教員の本棚から~探究学習の「形」と「意味」をつなぎ直す『誤解だらけの探究学習』を読む~
今回は、探究学習の現場にひそむ「陥りがちな誤解」を解き明かす酒井淳平先生の新著『誤解だらけの探究学習』(明治図書)を取り上げます。
本書が示す視点を、私自身の「教員つれづれ日誌」の連載や授業実践と重ね合わせ、これからの探究学習、ひいては学校における教育的な取り組みをより豊かにするために必要な考え方やマインドセットについて考えていきたいと思います。
花園中学高等学校 社会科教諭 伏木 陽介
『誤解だらけの探究学習』を手がかりに、私の実践を照合してみた
夏休みは、少しだけ立ち止まって本を読む時間が持てる季節です。今年、探究学習に関わるすべての先生に手に取っていただきたい一冊があります。『誤解だらけの探究学習 「手応えがない」ときの25のヒント』です。
酒井先生は本書で、探究学習の現場に潜む「陥りがちな誤解」を25個取り上げ、一つひとつを丁寧にほどいていきます。「探究は新しい学びで、特別なイベントだ」「探究には正解やゴールがある」「教師は正解を持っていないといけない」――どれも、探究に携わったことのある教師なら、周囲の先生とのチームとしての取り組みの中で、一度は「それは誤解なんだけどな」と感じたことのある感覚ではないでしょうか。
本書の凄みは、それらを「間違い」と断罪するのではなく、なぜその誤解が生まれてしまうのか、その構造にまで踏み込んで説明してくれる点にあります。探究が広がったのに「手応えがない」という多くの現場の実感に、正面から向き合った一冊だと感じました。
実は私自身、これまでこの「教育つれづれ日誌」の連載において、探究学習を中心にした論考を今まで10本前後書き重ねてきました。そこで多く取り上げてきたのは教員の持つマインドセットの克服を目指す部分でした。
今回、本書を読みながら、私が書いてきたことの少なくない部分が、酒井先生の指摘・提示する誤解と地続きだったことに改めて気づかされました。本書で述べられる多くの誤解に「そうそう!」と思うことだらけでした。
今回は、特に重なりの大きかった4つの「誤解」を取り上げ、私自身の考えを改めて述べてみたいと思います。
「正解を授ける」立場からの解放~教師観の更新
「哲学対話」の実践にふれながら
本書では、探究学習に関する25の誤解が挙げられています。その多くに、私は「確かに」と頷かされました。
なかでも、3番目の「探究には正解やゴールがある」と、17番目の「教師は正解を持っていないといけない」は、私自身が多くの場面でマインドセットの変容の必要性を感じ、この連載でも度々取り上げてきたことです。
教科の学びの多くには正解があるといった文化に慣れ親しむ中で、つい教師は「生徒を正しい方向に導きたい」「間違えないように指導したい」と先回りしてしまいがちです。
しかし本書では、探究の価値は探究の結論や成果に到達することではなく、問いが変化し、更新されていくプロセスにあると指摘しています。そして、教師は「正解のない状況を生徒とともに扱う伴走者」であればよいのだと語っています。
「変化の時代に、教師に求められる『マインドセット』とは」において、私も、私たちが受けてきた教育を絶対視して今後の教育活動を行うことの危険性を指摘しました。
また、私自身が「『答え』を手放した授業の先に現れるもの―哲学対話が拓く生徒と教師の新しい関係―」でつづった哲学対話の実践からも、この「正解のない状況」に対して教員が持つべきスタンスについて、多くの示唆を得てきました。
相手を否定せず、結論を急がず、沈黙や思索の時間を尊重する哲学対話の場では、教師は教壇を降り、正解を授ける指導者ではなく、円に座る一参加者になります。
すると生徒たちは「結論が出ないのに、頭が疲れて楽しい」と感じるようになり、複雑な問いを複雑なまま抱え続ける「思考の体力」を少しずつ身につけていきました。
教師が正解を手放すことで、生徒は自ら深めていく力を持っているのだという信頼へと、生徒観そのものが書き換わっていく。本書の言う「導けば進む」という感覚を手放し、生徒が迷う時間を支えるマインドセットと、まさに重なる実感です。
身近な実感から、社会へゆっくり開いていく~探究テーマ(問い)はどうあるべきか
誤解の4番目において取り上げている、「探究は社会の役に立つ成果や提案を出さなければならない」というのも、考えさせられる指摘です。SDGsや地域課題解決といった大きなテーマが推奨されがちな昨今ですが、成果を社会貢献の大きさで判断しようとすると、生徒は自分の関心よりも「他者の期待に合わせた形式的なテーマ」を選びがちになる、と著者は警鐘を鳴らしています。
これは「なぜ今、『自走する学習者』が求められるのか?~教室の外とつながる探究へ、生徒の問いを社会に開く~」で、「小さな関心を学びの入口にする」という章に書いた内容とも深く符合し、納得させられました。
環境問題や地域活性化といった「大きなテーマ」を最初から掲げるのではなく、連載でも事例として取り上げた、生徒が通学路で感じた「学校帰りに立ち寄れる居場所がないのはなぜだろう」といった、ごく身近な違和感から始めてみる。
小さな好きや引っかかりを、教師がすぐに社会課題らしいテーマへと整えすぎず、対話を重ねながら少しずつ社会との接点へ広げてみる。そのような連続の中で、生徒の問いが自分自身の問いとして育ってきた経過を見てきました。
探究の中で重要な「探究テーマ」(問い)について、教員がどの様に意識するべきか、大変重要で必要な点かと思います。
外部連携は「問いを更新する」ためにある~外部との越境・連携をどうとらえ実践するか
また、探究を深めるうえで外部とつながることは有効ですが、酒井先生は本書の誤解の19番目で、「外部とつながれば探究はうまくいく」わけではないと指摘しています。外部の期待や専門性に引っ張られすぎると、かえって生徒自身の問いが消えてしまう危険があるからです。
「なぜ今、『自走する学習者』が求められるのか?~外部との接続がもたらすもの~」で書いたように、外部との接続の効果は出会いの規模ではなく、その前後で「生徒が自分の問いを持ち直すこと」にあると感じています。
一度の出会いで答えを出させず、「自分の考えとどこが違ったか」「次に誰に話を聞きたいか」を言語化し、記録しておく。外部の視点を差し込むことで、初期の仮説を揺さぶり、問いを更新し続ける過程を設計して初めて、外部連携は単発のイベントから学びのプロセスへと変わっていくのだと思います。
大切なのは教員自身がこの見通しを持って外部との連携をしっかりとコーディネートできているか、そのための外部との対話を継続的に行っているかにあるかと思います。
教科の本質から探究を見出す~「教科学習と探究」を再考する
「教科で育つ視点が探究を支える」
誤解の21番目「探究は『総合的な探究の時間』だけの活動」、23番目「教科でも無理にでも探究をしないといけない」という指摘も、教科指導と探究の在り方に課題意識を持ってきた私にとって、大切に扱うべき誤解と感じました。
教科と探究は対立するものではなく、教科で得る見方・考え方こそが探究の基礎になる。そう捉え直させてくれる大切な指摘です。
「入試問題を探究の素材に変える日本史授業実践」は、この指摘に対する私なりの実践として、最も深く重なる試みです。
また同様に「京都を舞台にしたフィールドワーク」で取り上げた授業実践も、教科書の知識を生徒自身の理解へと再構成する試みです。
現地の遺構や一次史料と照らし合わせて検証していく中で、生徒は知識の受け手から、情報の真偽と解釈を自ら検証する主体へと変化してきました。また現物や史料、通説と異なる理解を得る中で、授業の中で獲得した違和感や疑問がそのまま探究テーマに転換していく生徒も多く見てきました。
教科の内容においても、探究的な学びは十分開かれています。教科特有の視点が探究を支えるというのは本書でも言及されています。
付け加えて私も感じるのは、自分たちが設計、行う授業の中には既に探究的といえるアプローチは存在しているということです。
上記ではフィールドワークやAIといった、とかく探究的(とみられそう)な授業実践を取り上げましたが、日々の授業の教科内容がまずもって大切です。その教科指導のふとした中に、探究的に発展できる、生徒もそのように捉えることができる授業が存在しているのだと思います。
この点も本書では、誤解の23番目「教科でも無理にでも探究しないといけない」で、教科と探究は補完関係にあること、教科授業において無理に探究授業を行う必要はなく、知識やさまざまな理解が探究に接続、往還することについて指摘しており、自分の実践とも大いに符合する部分でした。
「25の誤解」を題材に、多くの先生方と「対話」をしてみたい一冊
大人自身も「探究」し、本質を理解していくために
本書は、無意識のうちに抱え込みがちな教育的な認識を、優しく、けれど的確に解きほぐしてくれます。
ここで触れた以外にも、「探究で大切なのは、成果物で受賞することである」(誤解6)「探究では全員が同じ水準の完成度を目指すべき」(誤解7)、「成果物の質が低ければ失敗なのか」(誤解8)など、多くの思わず首肯したくなる誤解が詰まっています。
またそれぞれの学校において探究活動の推進に当たっている先生にとっては、「そうなんですよ」と感じ、これらの誤解の克服に心を砕いている方も多くいると推察します。あるいは「自分たちの実践、取り組みの方向性と同じ努力をされている先生方がいる」といった勇気もいただけるのではないでしょうか。
正直に言えば、私が本書を一読して得た感想は、本書を基軸にしながら、ぜひさまざまな先生方と対話をしてみたいというものでした。そのような意味で、勉強会や研修の課題図書としても、最適な1冊と言えるのではと思います。
また、これは学校だけでなく、家庭での親子の会話にも通じることかもしれません。子どもの「なぜ」「どうして」に耳を傾け、すぐに答えを与えずに一緒に考える保護者のまなざしも、探究を支える大切な土台です。
探究学習への理解は、教員だけでなく、子どもを見守るすべての大人に求められていると感じます。
連載初回「教師に求められるマインドセット」でも私が記したように、これらの誤解を解く上で大切なマインドは、自分が受けてきた教育の成功体験をそのまま再生産するのではなく、変化する社会に照らして自らの教育観を常に吟味し続けることだと思います。
探究学習は、生徒が未知の世界へと越境していくプロセスです。であれば、伴走する私自身もまた、これまでの指導観・教師観を自明とせず、新しいマインドセットを模索し続ける必要があるのだと感じています。
2学期に向け、ぜひ本書をきっかけに、「探究をどう実践するか」だけではなく、「そもそも私たちは何を探究と呼んでいるのか」。その問いを持ち続けることから、次の実践を始めてみたいと思います。
※本稿の内容については、著者の酒井淳平先生にご確認いただき、了承を得ています。
参考資料
- つれづれ日誌:変化の時代に、教師に求められる「マインドセット」とは(2025.10.10)
- つれづれ日誌:「答え」を手放した授業の先に現れるもの ―哲学対話が拓く生徒と教師の新しい関係―(2026.1.29)
- つれづれ日誌:なぜ今、「自走する学習者」が求められるのか?〜教室の外とつながる探究へ、生徒の問いを社会に開く〜(2026.6.1)
- つれづれ日誌:なぜ今、「自走する学習者」が求められるのか?~外部との接続がもたらすもの ~(2026.6.19)
- つれづれ日誌:入試問題を探究の素材に変える日本史授業実践(2026.4.2)
- つれづれ日誌:歴史・日本史を「探究」する新しい学びのかたち~京都を舞台にしたフィールドワークと生成AI活用の授業実践~(2025.12.12)
- 酒井淳平『誤解だらけの探究学習『手応えがない』ときの25のヒント』明治図書、2026

伏木 陽介(ふせぎ ようすけ)
花園中学高等学校 社会科教諭/中高一貫(ディスカバリー)コース統括・ICT担当、東西探究交流会代表
長年にわたり、探究学習のプログラム策定や実践に携わってきました。
学校や授業の改革には何が必要かを考え、現場でのチーム作りや実践を重ねております。
また、大学などの「学術知」を中高の教科指導とどう結びつけるかを追求し、共通テストの分析やICTとの接続等の教材開発に取り組んでおります。
こうした経験を活かし、未来の学びの創造に貢献したいと考えています。
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