2022.03.03
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震災を知らない世代に向けた授業の実践(5) ~被災地を取材した記者の授業(さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さん)

2011年に発生した東日本大震災から、今年で11年を迎えます。
今の小学生たちには東日本大震災の記憶はほぼありません。東日本大震災後に生まれた子どもたちに向けて、震災の恐ろしさや防災の大切さについて伝える授業を、さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さんが連載形式で紹介します。
第5回では、被災地を取材した新聞記者をゲストとして招いた特別授業についてリポートします。

新聞記者から話を聞く意義

ゲストティーチャーの新聞記者が書いた記事の掲示

これまでの学習で、児童は東日本大震災がどのような震災であったのかを詳しく学習しました。また、家族や担任から当時の様子についての話も聞き、被災地の様子に関心をもちました。さらに、被災地で語り部をして震災を伝承している方の話を聞き、震災を身近なものとして感じるようにもなりました。

毎年、震災を取り上げた授業を行う際には、被災地を取材した新聞記者をゲストとして招き、特別授業をしてもらっています。それは、普段から児童が新聞を使って、震災を学んでいるからです。児童は被災地の語り部の方について紹介された新聞記事をたくさん読みました。その中で、被災地の方々の気持ちは断片的にではありますが、知ることができました。そこで、今度は、記事を書いた記者の話を聞くことで、記者の視点から震災を捉えることができると考えました。

今回ゲストとして来ていただいたのは、産経新聞社編集局社会部(元東北総局)の塔野岡剛(とうのおかつよし)記者です。塔野岡記者は、主に宮城県仙台市で事件や事故、そして東日本大震災の被災地の取材を担当されてきました。現在は東京本社で裁判関係を担当されています。東北総局時代に東日本大震災の被災地の方たちをたくさん取材されました。

その中に、授業で紹介した名取市閖上の丹野祐子さんも含まれています。丹野さんについて、児童は新聞記事を通して、丹野さんがどんな被害にあわれたのか、そして現在どんな気持ちで語り部をしているのかを学習しました。そこで、塔野岡記者に丹野さんを取材したことについて児童に話をしてもらうことにしました。児童は、自分たちが読んで学んだ記事を実際に書いた記者の話が聞けるので大変喜んでいました。

名取市閖上での取材についての話

児童に話をする塔野岡剛記者

児童も2学期に新聞記事などを通して学習した、名取市閖上の震災語り部丹野祐子さんを、塔野岡記者が取材したときのお話を聞きました。
丹野さんは、震災当時、公民館で長女の卒業式後の謝恩会を行っていました。その時、息子さんは外で友達とサッカーをして遊んでいました。大変大きな地震があった後も、「津波は来ないだろう」と思っていたそうです。周りの方たちも安心していたところに大津波が襲いました。慌てて公民館の二階に避難しながら息子さんの姿を探しましたが、見つかりませんでした。息子さんは津波を避けて中学校に逃げている途中で津波に飲み込まれてしまったそうです。丹野さんは、その後、遺族会を立ち上げ、閖上で語り部活動を行っています。

児童は、丹野さんについて大まかなことは知っています。しかし、記者が取材を通して知ったことを詳しく話してくれたので、これまで読んだ新聞記事ではわからなかったことも知ることができました。

「震災後、閖上で亡くなった方の幽霊が出るという噂が立った。丹野さんは息子さんの幽霊に会いたくて、夜の閖上の町を歩き回った」

そのようなエピソードを聞いて、子どもたちはどれだけ丹野さんの悲しみが大きかったのか、そして息子さんへの愛情が深かったのかに気づくことができました。児童が家族にインタビューをした際も、保護者はみんな自分の家族(特に子ども)のことを心配していました。そのことも重なり、自分たちの保護者の思いの中にも丹野さんと同じ気持ちがあることに気が付きました。

記者からは、丹野さんだけでなく、そのほかにも取材をした被災地の方について紹介していただきました。児童の中で、さらに東日本大震災が自分事としてとらえられるようになってきたと思います。

記者の思いを知ることで

塔野岡記者の記事を読む児童

 被災地の取材について、そして閖上の丹野祐子さんの記事について紹介した後に、塔野岡記者は記者としての思いを語りました。
それは、

「『知らない』とはとても怖いこと」
「震災のことを忘れてはいけないこと」
「3.11に震災のことを思い出してみよう」

ということです。
特に塔野岡記者自身も被災地を取材するまで、震災の怖さや被害の大きさ、そして被災地の方々の思いを知ることはできなかったと話していました。子どもたちにも震災を知ることで自分の命を守り、そしてそれをみんなに伝えていく必要があると語ってくれました。

塔野岡記者の話を聞いて、児童はこれまで以上に震災について、そして防災について学習する意欲を高めることができました。そして、被災地の方の思いをさらに知りたいとも話していました。今回の記者講演で話を聞いて、これからの「地震から身を守るためには」というテーマでの調べ学習や意見文の作成への期待も持つことができました。記者からは、文章を書くコツについてもアドバイスをいただきました。子どもたちと塔野岡記者も驚くような意見文を書きたいと話しました。

次回はゲストティーチャーとして、東日本大震災当時に東松島市の小学4年生で、現在は大学生として、語り部をしている武山ひかるさんに教室に来ていただきます。今度は、当時子どもだったという視点で震災を語ってもらう予定です。児童が震災や防災への意識をさらに高めてくれるのではないかと期待しています。

文・写真:菊池健一

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