ることができます。しかし、今回の「そこにある花」の場合は、においであるとか、質感・量感のようなものがタブレットでの映像では伝わりません。

せっかくの有効な手段がうまく利用されているとは言えないですね。しかし、最近、この類の授業って多くなっていませんか?

本質は何かを常に考えて

もう1つは、1年生という発達段階です。タブレットなので、数の問題など事情があったかもしれませんが、せめてペアで1台は必要というものでした。その通りだと思います。加えて言うならば「1年生のグループ活動」です。

1年生の話し合いは、先生対全体から始まって、先生対個人に広がり、だんだんと子どもたちのペアでの対話が始めていく、というのがだいたいの進め方かと思います。この学習が10月ごろだったとすると、グループ活動はどうだったのか?少なくとも4枚の写真をそれぞれがもってきて、それについて話し合いを始める、というのは難しいでしょう。

なぜここでタブレット?なぜグループ?1つ1つの活動や道具には根拠が必要です(この授業を見たわけではないので、もちろん根拠があったと思います)。

先輩は「1年生がタブレットを使っている」もぼやかれていましたが、それは時代錯誤かな(笑)。ただ、私たちの年代では「タブレットにたよるから書く力が下がっている」とか「読むことや書くことをめんどうがる」等、問題点を指摘する声があるのも事実です。

その他、教材研究のあり方とか、発問の仕方など、様々な問題を含むと思います。ここでペアの話し合いにするのは?ここでノートではなくタブレットにするのは?本質的な問いを繰り返していくことで、レベルが上がっていくと思うのです。

特にタブレットは有効な学習の手段で、今後の可能性が大きく広がる道具です。間違っても、質感や量感を失わせていく道具や、人間関係を希薄にしていく道具や、教材研究が安易に楽になる道具と考えてはいけないですよ。
本質を見失わないように!

笹原 信二(ささはら しんじ)

熊本市立龍田小学校 教諭
37年の教師人生を終えたが、もう少し学びたく再任用の道を選択。過去の経験を生かしつつ、新しいことにもチャレンジしていきたい。

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