2022.02.03
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震災を知らない世代に向けた授業の実践(1) ~震災を取り上げた実践のスタート(さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さん)

2011年に発生した東日本大震災から、今年で11年を迎えます。
今の小学生たちには東日本大震災の記憶はほぼありません。東日本大震災後に生まれた子どもたちに向けて、震災の恐ろしさや防災の大切さについて伝える授業を、さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さんが連載形式で紹介します。
第1回では、子どもたちにどのように関心を持たせるかについてリポートいたします。

これまでの10年間の実践で…

東日本大震災から間もなく11年になります。昨年の3月には震災から10年目の節目であり、テレビや新聞でたくさんの報道があったことは記憶に新しいところです。私は震災後10年間、担当する学年の児童と震災について、そして防災について学んできました。実践では、NIE(新聞に教育を)を取り入れ、新聞記事から震災についての情報を得たり、震災を取材した記者をゲストティーチャーとして招聘して話をしてもらったりしました。それらの活動から、児童は震災を自分事としてとらえ、主体的に防災について学ぶことができました。単に震災のことを知るだけでなく、教科の学習としても力を入れ、児童は地震から身を守る方法を考えて新聞にまとめたり、文章にまとめたりしてきました。

今年指導する3年生の児童は東日本大震災後の生まれになります。私自身東日本大震災を経験していない児童に防災教育をするのは初めてです。もちろん、東日本大震災後も熊本地震など多くの災害がありました。しかし、東日本大震災を知ることは、これからの防災を考えるうえで大切なことだと考えています。児童にはまず、東日本大震災で何があったのかに関心をもってもらうことから始めました。

初めて、東日本大震災を知らない子たちとの学びを

震災遺構となった大川小学校校舎

学習計画を立てるにあたってはまず、教科横断的な学習を心がけました。震災や防災について学びを深めることは大切ですが、子どもたちを取り巻く課題はそれだけではありません。また、教科などの学習のボリュームも多いので、震災の学習だけに多くの時間を割くことはできません。そこで既存の教科の学習を生かすことにしました。中心としたのは国語です。3年生の国語科では自分の意見を書く学習があり、段落相互のつながりを考えながら文章を書く能力を身につけます。そこで、取り上げる言語活動を「地震から身を守るためにできること」についての意見文を書くことにしました。そして、そのために特別活動の学級指導や社会科の地域の安全を守る取り組みの発展学習として、さらには道徳で被災地の人々を取り上げた資料を活用しながら震災について学ぶこととしました。

担当する子どもたちは東日本大震災後に生まれた子どもたちです。そこで、子どもたちが震災を自分事としてとらえられるようにする工夫をしたいと考えました。具体的には「人」にスポットを当てることです。夏休みに被災地である宮城県に取材に行き、現地で語り部として活躍されている方から話を伺ってきました。そして、私自身被災地の現在の様子を見てきました。現地での教材研究からスタートです。

お話を伺ったのは、石巻市の鈴木典行さんです。鈴木さんは津波の事故で甚大な被害が出た旧大川小学校でお子さんを亡くされました。その後、毎週のように大川小学校の元校舎で語り部活動をしています。昨夏に行われた東京2020オリンピック・パラリンピックでは聖火ランナーを務め、亡くなった娘の真衣さんの名札と一緒に走りました。鈴木さんから当時のことや現在の思いなどを伺ってきました。大川小学校で大きな被害を出してしまった反省から「子どもたちには『災害があったときには逃げないと死んでしまうんだよ』と強く話している」というお話をしていただきました。鈴木さんと一緒に、もし大川小学校の子どもたちが避難していたら助かっていたといわれる学校の裏山にのぼってきました。震災遺構となった大川小学校の校舎を眺めながら、今回の子どもたちとの学びの中で震災があったときの対処の仕方を身につけさせたいと強く感じました。

名取市震災メモリアル公園に保存された閖上小学校前歩道橋。多くの人が避難して命を救われました。

また、同じく宮城県の名取市閖上の丹野祐子さんを訪ねました。
閖上も津波で壊滅的な被害を受けました。
町の慰霊碑の近くには、当時多くの人が避難をした歩道橋が保存されていました。
歩道橋の状況を見て、当時の津波の強さを知ることができました。
丹野さんも津波の被害で当時中学生だった息子さんを亡くされました。
現在は遺族会の代表として語り部活動をされています。
丹野さんからも当時の様子や現在の思いを聞くことができました。
当時は町まで津波が来るとは思わなかったこと、防災無線が鳴らなかったこと、津波が来た時のことなどいろんな話を伺いました。

丹野さんたち遺族会が建てた慰霊碑

そして、「まちはどんどん復興していくけれど、遺族には復興はあり得ない」というお話に一番感銘を受けました。
どうして、丹野さんが語り部としてたくさんの人に経験を語っているのかが分かる気がしました。
丹野さんとのお話から、家族や友達とのきずなの大切さをこの学習を通して感じさせたいと感じました。

これから一緒に学んでいく子どもたちには、まず被災地の人の思いを知ることからスタートしたいと思いました。

実践のスタート

亡くなった息子さんの部屋に収納された漫画雑誌

被災地で取材をしてきたことを生かし、子どもたちに被災地の様子と被災地で語り部をしている2人の方たちの紹介を行いました。授業時間は使わずに、業前の時間を活用することにしました。また、紹介をする2人の方を取り上げた新聞記事を活用し、児童がさらに関心をもてるようにしました。

最初に取り上げた、名取市の丹野さんは、津波で亡くされた息子さんの好きだった「週刊少年ジャンプ」を毎週購入して新しく建てた自宅の息子さんの部屋に収納しています。生きていれば息子さんはもう成人していますが、それでも雑誌の購入を続けていらっしゃいます。このことを取り上げた新聞記事を子どもたちと読み、私が丹野さんから聞いてきた話をしました。
子どもたちに「どうして、丹野さんはジャンプを買い続けているのかな?」と問いました。

子どもたちは、
「丹野さんにとって、ジャンプを買うことが息子の公太さんを忘れないでいるということだと思う」
「ずっと息子さんを忘れないためだと思う」
「息子の公太さんが今でも大好きだからだと思う」と、3年生なりの考えを発表していました。
被災地には家族や大切な人を亡くした人が丹野さん以外にもたくさんいることを改めて意識できました。児童の被災地の人たちのことをもっとよく知りたいという気持ちが高まってきました。

鈴木さんとのぼった学校の裏山

 次に取り上げたのは、大川小学校の児童の保護者であり、大川伝承の会共同代表の鈴木さんです。聖火ランナーとして娘の真衣さんの名札と一緒に走る映像を子どもたちと視聴し、鈴木さんに関する新聞記事も読みました。そして、子どもたちに「鈴木さんはどうして聖火ランナーになったのかな?」と問いました。

子どもたちは、
「きっと、娘の真衣さんにメッセージを届けたかったのだと思う」
「世界中の人たちに大川小学校のことを知ってほしいと思ったのだと思う」
「東日本大震災のことをみんなに忘れてほしくないと思ったのではないかな」など、いろんな意見が出ました。
鈴木さんや大川小学校のことを知ることで、子どもたちは防災の必要性についても理解できました。

これからスタートする震災を取り上げた取り組みのプロローグとして、被災地で語り部をされている2人の方に登場いただきました。今回の実践ではたくさんの人を通して、子どもたちが震災について、防災について学べるようにしていきたいと考えています。

文・写真:菊池健一

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