2021.09.26
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宮城県の視察(3)

この夏休みに実施した、宮城県の被災地への視察のレポートの3回目です。
今回は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)を訪ねたことを報告します。

さいたま市立植竹小学校 教諭・NIE担当 菊池 健一

宮城県名取市・閖上へ

閖上小中学校の横に立つ慰霊碑

閖上に行ったのは、震災当時の様子を知ること、そして今の復興の様子を知ることが目的でした。また、閖上中学校遺族会の代表であり、震災の語り部として当時のことを語り続けている、丹野祐子さんにお会いして、お話をうかがうのも目的の一つでした。

丹野さんは震災があった3月11日、娘さんの卒業式の謝恩会のため、閖上の公民館にいました。その時に東日本大震災が起きました。しかし、大津波が来るとは思わなかったそうです。地震の後に、息子の公太さん(当時・閖上中学校1年生)が友達と公民館の下でサッカーをしているのを見たのが最後になったそうです。
その後大津波が閖上の町を飲み込みました。丹野さんと娘さんは公民館の2階に上り何とか助かりましたが、息子の公太さんは中学校に避難をする途中で津波に飲まれて亡くなりました。その後、丹野さんを中心に遺族会が作られ、閖上を訪れた人たちに当時のことを語っています。丹野さんは私に会う前に「息子を救えなかった母親です」とおっしゃっていました。震災から10年経って街は復興してきていても、丹野さんにとっては心の復興はあり得ないのだと思いました。

丹野さんは、公太さんが毎週楽しみにして読んでいた集英社の「週刊少年ジャンプ」を買い続け、震災後に建てられた新居の公太さんのお部屋に収納しています。今回の視察では、そのジャンプが置かれているお部屋も見せてもらいました。

語り部・丹野裕子さんとの出会い

語り部の丹野さんと待ち合わせをしたのは、閖上に新しくできた商業施設「かわまちテラス」です。ここにはたくさんの観光客も来ています。また、復興のシンボル的な施設として様々な番組などでも紹介されています。宮城県の特産品や海産物などを扱う店がたくさんできており、とてもにぎわっていました。閖上の町は、昨年に復興宣言を出し、町の人も戻ってきています。しかし、丹野さんは必ずしも復興が実現しているとは思っていらっしゃいませんでした。いや、遺族にとって、復興などないのかもしれないと感じました。

丹野さんに案内をしていただき、まずは名取市が運営する「名取市震災復興伝承館」に行きました。伝承館では、震災から復興までの道のりを解説したパネルや、復興に向けた取り組みに関する市長のメッセージ動画を視聴することができました。また、地元のプロ野球チーム・楽天ゴールデンイーグルスによる復興への応援メッセージなどが展示されていました。案内をしてくださった丹野さんは、市が「復興」ばかりを強調しており、当時の状況を伝承する意思が足りないのではないかと話していました。私自身もそう思いました。自治体と被災者の方々との考え方の違いがあることに気づきました。

次に、新しくできた名取市立閖上小中学校の校舎を見に行きました。校舎は防災施設を兼ねており、地域の方がいつでも避難できるようになっています。この学校の横に、丹野さんたち、遺族会が建てた慰霊碑があります。慰霊碑には当時中学生であった子どもたちの名前が刻まれています。丹野さんの息子さんの公太さんの名前もありました。この慰霊碑はみんなが撫でやすい形になっています。私もお花を手向けて、全員の名前を撫でさせていただきました。この慰霊碑はいつまでもこの学校の横に残ってほしいと思います。

閖上小中学校の後に、丹野さんが代表を務める遺族会が中心となって運営をしている、津波復興祈念資料館「閖上の記憶」を見学しました。ここには、当時の中学生が使っていた道具や中学校のロッカーなどがそのままの状態で展示されています。丹野さんが、子どもたちの生きた証を残したいとおっしゃっていた理由がわかったような気がします。この施設には多くの方が訪れ、丹野さんたち語り部の話に耳を傾けています。名取市が運営する伝承祈念館と違い、閖上の記憶はまさに震災当時の状況を伝えることが目的であると知らされます。そして、その当時のことをいつまでも忘れないために、丹野さん達は活動をし続けているのだと感じました。この「閖上の記憶」に教え子の子どもたちも連れてきてあげたいと思いました。

最後に、語り部である丹野さんのご自宅で、亡くなった公太さんのお部屋を見せていただきました。丹野さんは公太さんが生前好きだった、マンガ雑誌を10年間購入し続け、公太さんの部屋に収納していらっしゃいます。そのお部屋を特別に見せていただきました。本棚に並べられたマンガ雑誌を見て、10年間という時間を感じることができました。そして、丹野さんにとって毎週雑誌を買い続けることが、息子さんを思うことであるのだと感じました。丹野さんは「息子さんの声が思い出せない」とおっしゃいます。津波ですべて流されてしまった街の中で、当時のことを忘れまいとする丹野さんの姿を見ました。

今回の学びで生かせること

今回、名取市閖上を訪ね、震災当時のことを学び、現在の復興の様子を見ることができました。その中で、丹野さんをはじめ遺族の方々が、当時の記憶を後の人にも伝えていこうとしていることを知りました。今年度取り組む震災を取り上げた実践では丹野さんが掲載された新聞記事や、私が丹野さんから聞いてきたことをもとに子どもたちと、家族を失った方の気持ちを考えていこうと思っています。保護者にも協力いただき、丹野さんを取り上げた記事を読んで感想を児童に話していただこうと思っています。丹野さんのことを知ることで、児童がさらに震災を自分事としてとらえられるようにしていきます。

菊池 健一(きくち けんいち)

さいたま市立植竹小学校 教諭・NIE担当
所属校では新聞を活用した学習(NIE)を中心に研究を行う。放送大学大学院生文化科学研究科修士課程修了。日本新聞協会NIEアドバイザー、平成23年度文部科学大臣優秀教員、さいたま市優秀教員、第63回読売教育賞国語教育部門優秀賞。学びの場.com「震災を忘れない」等に寄稿。

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