2026.08.27
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カナダBC州から届ける、日本語を「つないでいく」ための学び~AIを使うこと~(第7回)

今、生成AIは学ぶ機会においても訳す機会においても便利なツールとなっています。今回はAIを使うという点について、字幕翻訳作業の中で感じたことを書きました。

カナダBC州公立学校教諭、日本語継承語学校教師 高井 マクレーン 若菜

AI時代を生きる子どもたちと私たちの役割

生成AIの登場により翻訳や通訳が簡単に瞬時にできるようになりました。紙の辞書を引きながら訳していたことや、単語リストを頭に叩き込んで通訳の現場に出向いたことが懐かしいです。

これからの社会を担う子どもたちはAIを上手に使いこなし、目まぐるしく移りゆくデジタルの世界をうまく操縦する力を身につけていかなければならないでしょう。学校でもAIを全否定するのは現実的ではなくなりました。変化の激しい「VUCA時代」、子どもたちも含め私たち自身がそのデジタル世界の創り手の一員でもあります(注1)。

便利さの裏にある「しっくりこない」違和感

ですが、生成AIで出来上がってくる内容は必ずしもこちらが求める答えと合致していなかったり、読んでもなんだかしっくりこなかったりすることがあります。
この教育つれづれ日誌にも、AIに書いてもらうと「自分の思いや経験が、その言葉の中に十分に乗っていないよう……言葉としては正しくても、どこか自分の温度感が伝わらない」と記された記事を見つけました(注2)。

それは、私自身がいつも感じていることでもあります。私が何かを書くときにAIを使うとなった場合、書く準備段階でブレインストーミングの際にアイデアを2~3つ提案してもらうか、書き終わった後に「てにをは」のチェックを入れてもらう程度にしか使用しない理由でもあります。

字幕翻訳を通して実感する「言葉の行間」

日本語学校で字幕翻訳をした短編映画は、日本語独特のフレーズが中心となった物語でした。言葉そのものよりも文化背景や文脈を深く理解し、言葉がない場所で何を表現しているのかを自分なりに考え、想像する必要がありました。

たとえば「いらっしゃいませ」という日本語の言葉について、ある小説の訳者がWelcomeと訳しては腑に落ちないと書いています(注3)。

字面を正確に訳しても伝わらない例の一つです。それは同時に文芸翻訳の美しいところであり、おもしろいところでもあります。
翻訳に限らず、私たちのコミュニケーションには、行間に垣間見える著者の意図、会話に含まれるニュアンス、文脈や背景、相手との呼吸や間、書き物でも口頭でもAIの選択肢だけではカバーしきれないものがたくさんあるはずです。

それを翻訳する、理解する、伝える、自分の言葉にすることで、言葉が「乗る」。そこに「心が入る」。なんか「しっくりくる」ような感覚が生まれるのだと思うのです。

自ら考え、言葉と向き合い続けるために

とはいえ、このようなことが言えるのはきちんと「読む」ことができるから。今後書くことも学ぶこともAI頼みになっていった場合、「なんかちょっと違う」と感じることが難しくなっていくのではないかと懸念されます。

日本語学校の子どもたちには、多言語を操れるからこそ、そんなことを頭の片隅に置いてほしいと思います。読むことにおいても、書くことにおいても、訳すことにおいても、日常の中で言葉との密な付き合いを続けてほしい。
その付き合いの中で自分で考えることを身につけてほしい。翻訳をする作業ではそのことに気づく機会があったように見えました。

注1 『ぼくたちはChatGPTをどう使うか』にはVUCA時代、使い手たちもまた生成AIの創り手とあります。

注3 『日本文学の翻訳者たち 金原瑞人編』の中で訳者のGinny Tapley Takemorが日本語の「いらっしゃいませ」について書いている。

高井 マクレーン 若菜(たかい まくれーん わかな)

カナダBC州公立学校教諭、日本語継承語学校教師


群馬県出身。関西圏の大学で日本語および英語の非常勤講師を務めた後、カナダ国ブリティッシュ・コロンビア州へ移住。現在はBC州の公立学校で教えながら、継承語学校でも日本語日本文化を教えている。

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