2017.01.09
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22年目の阪神淡路大震災を振り返って

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
1.17が,近づいてきました。
22年目になります。毎年,1,17に近づいてくると,
どきどきしてきます。あの当時の不安がよみがえってきます。

過去記事も,見てやってください......。
21年目の1.17
1.17から20年 阪神淡路大震災
1.17から3.11へ 防災学習「クロスロード」の取組

兵庫県神戸市立桜の宮小学校 特別支援教育士スーパーバイザー(S.E.N.S-SV) 関田 聖和

震災22年目

今や,震災というと,東日本大震災や熊本地震の話題になります。
阪神淡路大震災も,まだ,続いています。
もちろん街並みの多くは,復興しています。
でも,完璧ではないのです。
震災直後の人口も回復するなど,
当時を上回っているものも多くなりました。
神戸の復興のために尽力していただいた方々に,
感謝の念でいっぱいです。

阪神淡路大震災も,今年で22年目。
1995年1月17日 5時46分。
忘れもしない出来事です。

あの震災がなければ……。
って,未だに,思ってしまう現実が私にもあります。
父もまだ生きていたかもしれません。

でも,震災があったから……。
ということも,正直なところあるんでしょう。

これについては,私自身の中では,数少ないので,
大きないい評価はあまりありません。

朝と夜は,地元でボランティア

震災当時私は,地域の大学生とともに,ボランティアグループのリーダー的な立場にいました。

昼間は,学校へ。

朝と夜は,地元でボランティア。
なかなか充実した日々でした。

2月に入り,少しずつでしたが,避難されている方が,
出て行かれ始めました。

遠方への引っ越しが決まった方。
自宅が一部損壊や半壊の方たちです。

私も含め,全壊のメンバーは,行く当てがなかったのです。


このままではいけない……

避難所の建物を管理されている方と,
何日も話し合いをしました。

それは,

このままではいけない……

ということです。

救援物資に囲まれて,
食料も定期的に届き,
電気も水道も復旧したこの大きな建物の中で暮らせば,
とりあえず生きていける。

しかし……。
と,ここで皆,口をつぐんでしまうのです。

「ここから,出発しよう。」

この一言が出てくるまで,何日もかかりました。

最初は,反発される避難の方もおられましたが,
やはり,「このままではいけない」ということをみんなが感じ,
考えていたのか,自然と避難所解消へ動き始めました。

震災前は,親と同居していましたが,両親も違うところで
家を探し,尼崎へ。

私は,そこまで引っ越してしまうと,勤務やボランティアに影響するので,実家とは遠く離れたところに,家を借りました。

避難所解消

避難所解消は,大きな混乱もなく行われました。
物資を分けて,思い思いに移動していきました。
少しずつ減っていく人たち中で,
どこか寂しいものを感じながら……。

その姿を見て,残酷だという気持ちが大きかったのが,
本音です。

しかし,数週間後,これで良かったと思えました。
自分自身がやらなくてはならないことに,
向き合えたからです。

区切りというものは,大切です。


職場で

勤務地の学校は,避難所解消とはなりません。
近隣校を借りての授業が続きます。

目の前の子どもに,少しでも笑顔を,学力を
と教職員一丸となって,取り組んだことは,良き思い出でもあり,
良き経験です。

私の家が決まる前に,異動が決まりました。

「お前を今の学校においておきたいけど,うちじゃ,

 まともな授業ができん。

 お前の将来を考えたら,授業がしっかりとできる

 学校に移って,経験も積んで,子どもたちに,

 ええ授業したらなあかん。

 だから,ここを出ろ。」


と,厳しくも温かい校長の言葉。

私は,当時の4年生の子どもたちが全員帰ってくることを願い,
「いさせてほしい」
と願いましたが,震災の関係で児童数は激減。
それに伴って,教師も……。ということもあったのか,
私は,勤務地よりも被害の少なかった同区の北の学校へ,
異動になりました。

せきちゃんに会いたい

震災当時に,担任をしていた子どもたちは,
異動先の学校まで,遊びに来たり,
私が震災後住んだ家にも,
遊びに来たりしました。

中には,成人するまで,私が異動した学校には,
必ず遊びに来ている教え子もいます。

震災後の夏休みに,子どもたちと集まりました。
残念ながら,全員ではありません。

あの1.17以来,初めて会った子どもたちもいました。

今では,懐かしい思い出です。

でも,この子どもたちがいたからこそ,
異動した先での一年間,頑張ることができました。

もちろん,「負けたら,アカン!」と叱ってくれた,
震災当時の前任校,西区の子どもたちも,忘れていません。
教え子は,どんなことがあっても,私の宝です。
昔も今も,これからも
私と出会う子どもたちが,
私の教師力も高めてくれるのです。




写真提供:神戸市
「阪神・淡路大震災『1.17の記録』」サイト
http://kobe117shinsai.jp/
より利用しています。

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月刊「RAKUSHO」1月号

関田 聖和(せきだ きよかず)

兵庫県神戸市立桜の宮小学校 特別支援教育士スーパーバイザー(S.E.N.S-SV)
主な単著:『楽しく学んで国語力アップ!「楽習」授業ネタ&ツール』(明治図書)、『新学期から取り組もう!専手必笑 気になる子への60の手立て』(喜楽研)、『専手必笑!インクルーシブ教育の基礎・基本と学級づくり・授業づくり』(黎明書房)、国語・算数が苦手な子どもへの個別支援プリントシリーズ(全10冊:清風堂)
その他、特別支援教育すきまスキル(明治図書)等共著多数。

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