困っている子をみんなで支える ~ 相手とやり取りする力を高め、言葉の課題をのりこえる ~(5)
発音のあやまり、言葉の遅れ、吃音。こうした言葉の困りごとを抱える子たちが、通級による指導を受けられる「ことばの教室」。
遊びや言語活動を通し、子どもたちは話す力、聞く力、相手とやり取りする力などを高めている。
ある小学校に併設する「ことばの教室」を先日参観した。その環境や指導理念に、コミュニケーションで大切にすべきものを学ぶことができた。
静岡大学大学院教育学研究科特任教授 大村 高弘
ことばの教室で高める話す力・聞く力と相手とやり取りする力
昼休みが終わる頃、校内に設けられた「ことばの教室」へと階段を登った。
職員室では3人の先生が笑顔で迎えてくれる。その横では幼児と母親がフロアーに座っておもちゃを広げている。我が子の動きを見つめほほえむ母親の姿に、ゆったりと時間が流れていくのを感じる。
個別指導が行われる部屋は、普通教室の4分の1くらいの広さ。中をのぞくとマスクを着けた低学年の子と先生が1対1で机を挟み、机上には国語の教科書が開かれている。
「ここのところ、もう一度読んでみて」
先生は笑顔で聞きながら、再度の読みをやさしく促す。
「うぅん? もう一度」
教科書の上に先生は定規を置き、音読する行を示している。正しい言葉にたどり着くのをじっくり待っているようだ。きっとこの子の能力と性格を深く知り、腑に落ちる学びが成立することを願っているのだろう。
「そう、そう! いいね」
喜ぶ先生の豊かな表情を見て、「ことばの教室」の入口に設置されたプレートの言葉を思い出した。
― わたしっていいな あなたもいいね いつも笑顔で ―
その言葉だ。青い字で強調された「いつも笑顔」。
この「ことばの教室」には、先生と母親のやさしい笑顔とゆったりした時間の流れがある。子どもの安心感と自己肯定感を高めるものだろう。
吃音があることで直面する学校生活の困りごと
吃音は、2~5歳の頃に20人に一人の子がなるという。幼児や低学年の頃には気にならない子も多いだろう。7~8割の子どもは自然に治ってしまうとされる。
学校生活では、たとえば健康観察、自己紹介、日直の号令などが子どもの困りごととなる。周囲の子に吃音をまねされたり笑われたりすることで、話せなくなってしまう子もいる。成長とともに自覚が強まり、コンプレックスとなることもある。思春期・青年期になればさらに。
数年前、ある新聞に載った記事を読んだ。
自ら望んだ看護職に就いた男性が、吃音に悩み、4カ月で命を絶ったとのショッキングな報道だった。
たとえ吃音があったとしても、話をゆっくり最後まで聞いてもらえるならば、らくに話すことができると聞く。しかし、青年期以降に出会う社会の現実は、「ことばの教室」に流れるゆったりした時間とは異なる厳しいものなのだろう。
「治そう」「軽減しよう」から受け入れへと向かう視点
日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二さんは、学童期・思春期に吃音に悩んだ当事者である。
研究会のウェブサイトに掲載された講演記録では、次のような内容が紹介されている。
小説家のデヴィッド・ミッチェル氏は、長い間、自分の吃音を敵だと考え、克服しようと戦い続けた。しかし、その戦いに疲れた末、考え方を変えたという。吃音は敵ではなく、自分の一部なのだと受け入れたとき、少しずつ話せるようになったというのである。
あるとき、吃音を「治すこと」とは異なる境地にたどり着いたという。
「私のどもりは、私の腎臓のように体の一部として私の中にいます。存在の権利があります」
苦しみ抜いたことがうかがわれる言葉だ。
「自分にはそういうところがある」と受け入れることで変わる状況
欠点や問題を否定的に見て、戦ったり逃げたりしていても改善されないが、「自分にはそういうところがある」と受け入れたとき状況は変わるようだ。
医療の専門性をもたない私たちに、子どもの治療をすることは難しい。でも、その子のものの見方や捉え方を変えていくことは、教育に携わる者が力を発揮できるところだ。「いいところも悪いところもひっくるめ、あなたは大事」との思いを、周囲の人が醸し出すことで自己肯定感は高まるだろう。学校教育全体を通じ、この環境をつくりたいものだ。
人とのかかわりの経験のなかで育つ自己肯定感と受容
参観した「ことばの教室」には教材室があった。棚にはパズル、カードゲーム、的あてなど、おもちゃがたくさん置かれている。隣のプレイルームでは、夏祭りやクリスマス会など季節に応じたイベントが行われたりもする。子ども同士の交流が大切にされる環境だ。
コミュニケーションは言葉だけで行われているのではない。子どもは体全体を使って、自分の言いたいこと、伝えたいことを表現する。言葉は、そのための道具の一つ。
この道具をマンツーマンで丁寧に指導しつつ、表現の根幹にある「ありのままに自分らしく表現する意思」を育てようとするのが「ことばの教室」のようだ。
「わたしっていいな」と自己を肯定し、「あなたもいいね」と他者を受容・共感できることが、その基盤になるのだろう。

大村 高弘(おおむら たかひろ)
静岡大学大学院教育学研究科特任教授
これまで公立小・附属小・地教委に勤務し、現在は教職大学院の実務家教員をしています。
学校を離れてみると、改めて探究したいことがふくらんできます。また学生・院生とかかわる中で、教職の魅力・やり甲斐を見つめ直せてもいます。
『教育つれづれ日誌』を読んでくださる皆さんと一緒に、子どもを中心に位置づけたよい実践はどうつくられるか、考えていきたいと思います。
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