探究を探究する~総合的な学習の時間から考える(vol.1)
今回は、探究について、今私が思っていることを書かせていただきます。
総合的な学習の時間では、日本全国で探究的な学習として進められています。
今、私が思っていること、それは、探究的な学習と探究という言葉が同じように語られている現状に違和感があることです。
そんな探究と探究的な学習について、私が今、思っていることや感じていることを書きたいと思います。
兵庫教育大学附属小学校 箱根 正斉
総合的な学習の時間の魅力
まず、はじめに総合的な学習の時間の魅力について書きます。
そもそも、私が総合的な学習の時間が好きな理由。それは、子どもといっしょに内容を考えられるということです。私は、小さい頃から人に決められるのが嫌いでした。
「なぜ勉強をしないといけないのか」「なぜ、それをやらないといけないのか」「何の役に立つのか」いつもこんなことを考えていました。それは、教師になってからも同じでした。
「なんで教えないといけないのか」「なぜ、それをやらないといけないのか」と思うこともありました。そうしたときに、いつも立ち返るのが、子どものためになるかどうか、という視点です。
子どものためになることなら進んでやる。子どものためにならないことなのに、なぜそれをするのか。しかし、やらないといけないものはあります。そんなふうにいつも考えています。そんな中でも、総合的な学習の時間は私にとっては、とっても良い。
教科書がなくて、子どものやりたいこと、教師のやりたいことを存分にできる。そんな楽しい事はないからです。ましてや、それがその個のくらしとなり、生活となり、教科の学びともつながるのです。自分のくらしは、自分で創る。よりよくする。そんな総合的な学習の時間が大好きです。
探究
私は、そんな総合的な学習の時間における子どもの学びから、探究について考えるようになりました。最近は、この探究的な学習の過程が出たことで、型通りになぞって行い、探究を名乗る実践が散見されます。私もこの探究的な学習の過程になぞって、実践発表を行ってきた一人です。
こうした現状で私は最近ふと、「探究的な学習が探究と言えるのか」と考えるようになったのです。探究について、いろいろな人の話を聞いたり、さまざまな本や論文を読んだりしながら、私は今、探究を探究しています。
そこで、最近考えているのは、二つの探究についてです。一つは、教科における探究、もう一つは総合的な学習の時間の探究です。この二つの探究について今私が考えていることを今回は、書きたいと思います。
(1)教科における探究
一般的に実践されている探究的な学習は、探究の一つの型と言えると思います。しかし、多くの総合的な学習の時間における探究的な学習は、真に探究する学びと言えるにふさわしい域にまで届いているのでしょうか。
自分の実践した内容を振り返ってみても、教師がもってきた探究課題に迫る学習なのです。この探究的な学習は、主として、教師の願いから子どもの発想や想定を考え、実現に迫る。
そのため、教師の意図や指導とずれにくいもので、ある程度の学びを目指すことができます。教師が学習をガイドするため、目指す学習内容とずれないということは、一定の学びの質を担保できるという面では、とても良い方法だと思います。
私は、このような探究的な学習は、総合的な学習の時間以外の教科の学習においても実現が可能だと考えます。理科なら共通性や多様性といった概念的な知識を中核に据えて、教科の時間に探究的な学習に迫ることで探究することが可能だと思います。教科を教科らしく、その教科の見方・考え方を働かせて、より汎用的な概念的知識の獲得を目指して実践に取り組むことができると思います。
また、教科を実生活の場面に活用できるように、教科を生活に近づけ、より汎用的な知識や概念の獲得に迫るようにすると、よりダイナミックに子どもの学びを展開することができるのではないかと考えています。
(2)総合的な学習の時間における探究
次に、総合的な学習の時間における探究について考えます。総合的な学習の時間における探究は、子どもたちのくらし、生活から課題を見つけ、学びを自分たちでつくるように進め、学びを子どもとともにつくるということを考えています。
子どもの興味、関心によって、やりたいことや、ワクワクすること、自分が成長できるもの、仲間と実現できるもの、仲間とよりよく生活できるもの、仲間と互いに伸び合えるもの、こういったものを出し合い、子どもたちの思いを膨らませ、よりよい願いの実現に向けて存分に活動を進めるようにするのです。
その思いを実現しようと活動する中でその思いを妨げる障壁に出会い、問題を解決し実現していく。さらに思いが膨らみ、願いを太らせ、自らの学びを太らせ、大きくなり、子どもの育ちとして生まれてくる。
その育ちから学びを見取り、自己の成長、ゆくゆくは、夢、生き方にまでつなげていくことを実践したいと考えています。これは、総合的な学習の時間にある探究的な学習の過程やデザイン思考などのプロセスたどることも結果として出てくるでしょう。しかし、あくまで教師がガイドやお膳立てするのではなく、材から内容まで子どもが自分たちで決めるということが重要だと考えています。
私がめざす今年の総合的な学習の時間
今年、私は子どもたちのくらし、身近な生活から、単元を立ち上げるようにしました。自分たちがやりたいことを出し合い、何をするかを決めていく。教師がやりたい方向にガイドするのではなく、子どもたちが自分たちの興味・関心から決めていく。
それは、多数決ではなく、本気の合意形成から自分たちで決めて進めていく。そんな時間にしたいと考えています。
その個の感じ方、見方、考え方は、千差万別です。互いに違うけれど、それぞれのやりたいことを尊重し合い、互いの良いところを合わせた答えを見つけていくように、教師は関わりたいと考えています。
どこに行くかわからない。けれど、子どもたちの活動には必ず価値がある意味があるそう信じながら、子どもたちとともに、自分たちのくらしを作っていくことに喜びを感じることができると考えています。
これからまたどうなるか分かりません。
答えが決まっていたら面白くない。
答えを自分たちで見つけるから面白い。
それは、大人からみると、答えじゃないかもしれません。しかし、子ども、その個の論理はそこにあるのです。
わかったことがわからなくなる。わからなかったことが少しだけわかる。楽しい。いや、気になって仕方がない。そんな心の動きから、個の思いが膨らみ、探究が生まれるのではないでしょうか。子どもと楽しむ中で、活動の少し先を見据えて実践していきたいと思います。
次回は、実践について子どもの姿を紹介したいと思います。
※文中に出てくる「個」という表現は、そこにいる子どものことを指します。その場にいるのは、その子だけなので、個という表現を使っています。

箱根 正斉(はこね まさなり)
兵庫教育大学附属小学校
個がくらしを見つめ、その個が育つことを考えて実践に取り組んでいます。個が立ち、協働し、探究する。個がくらしをつくり、個が生きる。
生活科・総合的な学習の時間を中心として、その個が自分の思いを膨らませながら、自らの願いを実現し、自己実現を更新していく。
そんな個の育ちを目指して実践しています。
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