2021.03.31
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心を動かす言葉との出会いをつくる ースキルは大事だけれどもー(No.1)

これまでの連載では、国語教育における単元の系統性や言語スキルを明確に整理することの大切さ、学習意欲と評価方法との関わり等についてご紹介してきました。しかし、言葉の教育とは果たしてスキルを身に付けさせるための教育で良いのでしょうか。長いこと行われてきたような文学作品を読み味わうといった情操に関わる部分を完全に切り離してしまって良いのでしょうか。今回からは、国語教育の中でも「心」に関わる部分に焦点を当ててみたいと思います。

小平市立小平第五中学校 主幹教諭 熊井 直子

理性と論理にとどまらない言葉のちから

国語の教員をしていると、よくこんな言葉に出会います。

「国語は、結局は感性だから、勉強のしようがない」

「道徳の授業と国語の授業の違いがよくわからない」

確かに後者については、道徳でも国語でも「この時の主人公の心情を考えてみよう」というような発問がなされるので「違いがよくわからない」という気持ちはよくわかります。また、前者についても「あえて国語という教科の勉強をしなくてもなんとなくテストで点がとれてしまう生徒」は存在するので、「感性」と言いたくなるのかもしれないなと思います。ただ、これまでの連載でお話してきた通り、国語の授業では、ただ漠然と「この作品の良さについて語り合いましょう」というような活動を行っているのではなく、「文章の構成を捉える」「文章の叙述から心情を捉える」と言った具体的な目標があり、学習内容の系統性を考えながら作られていくべきものなので、段階的にスキルを身に付けていくことが可能であることは事実です。ひとことで「作品の良さ」と言っても、「構成」に着目するのか「登場人物像」に着目するのかでも授業で取り上げるべき内容は異なりますし、これまでに学習した作品と比較することができる段階なのかそうではないのかで生徒の発言に求めるレベルが変わってきます。国語の授業は言語スキルを意識して組み立てられるべきであるというのが、これまでの連載で私が一貫して述べてきたことです。

しかしこうした言語スキルと共に、「言葉で表現されたものに対して感動する心」というのも大切にするべきではないか、そのためにはどうしたらいいのだろうかということもずっと考えてきました。もしも言葉が単なる「情報の伝達手段」でしかないのなら、「伝達された情報を正確に理解し」「自分の考えや知識を適切に伝える」ための技術だけを学べば良いのではないかと思います。でも実際は、言葉は単なる「情報の伝達手段」ではありません。言葉は「表現媒体」のひとつです。その表現方法は様々であり、実務的な表現から芸術的な表現まで幅広いものがあります。こうした表現を前にした時、「正確な理解」だけではとどまらない余白の部分、つまり「共感」「感動」と言った心の動きは自然と生まれるものです。そのような心の動きを大切にすることも国語の授業には必要なことなのだと考えています。

疑問をもった時にはまず学習指導要領で確認を

さて、ここまで述べてきたようなことは学習指導要領にはどのように書いてあるでしょうか。何か疑問をもった時や「もっとこうした方が良いのではないか」と感じた時、私はまず学習指導要領を開きます。なぜなら、私が考えているようなことはすでに学習指導要領により整理された形で書かれていることが多いからです。まずは自分で考え、自分の考えと学習指導要領に書かれていることを照らし合わせ、実際の実践につなげていく、そんな順番で私は単元や授業を考えています。

「中学校学習指導要領(平成29年告示)解説」には国語科の目標として次のように書かれています。

言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で正確に理解し適切に表現する脂質・能力を次のとおり育成することを目指す。

 (1)社会生活に必要な国語について、その特質を理解し適切に使うことができるようにする。

 (2)社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め、思考力や想像力を養う。

 (3)言葉がもつ価値を認識するとともに、言語感覚を豊かにし、我が国の言語文化に関わり、国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

この国語科の目標の(1)~(3)の順番は、「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力、人間性等」の順番と一致しています。このうち、私が考えている「心の動き」に関わる部分は、主に(3)の「学びに向かう力、人間性等」に関する目標と(2)の「想像力」という言葉であると言えるでしょう。

(3)の目標についての解説では、「言語感覚」を言語で理解したり表現したりする際の正誤・適否・美醜などについての感覚のことと定義し、「具体的な言語活動の中で、相手、目的や意図、場面や状況などに応じて、どのような言葉を選んで表現するのが適切であるかを直感的に判断したり、話や文章を理解する場合に、そこで使われている言葉が醸し出す味わいを感覚的に捉えたりすることができることである。」としており、「美醜」「感覚的に捉える」といった「感性」に関わる記述が見られます。また、「我が国の言語文化に関わる」ということについても「古代から現代までの各時代にわたって、表現し、受容されてきた多様な言語芸術や芸能などに関わることである。」という記述があります。つまり、言葉を用いて表現されるものの中に芸術が含まれているということがここからも分かります。国語という教科は、「スキル」と「感性」の両面から授業を組み立てなければならないということです。

終わりに

ここまで述べてきたことに対して、「何をそんな当たり前のことを」と感じられる方もいらっしゃるでしょう。でも、「国語は感性だ」と言われることに対して「そうではない、スキルを身に付けることで力が伸びるのだ」という思いで国語教師としてのスタートを切った私にとっては、この「スキル」と「感性」のバランスが取れるようになるには随分時間がかかりましたし、今でも油断すると偏りが出てしまいます。今回の連載では、そんな私がこれまで行ってきた実践や、考えてきたこと、活用した教材等についてご紹介していきたいと思います。

熊井 直子(くまい なおこ)

小平市立小平第五中学校 主幹教諭
英語もできる国語の先生を目指しています。2016年度に1年間フィンランドの高校で国語の授業を研究していました。英語教育に力の入る今だからこそ母国語教育のあり方を今一度よく考える必要があるのではないかと考えています。

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