どうも、今村です。
先日、トマトジュースを飲んだんです。すごく美味しくて。そしたら、それは濃縮還元ではなくストレート果汁のジュースでした。
トマトジュースを味わいながら、これってなんか教育の話に繋がりそうだな、と思って頭の片隅で考えていたことをとりあえず形にしてみたのが今回の文章です。
ドリンクバーの思い出
ファミレスのドリンクバーの機械、あるじゃないですか。「100%オレンジジュース」を飲もうと思ってボタンを押したら、注ぎ口から細くオレンジジュースの線と水の線、2本の筋が出てきてコップに入っていきますよね?あれ、衝撃を受けた記憶があります。
「え、水が入ったら果汁100%じゃなくない?だって水入っちゃってるんだよ?」
そのような疑問を抑えきれず、僕は出てくる液体の筋2本のうち、水の筋をなんとか避けるコップの角度を考えだし、オレンジジュースの筋だけをコップに溜めたことあります。(それやったことあるの僕だけですか?)
で、それを飲んだらすごく酸っぱかった。
僕は多分あそこで「濃縮還元」という概念を獲得しました。
濃縮還元果汁とは、一度果汁を加熱したり冷凍したりして水分を飛ばし、体積を減らし濃縮したペーストに、再び水を加えて元の濃度に戻したもののこと。また、濃縮する過程で失われた香りや甘みなどを補うために香料や砂糖が加えられることもある。体積を減らすことで運送コストの削減になったり、糖分の割合が高くなることで腐敗のリスクが軽減できるので、海外からの輸入などの際便利なのだそうだ。(僕がドリンクバーでやったことは、水が加えられて初めて適切な濃度になる濃いペーストだけをコップに入れる、ということだったわけだ。濃度で言えば200%果汁くらいだったのかもしれない)
一方、ストレート果汁というのは果実を絞った果汁そのものである。濃縮したり希釈したり添加したりということがない。そのままの果汁というということになる。
当然と言えば当然なのかもしれないが、飲んでみればストレート果汁の方が美味しい。(ただ、じゃあ世の中のジュース全てがストレート果汁になればいい、と言われてもそう話は簡単じゃないのだろう)
水の方の一筋
さて、私はこのジュースの話と教育の話って、一見全く関わりのないものに思われるけれど、繋げて考えてみると面白いんじゃないかな、と思ったのである。
教育におけるストレート果汁とは何かについて考えてみよう。
教師が言ったことをそのままストレートに子どもが受け取る。そのままの味わいを子どもが100%受け取る。そんな感じだろうか。
では、教育における濃縮還元って何だろう。
教師の言葉が濃縮されたペーストだとして、それを受け止めた子どもが自分の言葉や考えで希釈していく。それは「そっくりそのまま受け止める」という事とは様子が異なる。正確に伝わっていないようにも思える。Aさん、Bさん、Cさんで希釈の仕方が違うから、それぞれが違う味わいになるかもしれない。
じゃあやっぱり、教育においてもストレート果汁の方が美味しく、「いいもの」だと言えるのだろうか。
そうも言えないんじゃないだろうか、僕は考えている。
ストレート果汁の教育で、AさんもBさんもCさんも教師の言った通りにするっていうことは、本当にいいことだと言えるんだろうか?
もしそれがいいことだとしたら、そこで是とされるのは教師が言ったことをできる限り正確にトレースできる能力ということになるだろう。でも、そうなると我々は、機械や人工知能にはとても太刀打ちできなくなってしまう。
ペーストを、自分で希釈する。時に元の風味や価値が失われたりして、自分でなんとかそれを再現しようとする。それで、頓珍漢な風味が生まれることもあるかもしれない。そういう子どもたちは、そっくりそのまま教師の言うことを聞く、というわけにはいかないだろう。当然、味わいにバラツキが生まれる。
僕は、教育の面白さや可能性って、濃縮還元のようなプロセスにあるのではないかと思う。ペーストを用意する側としても予想外の希釈のされ方をしたりするから、「ペーストを用意して終わり」ではなく、受け取る相手のことをできるだけ理解しようと努力し続けるのかもしれない。
僕があのとき捨ててしまった、ドリンクバーの「水の方の一筋」があるからこそ、教育というものは面白いのかもしれません。
今村 行(いまむら すすむ)
東京学芸大学附属大泉小学校 教諭
東京都板橋区立紅梅小学校で5年勤めた後、
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