みなさんこんにちは!
今月も香港よりお届けしています。先月までは、香港における最近の教育事情をレポートしてきましたが、今月は少し時代をさかのぼり、香港の教育の歴史についてレポートいたいと思います。
今月も香港よりお届けしています。先月までは、香港における最近の教育事情をレポートしてきましたが、今月は少し時代をさかのぼり、香港の教育の歴史についてレポートいたいと思います。
◆香港初期の教育
◆私立学校
◆公立学校
1874年、イギリス政府は3つの中国式の学校に補助金を与え始めました。そして1850年代には、教師や校舎といった学校の環境を整えるために、全ての公立学校を管理下において支援したのです。先ほども少し触れましたが、香港初の公立学校であるセントラルスクールは、非宗教的学校で、英語教育に取り組む学校として開校しました。20世紀初頭に入ってようやく、イギリス政府は英語教育だけでなく、現地語での教育の促進にも関心を示すようになりました。ということは、イギリス統治が始まってから半世紀ほど現地語での教育が軽視されていたということになります。いかに香港の教育がイギリス式に染まっていったのかが分かります。
◆ミッション系学校
◆日本化教育
香港が日本に占領されている間、香港での教育の機会は大幅に縮小してしまいます。1941年から1945年の間に、児童生徒数は118,000人から4,000人へとおよそ60分の1に減少してしまいました。この日本化教育では、日本の占領時の政策にプラスになるようにと、日本文化を植えつけることを目的とした方針が打ち出されました。全てのプライマリースクール、ミドルスクール(日本の小・中学校に該当する)では、一週間に4時間もの日本語教育が強制的に行われ、公立学校においては、日本の文化と礼儀作法が主な教科として教えられたのでした。これらの日本化教育は、香港の人々をより支配しやすくするための下準備とされたようです。香港歴史博物館の説明には、「全ては、日本が大東亜共栄圏を達成するために行った」と明記されており、日本人として心が痛みました。
◆戦後の教育
今回のレポートを読んでいただければお分かりいただけると思いますが、香港の教育は他国の文化の影響や、戦争、それに伴う侵略、統治など外部からの影響を大きく受けて変化してきました。外部へ対応するために自ら形を変えてきたというよりは、外部からの力によって変えざるを得なかったケースが多いと言っても過言ではありません。そんな歴史を経てきた香港の教育ですが、1997年に中国へ返還されてからは内部からの改革に尽力しています。教育改革の外的要因がなくなった今、香港の教育が今後どのような変化・進化を遂げていくか、今後その真価が問われることになるでしょう。
今回のレポートに先立ち、わたしは香港歴史博物館へ情報を求めに行ってきました。夏休み真っ盛りの入場料無料の日であったため、多くの児童が展示を見て何かを発見し驚きの声を上げたり、ノートとペンを持って夏休みの宿題と思われる調査などをしていました。この歴史博物館は、多くの日本人観光客も訪れる尖沙咀(チムサァチョイ)にあり、大通り沿いの交通の便の良いところにあります。全体を見て回るのに、2時間近くはかかりますが、行ってみる価値は大いにあるものです。日本語でのガイドこそありませんが、中国語から意味を推測したり、英語の説明を拾い読みするだけでも十分楽しめる博物館になっていますので、語学に自信のない旅行者の方にもおすすめです。
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取材・文:須藤綾子
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