2026.02.21
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「特別支援」と「通常級の特別支援」は全く違う 教師のありようから考える学級づくり編(2)

最近、いろんな自治体で先生方にお話しする機会をいただくのですが、どこへ行っても強く感じるのは、先生方が「通常級の特別支援」に本当に苦労なさっているんだなあ......ということ。とくに、ほかの子に害を与えたり、授業妨害したりする子をどうすればいいのか、頭を痛めておられる。
「特別支援」の専門家は、その子本人の支援について「こうすればいい」「ああすればいい」って教えてくれるけれど、通常級の担任にとっては、その子は30人前後の子どもたちのなかの1人。彼らのアドバイス通りに、その子だけに注力して丁寧に対応することなんてなかなかできない。
そうしたいのはやまやまだけれど、学級全体の運営があって、その中で、その子と周りとの関係性があって、ほかにも気になる子がいて、それから手のかからない子だって同じように大切にしたい、となると、......悩ましいですよね。

東京都内公立学校教諭 林 真未

教師がどう「いる」か、どう動くかを考える

そう、「特別支援」と「通常級の特別支援」は全く違うんです。私は先生方にそれを強く伝えたい。 そして、なんとか皆さんのお役に立ちたい。
というわけで、恥を忍んでここに私の「通常級の特別支援」の悪戦苦闘ぶりを公開します。

前回、「特別支援」と「通常級の特別支援」は全く違う(1)では、「通常級の特別支援」の土台となる学級づくりについて考えました。
これは、いわば場あるいは環境の設定。恒常的なものを整えた感じです。
今回はその状況の中で、教師がどう”いる”か、どう動くかについて考えます。

機嫌よくいることが学級の土台になる

毎日毎日、そんなに機嫌よくしてばかりはいられない。
というつぶやきが聞こえた気がします(笑)。
それはもちろんそうなのですが、実態がどうであれ、理想として、これははずせない。
実は最近、プライベートでいろいろあってイライラしていることがあって、気がついたら、クラスの子どもにプンプン怒っている自分がいました。すると途端にクラスの雰囲気がギスギスする。
そのことをメタ認知して、慌てて平常心を取り戻し、いつものクラスの雰囲気を取り戻しました。

先生がゴキゲンでその場にいる。
これって当たり前すぎて、あえて言うまでもないことなのですが、でもきっと、いちばんだいじ。
担任の先生のご機嫌は、子どもに少なくない影響を与えています。
だから、自分をかわいがって。
働き過ぎないことや、プライベートのQOL(クオリティオブライフ)を上げることは、自分だけのためではありません。
先生がゴキゲンでいることは、円満なクラス運営の大事な要素です。
特別支援が必要な子のいつもの行動に、ついイラっとしてしまうことも防げます。

って言われても、毎日ゴキゲンでいられるとは限らないでしょってば。
そんなときどうすればいい?
ですよね。 
私は、ゴキゲンナナメのとき、
・「今日はまずいな」とメタ認知して自分をコントロールする。
・「今日はマミ先生はゴキゲンナナメだからね!」と子どもたちにカミングアウトする。
・そして翌日、「今日は怒らないように頑張るぞー」と言って、また同じことを繰り返す……。

公平さを徹底的に保つということ

もう、これはゼッタイ!
私は細部にわたって気をつけているつもりです。
私は、子どもたちが誰もが同じように大切にされている、という感覚を持つために、公平さは必要不可欠だと思っていて、それが徹底されればされるほど、子どもたちの安心感も高まると考えているのです。
給食のおかわりはもちろんのこと、学校生活のいたるところで、公平さを担保します。

たとえば、授業や学級活動で余った紙切れ一つでも、誰かが「ほしい」と申し出たら、必ず全員に「ほかにほしい人?」と聞いて確認を取ってから渡します。
ほしい人が複数いたらじゃんけんや相談で、もらう人を決めてもらいます。
ここでは特別支援の子も同じ条件です。思いがかなわないとキレてしまうタイプだったとしても、ほかにほしい子がいたら、その子を優先しません。
泣いてもわめいても、じゃんけんで負けたらもらえません。
ここまで公平を徹底すれば、むしろ、だんだんと子どものほうが察して、キレる子に最初から譲ってくれたりもします。
 
そしてこの公平さに対する安心感があれば、子どもたちは、特別支援が必要な子が合理的配慮を受けていることも気になりません。
むしろ当然のこととして受け止めます。

大目に見ることが学級の安心感をつくる

前回、温かな学級の雰囲気を作り出すため、子ども同士がお互いを「大目に見る」こと、「赦しあう」ことがだいじと書きました。
問題行動が多い子がいる場合には、他の子どもたちにそうしてもらわなければやっていけません。
そのために、まず先生が「大目に見る」お手本を見せなきゃな、と思っています。
忘れ物や給食の残しなど、さまざまな学校生活の場面で、私は「大目に見る」を実践しています。
子どもをより高みに導くという観点からは、指導すべきところは指導すべきですから、ここはご意見が分かれるところかもしれません。
実際には、私も「大目に見る」一辺倒ではなく、その子によって対応を変えてはいます。「大目に見て」いたら始まらない、なんて子も中にはいますから、厳しく指導することもあります。
ただ、おそらく先生方の平均的なラインよりは、だいぶ「大目に見て」いるのではないかなあ。

民主的でありながら上下関係を保つ

これはなかなかニュアンスが伝わるのが難しいとは思うのですが。
専制的な上下関係は絶対ダメなんですけど、上下関係がないのも、絶対ダメだと思うのです。

子どもは、なにかあれば助けてくれる大きな力に包まれてこそ、安心して成長できると私は思います。そのためには、それを自分より偉大な存在として身近に感じることが必要。
だから上下関係なんです。命令を出す聞くの上下関係ではなく。
先生が上=横暴が許される、ではありません。
上下関係と民主的であることは、両立します。
民主的というのは、具体的には、いつも丁寧に話を聞くこと、これに尽きます。
 
また、発達障害のある子にとっては、上下関係は人間関係を理解するための目安になることがあります。
いわば動物的な嗅覚で、自分より上とみなした相手の言うことは聞くという行動パターンの子をクラスに抱えているのであれば、技巧的な意味でも上下関係は不可欠です。
上下関係があって、しかも民主的な学級運営がなされていれば、定型発達の子も安心して過ごせるように思います。

最後に、自己覚知について

「自己覚知」というのは主に福祉の世界で使われている言葉で、対人援助職には不可欠の概念です。
ちなみにAIの解説はこんな感じ。
「自分の感情や思考を認識し、無意識的な偏見を避けること」
教師にとって最も大切なのは、まさにこの点です。

これがどういうことかというと。
たとえば、同じ子について、どういう子なのかを、A先生、B先生、C先生に聞いたとき、それぞれ違う説明を受けた経験はありませんか。
A先生「ぬけているところもあるけど明るくていい子ですよ」
B先生「あいつはいいかげんなやつです」
C先生「悪い子じゃないけど、笑ってごまかすところがよくない」
という具合。
これは、それぞれの先生の主観や考え方、感じ方が、本人も気づかないうちに児童理解に投影されているからなんです。

自己覚知というものを知らないまま、自分がどんな考え方、どんな感じ方をする傾向があるのかを、自分自身で分かっておく作業をしていないと、こんなふうに、知らず知らずのうちに自分の主観で物事を捉えてしまいます。

自分の主観や考え方、感じ方から離れて、なるべくフラットに子どもを理解する、そう心がけることで、その子のありのままを理解することに近づけます。
とはいえ、もちろん、完全に自分の考え方感じ方から自由になることはできません。
でも、少なくとも、自分にどういう傾向があるのか、どう考えがちなのかをわかっていること、わかろうとしていることは、それをしていない状況とは全然違います。

まずは自己覚知。
これ、いちばんだいじかもしれません。

次回からは、通常級の特別支援の具体例を集めていきます。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」

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